ギリシャ1の富豪 ハジ・パパンドレウ氏は、米国在住である。
米国で開発し日本の工場で製造した、耳がハムやタマゴやトマトの味がする食パンが、畏れ多くもグラード財団総帥にして 聖域を統べる女神アテナの手で 氷河たちのマンションに届けられたのは、パパンドレウ氏が日本を離れてから3ヶ月後。
恐ろしくスピーディな商品開発力に、瞬は驚嘆したのだが、これくらいの機動力がないと、開発競争の熾烈な食品業界では生き残ることができないのかもしれない。
女神アテナが 御手ずから届けてくれたパンは、ナターシャを満足させるほどの完成度で、パパンドレウ氏は 本気で商品化を考えているようだと、沙織は教えてくれた。

「商品名を“ナターシャちゃんのアイデア食パン”にするなら、商品化を許可してもいいが」
「パンの名前は、“パパとマーマのナターシャのハッピーパンパン”がいいヨ!」
「ふむ。確かに、その方が 由緒正しい感じがするな」
「ユイショタダシーって、ナニー?」
父と娘が、“ハム味”“タマゴ味”“トマト味”と なぜか“メロン味”の食パンをテーブルの上に並べて盛り上がっている様子を眺めながら、なぜか 沙織は憂い顔。
何か心配事でもあるのかと、瞬が尋ねると、沙織は いかにも言いにくそうに――というより、言いたくなさそうに――彼女の心配事を 瞬に告白してきた。

「実はね、瞬。パパンドレウさんが、今度は ナターシャちゃんのお兄さんになりたいと申し出てきたのだけど」
「は?」
「つまり、あなたと氷河の養子になりたいと」
「はあ !? 」
「パパンドレウさんがいうには、そうすれば、あなたとナターシャちゃんを引き離さずに済むし、ナターシャちゃんのアイデアを商品化するのに権利等の問題も発生しない上、あなたとの約束も果たせるから、一石二鳥三鳥四鳥だと言うのね。ついては、家族四人で住むための屋敷を新築したいので、都内に適当な場所を――」
「ふざけるなーっ !! 」

パパンドレウ氏からの伝言を、氷河は 最後まで沙織に言わせなかった。
瞬を養子に迎えることは諦める――というのは、つまり こういうことだったのだ。
考えてみれば、パパンドレウ氏は、住む家もない一介の孤児の身からギリシャ1の富豪にまで成り上がったほどの男である。
そんな男が、十数年をかけた夢の成就を、あっさり諦めるはずがなかったのだ。
そんなに諦めのいい男が、これほどの成功を手に入れられるはずがない。
彼は 諦めないだろう。
アテナの聖闘士以上の しぶとさをもって、彼は彼の夢を叶えようとするに違いない。

「じゃあ、パンの名前は、“パパとマーマとナターシャとパン屋のお兄ちゃんのハッピーパンパン”ダネ!」
どうやら ナターシャは、今度はパパンドレウ氏の味方につくらしい。
「うぬぅ……!」

氷河の目の前に――氷河の目の前だけに――突如、高く険しく曲がりくねった坂道が出現する。
果てしなく遠いパパンドレウ氏との養子バトルの坂を、氷河は 今 ようやく登り始めたばかりだった。






未完






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