練馬区光が丘在住のナターシャちゃんのマーマにして、光が丘病院勤務の瞬先生のために、チャイニーズ・マフィア上海大熊猫幇と香港烏龍幇の二つの組織は、日本国内限定の休戦協定を結んだらしい――という情報がもたらされたのは、瞬の許に3000万相当の価値のあるダイヤと、同じく3000万相当の価値のある水墨画が揃ってから5日後。 それは もしかしたら、練馬区の平和維持のためには 非常に喜ばしいことなのかもしれなかったが、同時に それは、上海大熊猫幇と香港烏龍幇が結託して 高価な礼の返却を拒んでいるということで、瞬個人には有難迷惑の極致といえる事態でもあった。 「蘭子さん、僕、困るんです」 その日、瞬が3000万円相当のダイヤと水墨画を持って、開店前の氷河の店に行ったのは、頼み事をする側の人間が 頼まれる側の人間を 自宅に呼びつけるわけにはいかないと思ったから。 そして、 『ママは、この件のおかげで大陸方面にまで人脈が広がったと喜んでいた(から、おまえが負い目に思う必要はない)』 という話を、氷河から聞いたから。 蘭子なら、高価すぎて 厄介なチャイニーズ・マフィアからの礼の品を、波風を立てずにマフィアに返してくれるのではないか、彼女の才覚なら その作業によって 彼女自身の益を獲得することもできるのではないかと期待したからだった。 どうにかして この品を送り主に返却してほしいという瞬の頼みを聞いた蘭子は、 「有難く もらっちゃえばいいのに」 と ぼやきはしたが、瞬の気持ちを酌み、何とかしてみようと言って、瞬の依頼を受けてくれた。 瞬の奢りのウォッカ・トニックの入ったタンブラーを半分 空にしてから、瞬に意味ありげな視線を投げてくる。 「善良な市民の瞬ちゃん。お陽様の当たる 真っ当な社会で、誰からも羨望される成功をおさめ、誰もが優しい いい人だって口を揃える瞬ちゃん。しかも呆れるほど無欲」 「はい?」 蘭子は何か言いたいのか。 首をかしげた瞬の顔を、蘭子は探るように覗き込んできた。 「瞬ちゃん。困りはしても、恐がらないのね」 「え」 蘭子は、要するに、非力で善良な一市民として、瞬の態度は一般的ではないと言いたいらしい。 今更 わざとらしく震えてみせるわけにもいかないので、瞬は蘭子に微笑を返した。 「恐いですよ、もちろん。チャイニーズ・マフィアなんて きな臭い人たちとは、絶対に関わりを持ちたくない。でも、恐がってばかりもいられません。僕は ナターシャちゃんを守らなければなりませんから。自分の命に代えても守りたいものがある人間は、僕に限らず 誰だって、相手がマフィアだろうが 飢えたライオンだろうが、臆することなく立ち向かいますよ」 蘭子は、瞬のその言い訳(?)に、全く 納得していないようだった。 カウンターの向こうにいる氷河も、助け船は出してくれない。 氷河が 素知らぬ顔で 磨き終えたグラスを並べ直しているのは、蘭子が 野暮を嫌う人間だということを知っているからだったろう。 実際 蘭子は、すぐに引いてくれた。 「ま、瞬ちゃんは、氷河ちゃんを尻に敷くほどの剛の者ですもんね」 「まともに顔を見てしまうと、氷河には勝てませんから」 「あ、その気持ちは わかるわ」 氷河と瞬ちゃんの綺麗な お顔に免じて、もう 一働きしてあげる――と、笑いながら 蘭子は言った。 |