「見せてあげるから、すぐに公園のちびっこ広場に来て」 って、初子から俺のスマホに電話がかかってきたのは、その週末。日曜日の午後だった。 メッセやメールじゃないってことは、急いでるってことだろう。 初子が 俺に“見せてあげる”のは何なのか、その目的格は言われなくても わかった。 家でオベンキョーしてる振りをしていた俺は、すぐさま 指定された場所に急行したんだ。 ちなみに、初子が言ってた“公園”ってのは、俺んちから歩いて10分のところにある都立光が丘公園のことだ。 歩いて10分のところを、俺は走って5分で駆けつけた。 初子の電話に「すぐ行く」と応じてから7分後には、俺は初子の許に到着してた。 初子は、1時間も遅刻してきた待ち合わせ相手を見るような顔で、俺を迎えてくれたけどな。 初子には、7分が1時間に感じられていたんだろう。 初子は、俺の顔を見るなり、 「鉄棒のとこ」 と言って、自分の背後の場所を俺に示してきた。 つまり、初子自身は問題の人物に背を向けたまま。 おまえは浮気調査中の私立探偵か! って思いながら、俺は そちらの方に(堂々と)顔を向けたんだ。 そこにいたのは、ツインテールの小さな女の子と、その両親とおぼしき大人が二人。 父親は金髪。本物の金髪。正真正銘のガイジン。 母親は、染めてるようには見えないけど茶系の髪で、日本人――かな。ハーフかもしれない。 人種も民族も国籍も不明。でも、美人だってことは わかる、不思議な見た目の母親だった。 俺と初子のいる場所から 鉄棒までは 結構 距離があるのに、美人って わかるのも変なことなんだけどさ。 子供の歳ってのが、俺には よく わからないんだが、その女の子は 小学生にはなってなさそうだったから、多分 3歳から6歳の間だろう。 「パパ、マーマ! ナターシャ、鉄棒ぐるりが できるんダヨ! 見て見て!」 子供特有の甲高い声で 得意そうに言うから、あの歳で逆上がりができるのかと思ったら、ただの前回り。 それでも、女の子のマーマとやらは、 「ナターシャちゃん、すごい! 綺麗にまわれたね!」 と絶賛している。 子供の親ってのは大変だな。 あんなのでも、すごいすごいって褒めてやらなきゃならないとは。 さすがに金髪の父親の方は そんなアホらしい真似をする気にはならないのか、無言で無表情のままだったけど。 でもまあ、小さな娘に付き合って 公園までやって来てるだけ、立派か。 日曜だっていうのに、公園のちびっこ広場には、父親らしき人間の姿は 数えるほどしか見当たらない。 母親らしき人間の姿は 子供の数だけあるっていうのに。 それは さておき、その家族は とにかく目立つ家族だった。 結構な距離があるのに、俺に“ナターシャチャンのマーマ”が美人だってことが わかった(ような気がした)のは、そのせいだったのかもしれない。 目立つ人間ってのには、2種類ある。 目立つことをして目立つ奴と、特に目立つことなんかしてなくて普通にしてるのに、自然に人の目を引きつける奴だ。 “目立つことをして目立つ奴”ってのは、珍妙な恰好をしたり、大きな音を出して騒いだりして、人の注意を 無理矢理 自分に向けようとする奴。 学校にもいるな。 無駄に声が大きくて、無駄に身振りが大袈裟で、何をするにも無駄にエネルギーを使う奴。 あれは、人の注目を自分に集めたいって意識が働いて、半意図的に ああいうことをしてるんだろう。 そんなことをしたって、『うるさい』って思われるだけなのに。 “特に目立つことをしなくても目立つ奴”ってのは、ただ そこに立ってるだけでも、周囲の人間の目と心を自然に引きつける人間。 不思議なオーラっていうか、特別な空気を 身辺に生む人間っていうのが、この世には いるんだよな。 滅多にいないけど、確かにいる。 俺は、以前 国会図書館の開架図書コーナーで、そういう おっさんに会ったことがある。 外国人だったけど、外国人なんて今時 珍しくもない。 何者だろうって 気にしてたら、他の来館者たちの ひそひそ話が おっさんの正体を俺に教えてくれた。 顔は知らなかったけど名前なら俺でも知ってる、世界的に有名な指揮者。 いるんだよ、そういう人間が。 そして、その鉄棒家族はそういう家族だった。 「ね、綺麗でしょ? 素敵でしょ? 優しそうでしょ?」 初子は、やたらと得意そうに、俺の肯定の返事を確信し切ってる声と顔で そう言うけどさ。 優しそうっていうのか? あれが? あれが初子が“恋っての”をしてる“オトナのオトコのヒト”? それって、色々 おかしいだろ。 「子持ちで、ガイジンで、しかも あんな美人の奥さんがいて、仲良さそうで、最初から絶望的じゃないか」 俺は別に初子の“恋っての”にピリオドを打ってやろうなんて意地悪な気持ちは、これっぽっちもなかった――俺はただ、まじで不思議だったんだ。 あの幸せそうな家族の光景を前に、初子の声が そんなに弾んでるのが。 初子からは、更に不思議な答えが返ってきた。 初子は少し機嫌を損ねたように、 「違うってば! 私が好きなのは、ガイジンさんの方じゃなくて、ガイジンさんと一緒にいる もう一人の人の方!」 と言って、俺を睨みつけてきたんだ。 何だよ、それ。 「……おまえ、そういう趣味があったのか?」 そーいや、初子は、中学ん時、宝塚音楽学校に入りたいみたいなことを言ってたな。 何とかかんとかっていう舞台を観に行ってから1週間くらい。 あれは そういうことだったんだろうか――という俺の推察は、全くの的外れ。 初子は 向きになって、“そういう趣味”を否定してきた。 「違います! 瞬先生は男性! あのガイジンさんと女の子って、父子家庭なのね。ガイジンさんと瞬先生は親友同士で、瞬先生は親友の育児に協力してるの。あの女の子は、瞬先生が綺麗だから、瞬先生を女の人だと誤解して、それでマーマって呼んでるみたい。そんなふうに呼ばれても、瞬先生は文句一つ言わないで――瞬先生って、ほんと、とことん優しいのよ」 聖母マリアか阿弥陀様に出会って感激してる衆生の一人みたいに そう言ってから、初子は、 「そこまで突きとめるのに苦労したんだから!」 と、俺を叱りつけてきた。 どうでもいいけど、阿弥陀様って女なんだっけ? 男なのか、それとも? 「瞬先生って、もしかして弓道の先生か何かか?」 初子は塾や予備校には行ってないけど、弓道をやってる。 ほんとは薙刀を習いたかったらしいけど、薙刀は 気軽に習える稽古事じゃないみたいで。 で、弓道教室を見付けてきて、そこに通い出した。 まあ、3年になって 受験勉強に本腰を入れなきゃならなくなったから、今は通ってないはずだけど。 弓道の先生――っていう俺の推測は、またまた(弓道だけに)的外れだったらしい。 “先生”って呼ばれる人種は色々ある。 学校の先生、習い事の先生、代議士の先生、そして 医者。 つまり、 「瞬先生は お医者様よ。光が丘病院の総合診療科」 ってことらしい。 「一ヶ月前、梅雨に入った頃、私、風邪で何日か学校を休んだでしょ。近所の病院に行ったら、何とかっていう伝染病が流行ってて、39度以上の発熱がある患者が来たら、精密検査を受けさせるようにって お達しが都内に出てたんだって。それで、紹介状をもらって、光が丘病院に行くことになったわけ。ただの風邪に決まってるのにメンドクセーって思いながら、光が丘病院に行ったら、内科じゃなく総合診療科に回されて――」 初子はそこで、瞬センセイの優しいホホエミに一目惚れしたんだそうだ。 一目惚れ。 何て初子らしくない単語だ。 そんな単語が初子の辞書に載ってたなんて、驚くべき事態だ。 初子は、もっと損得勘定のできる奴だと思ってたのに――いや、冷静な奴だと思ってたのに。 見た目はいいし――よすぎるし、医者なら金もあって、頭もいいんだろうけどさ――。 「初子。おまえ、正気かよ? んな、女に一目惚れさせるような笑い方する男なんて、ろくでもない女たらしに決まってるだろ! 怪しすぎ! 胡散臭すぎ! 今時は、医者だの 教師だの 警察官だのの方が危ないんだぞ。今時は、医者だの 教師だの 警察官だのの方が犯罪者が多いの!」 「瞬先生に限って、そんなことない。子供が好きだし」 「子供好きって、いちばん危ないじゃん。ロリコンなんじゃないのか? 親友の子供を狙ってる可能性もある。あの女の子、かなり可愛い子だし」 「んなわけないでしょ」 「そう言い切る根拠は何だよ」 「見てればわかるって」 それは根拠とは言わない。 けど初子は、自分の目に絶対の自信を持ってるらしい。 初子は、俺の“瞬先生ロリコン説”を、1秒の時間もかけずに ゴミ箱に投げ捨ててくれた。 自分の見たものが“根拠”になると信じているらしい初子に、俺が呆れた顔を向けると、初子は それを別の意味に解したらしく、少し気落ちした声で、 「やっぱ、無理だと思う?」 と、俺に訊いてきた。 初子は 俺に、『そんなことはない』と言ってほしいのか? それとも、『うん。絶対に無理だな』と引導を渡してほしいんだろうか。 初子が俺をここに呼んだのは、俺に“恋っての”の成就に協力してほしいからなのか、それとも 単に瞬センセイを俺に見せたかっただけなのか。 いや、多分――多分、初子は 俺に、瞬先生を『優しそうな男だな』って言ってほしいんだ。 そして、『希望がないわけじゃないだろ』と言ってほしい。 瞬センセイがロリコンじゃないことには 確信が持てても、オトナのオトコのヒトとの“恋っての”が成就するかどうかってことには、全く自信が持てないから。 そりゃあ、俺だって、初子が喜ぶセリフを言ってやりたいけど、俺の本音は、『無理だと思う』だ。 『やめといた方がいい』が、俺の本音。 けど、その本音は言いづらい。 「あれが男ねー……」 ナターシャチャンは“鉄棒ぐるり”を5回もやったら満足したのか、三人は ちびっこ広場の脇の屋根つきの休憩所に移動して 飲み物を飲み始めた。 飲み物は、水筒で持参。 男二人で育ててるとは思えないくらい マメだな。 医者だから、外で買った糖分たっぷりのジュースなんか、子供に飲ませたくないのかもな。 それにしたって、どこからどう見ても、イケメンのパパと綺麗なママと可愛い女の子の親子連れ。 瞬センセイがロリコンじゃないのは、信じようと思えば信じられるけど、瞬センセイが あの子のママじゃないってのは、なかなか信じにくい。 本音も言えず、かといって、心にもない激励の言葉を言うこともできず、初子への対応に窮した俺は、第三の道を採ることにした。 「おまえの瞬センセイが ほんとにヘンタイじゃないのか、探ってきてやるよ」 かなり一方的に そう宣言して、初子の答えも待たずに、俺は 綺麗な家族連れがファミリードラマを演じている休憩所に向かって歩き始めたんだ。 初子の瞬センセイが 本当にヘンタイじゃないのか探るためというより、俺は、初子の瞬センセイの欠点を見付けたかったのかもしれない。 初子に“恋っての”を諦めさせるための理由を手に入れたくて、だから 恐れも ためらいもなく、俺は そんなことができてしまったのかもしれなかった。 |