瞬は、私ほどではないにしても、それなりに美しい人間だった。
私ほどではないにしても、それなりに強い人間だった。
最初に会った時から、少し 嫌な予感はしたんだ。
瞬は、私を見ても、他の人間ほどには私の美しさに驚かなかった。
圧倒されることもなかった。

それは瞬自身が美しいから――ではなく、瞬が私より美しい人間を見慣れていたからだった。
そうだったということを、私が知ったのは、最初の出会いより かなりの時間が経ってから――二度目に瞬と出会った時だったが。
そして、瞬が見慣れている美しい人間というのが、単に 瞬がそう思い込んでいるだけのモノにすぎず、瞬以外の人間が見れば、100人中100人までが、私の方を美しいと断じる程度の男だということが、私の誇りを傷付けた。
瞬は、目が悪かったんだ。
私と あの男――氷河だか、ミョウガだか、ショウガだかを比べて、あの男の方に軍配を上げるなど、まともな美意識を持っている人間なら決してしないことだ。

しかも、あの男ときたら、どう見ても ただの馬鹿――いや、途轍もない馬鹿だったのだ。
自分ではクールに恰好をつけているつもりらしいのだが、実際のところは、ただの不愛想。
愛想が悪いのではなく、そもそも愛想というものを持っていないのだ。
ただの不器用、ただのぶっきらぼう。
それをクールだと思うことで、自分をごまかしているのだ、あの氷河だか、ミョウガだか、ショウガだかという男は。
もちろん、私ほど美しいわけでもなく、私ほど強いわけでもない。
クールの意味を取り違えているところからして、頭のレベルも私より数段下。
私の愛した瞬が、そんなモノに心を奪われているなど、いったい何の冗談なのかと思う。

だが、瞬が、あの氷河だか、ミョウガだか、ショウガだかを 深く愛しているのは紛う方なき事実で、それは瞬を見ていれば わかる。
瞬の眼差し、仕草、言葉の一つ一つ――何より、あの氷河だか、ミョウガだか、ショウガだかと一緒にいる時に 瞬の身辺に漂う、強く温かな空気。
優しいのに激しくて、激しいのに不思議な安心感を抱かせる、あの空気。
瞬が、あの氷河だか、ミョウガだか、ショウガだかを深く愛し、固く信頼していることは 疑う余地を挟まない事実。
ただの馬鹿なのに!
もとい、ただの途轍もない馬鹿なのに!

当人のレベルが話にならないほど低くても、たとえば有益な贈り物を贈ったり、己れの財や策によって人の心を自分に向けることのできる人間の存在は知っているし、私とて、その手法を否定するものではない。
だから、あの男――氷河だか、ミョウガだか、ショウガだかが――面倒だから、金髪馬鹿と呼ぶことにする――自分自身の魅力ではなく、自分以外のものをエサに使って、瞬の心を自分に向けようとしたこと自体は よくあること――人が人の愛情を得るための常套手段だとは思う。

動物は、そういうことをよくやる。
孔雀のように己れの美しさを誇示することができない者、鹿やライオンのように その角や牙で 己れの強さの優位性を示すことができない者たちは、たとえば、より多くのエサを運ぶことで 相手の好意を得ようとしたり、快適な巣を提供することで 相手の気を引こうとしたりする。
特に美しさを持たない鳥類は、そういう手段を採ることが多い。
要するに、自分自身の価値で勝負しない――勝負できない――情けない者たちだ。
そういう者たちの努力だけは、私も評価する。
しかし、あの男は、そんな鳥類以下だった。
醜い鳥類以下!
あの金髪馬鹿が、奴自身の強さや美しさ、エサや快適な巣の代わりに用いたものは、なんと“子供”だったんだ。

子供だぞ、子供。
花や宝石ですらない、子供。
自分自身の美しさや強さで勝負できない鳥類のオスたちが 懸命にメスにエサを運び、快適な巣を提供するのは、二人の間に子供を儲けるためだろう。
だというのに、あの男ときたら!

『自分には もう子供がいるから、自分を伴侶に選んでくれ』と求めるとは、どういう思考回路をしているんだ。
おかしいだろう!
その子供に釣られる瞬の思考回路もどうかしている。
あの金髪馬鹿は、何か 瞬の判断力を狂わせる薬でも用いたのか。
幻惑の術でも使えるのか。
だとしたら卑怯だ。
あの金髪馬鹿の採った策、その策に手もなく引っ掛かってしまった瞬は、動物の(人間も動物だろう)種の存続と進化の法則から逸脱している。あり得ない。

だから 私は、私の美しさと強さをもって、あの金髪馬鹿に心を奪われている瞬の目を覚まさせ、瞬が真っ当な道を歩めるようにしようとしたのだ。
だが、瞬は 私の美しい姿を見ても、短い一瞥をくれるだけで、それ以上のリアクションを示さない。
すぐに金髪馬鹿と あのエサ――ナターシャだか、自動車だか、葡萄酒だかの方に、意識を戻してしまう。

瞬は、この私より 美しさで 二段も三段も劣る男や、甲高い声で騒ぐしか能のない子供の方がいいというのか。
いったい 瞬は正気なのか。
私は、瞬の狂っている目や美意識や思考回路を治したかった。
だが、そのために 瞬の許を頻繁に訪ねるわけにもいかない。
あまり頻繁に瞬に姿を見せると、私の価値が減じるというか、レア感が薄れるというか、有難味がなくなるからな。
なにより、私が特定の人間の気を引くために 特定の人間に つきまとっていると思われることは心外だ。

そういう意味では、私は、瞬の目を自分に向けるために、なりふり構わず振舞うことのできる あの金髪馬鹿が羨ましい。
美しく 強く 誇り高い私には、あの金髪馬鹿のように振舞うことはできない。
だが、仕方がないではないか。
それが 私なのだ。
人は――人間は、そんな私をこそ崇め、愛するのだ。

金髪馬鹿のせいで狂っている瞬に比べれば、あの吉乃という娘は、至極 真っ当な美意識を持っていた。
最初の出会いの一瞬から、あの娘は、私の美しさに感動し、圧倒されているようだった。
だというのに、瞬ときたら、この私より、私の美しさに圧倒されている吉乃の方に注意を向けるんだ。
ありえない。
まったく、ありえない。

それとも、もしかして あれは、瞬の手なのか?
瞬は、私の気を引くために、わざと私を無視しているのか?
……さすがに、それはないか。
瞬は、私と違って、そんな手練手管を弄するタイプの人間ではない。
だが、だとしたら 尚更、瞬が 美しく強い私に目もくれず、醜く弱い金髪馬鹿や ナターシャや吉乃ばかりを気に掛けていることは おかしなことだと思う。
醜く弱い者たちだから、それが心配で、瞬は金髪男たちばかりを見詰めているのだろうか。
弱さや醜さで 瞬の愛を得ようとするとは、卑怯千万。
それもまた、弱い因子を排除し淘汰しようとする 種の存続と進化のルールから――いや、生命のルールから外れている。

あの金髪馬鹿が そういう卑怯な手を使うなら、私も 正攻法にこだわっているべきではないのかもしれない。
あの金髪馬鹿のように、弱さや醜さを武器にすることはできないが(私は、そんなものを持ち合わせていない)、搦め手から 瞬攻略を図ることはできなくもないだろう。
その際も、もちろん 私の武器は美しさと強さだ。
しかし、搦め手から攻略するといっても、あの金髪馬鹿を利用することはできそうにない。

金髪馬鹿が 瞬しか見ていないのは紛う方なき事実で、瞬以上に 金髪馬鹿の目と意識を私の方に向けることは難しいだろう。
それは それで腹の立つことなのだが、本音を言えば、私も あの金髪馬鹿には近付きたくない。
あんなモノを私の下僕の一人にしたところで、あの男は 私を凍りつかせることくらいしかできないだろうしな。
吉乃は 私の美しさを認めていて、私の下僕と言ってもいいだろうが、常に瞬といるわけではない。
となれば、搦め手からの瞬攻略に使えるのは、自動車ならぬナターシャだけだ。

とはいえ、ナターシャはまだ幼い子供。
あの子供に、私の美しさの価値が わかるだろうか。
ナターシャに美意識はあるのか。
その美意識は 真っ当か。
私は まず その点を確かめることにした。






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