街は既に冬の装い。
ナターシャも、公園に遊びに行く時には 温かく動きやすいダウンのベストを、オカイモノやオデカケの時には 白いウールのハーフコートを、洋服の上に羽織るようになっていた。

日が暮れるのが早くなり、夕方の5時を過ぎると、公園に子供の姿は ほとんど見えなくなる。
完全に日が暮れると、元気な子供たちとは別の意味で 寒さを物ともしない大人たちが、大抵は二人連れで、公園のあちこちを占拠し始めるのだが、ちょうど その入れ替わりの時刻。逢魔が時にして、()(がれ)時。

その日、ちびっこ広場から子供たちの姿がすべて消えてしまっても、氷河とナターシャが公園に残っていたのは、彼等が 仕事帰りの瞬と公園で待ち合わせて一緒に帰宅する予定になっていたからだった。
瞬が日勤で 定時に帰れそうな時は、いつも公園で待ち合わせてから三人揃って帰宅。それから、氷河は店に出る――というのが、ナターシャ一家の慣例になっていたのだ。

しかし、その慣例は 春になるまで、しばし中断した方がいいかもしれない。
寒さはともかく、たとえ大人と一緒でも 日没後に子供が外にいるのは好ましいこととは言えないだろう。
ちょうど前日、氷河と瞬は そんなことを話し合ったばかりだった。

ちなみに、前日、瞬が氷河と その話し合いの場を設けた時、瞬の念頭にあった“好ましくないこと”の主たる要因は、“人目をはばからず 屋外でスキンシップを図る大人たち”であって、決して “アテナの聖闘士の敵”や“地上の平和を乱す悪者”ではなかった。
そんなものが、一般人の憩いの場である都立公園の、それも 幼い子供たちのための遊具が並んでいる ちびっこ広場に やってくる可能性を、瞬は全く考えていなかったのである。


その敵――顔の無い者の一味と察せられた――は、いったい何を考えていたのか。
「パパ! マーマが来たヨ!」
よりにもよって、仕事帰りの乙女座の黄金聖闘士が、水瓶座の黄金聖闘士(と その娘)との待ち合わせ場所である ちびっこ広場の入り口に姿を現わした、まさに その時、まるで そのタイミングを見計らっていたかのように、その敵は ナターシャに襲いかかってきたのだ。

普通、攻撃というものは、敵の戦力が最も少ない時、敵の守りが最も手薄な場所を狙って仕掛けるものだろう。
にもかかわらず、黄金聖闘士が二人揃ったタイミングで、攻撃開始。
その敵は、言ってみれば、戦いと攻撃のセオリーに真っ向から反逆してきたのだ。
その上、これから本格的な冬に向かって寒さが増していこうという、それでなくても寒い この時期に、氷雪の聖闘士がいることを知らないわけでもあるまいに、その敵の技は冷却系だった。

加熱系ならいいというわけではないが、寒い時期に寒さの増す攻撃は 全く嬉しくない。
この場合、ナターシャのパパとマーマにとって 最も嬉しくなかったことは、攻撃を仕掛けてきた敵が、顔の無い者の雑魚にしては かなり強大な力を有していたことだった。
強力なだけでなく、複雑な力――凍気に 死の世界の冷たさが混じっているような、奇妙な力。
黄金聖闘士が二人 揃っていても手も足も出ない――というほどの力ではないが、それにしても、戦いのセオリーも礼儀もわきまえていない その敵の持つ力は、決して侮れないレベルのものではあったのだ。

敵の狙いはナターシャ。
そうと察した瞬が、氷河とナターシャの許に駆け寄ろうとした時(察して駆け寄るまで、1秒の時間もかかっていなかったというのに)、ナターシャは 既に その敵の力の影響下にあった。
「ナターシャ…… !? 」
氷河は、敵の力を退けたものと思っていたのだろう。
柔軟さと温かさを失ったように――まるで氷でできた人形のように――その場に微動だにせず立ち尽くしているナターシャに、氷河は少なからず 戸惑っているようだった。

「氷河、どうしたのっ。ナターシャちゃんは……」
物質だけでなく、心まで凍りつかせてしまうような奇妙な力――死の気配、虚無の気配を感じる力。
その力に雁字搦めにされて、ナターシャは動かない――ナターシャは動かなくなってしまっていた。

顔の無い者の一味にしては、強大な力を持っている。
とはいっても、所詮 黄金聖闘士の敵ではない。
実際、氷河は 数秒で その敵を倒していた――その力を消滅させていた。
だが、ナターシャを凍らせた力は ナターシャの許に留まったまま。
敵の本体が消滅しても 力の効力は残ったままだったのだ。
「瞬、蘇生できるか」
「もちろんだよ」
これは、蘇生できるか できないかという問題ではない。
蘇生は成されなければならない。
ナターシャの命の火を消すわけにはいかないのだ。

瞬は、自分の小宇宙で――低温を極めた小宇宙ではなく、高温を極めた小宇宙でもなく、温かさを極めた小宇宙で――ナターシャを包み込んだ。
ナターシャの身体、ナターシャの心、ナターシャの命。
神の域に達する力を持つ黄金聖闘士が、持てる力のすべてを込めて生き返らせようとした命が 生き返らないはずがない。
瞬の温かい小宇宙の中で、僅かに宙に浮いていたナターシャが、両手をのばして、瞬の首にしがみついてくる。

「マーマ……」
「ナターシャちゃん、大丈夫?」
「マーマ、すごく あったかいヨ……」
ナターシャは、我が身がどうなっていたのかが わかっていなかったようだった。
ただ 瞬の小宇宙に包まれているのが心地いいのか、瞬の頬に頬を 擦り寄せ、嬉しそうに笑っている。
「うふふ。ナターシャ、ふんわりダヨ。ナターシャ、楽シイ……」
言葉通りに、ナターシャは、楽しく幸せな夢を見ているように――そのまま“夢見心地”の中に引き込まれていってしまったようだった。






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