reality






クールでカッコいいパパ。
綺麗で優しいマーマ。
パパとマーマは、子供の頃から、私の自慢だった。

「ナターシャちゃんのパパって、めちゃくちゃカッコいいよねー。そんで、ママはチョーびじん。いいな、いいな、うらやましー」
「こないだ、光が丘公園の並木道を並んで歩いてるの、見た! なんか、外国の映画、観てるみたいだった。そこにだけスポットライトが当たってるみたいでさ。すれ違う人たちが、みんな 気にして、ナターシャのパパとママのこと、ちらちら見てんの。面白かったー」
「ああいうの、オーラっていうのかな。存在感があるのよね。迫力ありすぎ。周囲の空気が違う感じ」
「毎日、あんなご両親を見てたら、アンタ、いろんなことの理想が高くなりすぎて、困るんじゃないの?」
「俺、あんなのが親父だったら、絶対 自分が その子供だってことに絶望するぞ」
等々。

学校に入る前、小学校、中学校、高校、大学。
私の友だちは誰もが、私のパパとマーマは特別だって言った。
大抵の子が 私の境遇を羨ましがった。
私のパパとマーマが、私の友だちの間で話題にのぼる頻度は、他の友だちの両親の100倍くらい高かったと思う。
しかも、その言及の仕方は、何ていうか、違う世界の人――たとえば、ハリウッドの美形俳優の近況を語るみたいな感じで、つまり、近所のおじさん おばさんの噂話をする感じじゃなかった。
それくらい、私のパパとマーマは特別。
私のパパとマーマを特別扱いしない人なんて、いなかった。

星矢おじさんに紫龍おじさん、一輝おじさんたちは、パパのこと、元マザコンの現親馬鹿だの何だのって言って からかうことはあったけど、それは 気の置けない友だち同士で、信じ合ってる仲間同士だからこその軽口。
星矢おじさんに紫龍おじさん、一輝おじさんたちは、私のパパとマーマ同様、特別な世界の住人だから、そんなことが言えるの。
同じ世界の住人同士だから言える、忌憚のない意見ってやつ。
おじさんたちは パパには言いたいことを言うけど、私の友だちの大部分――女子の友だちは 一人の例外もなく――私のパパを超カッコいいって言って、羨ましがった。

私自身は、まあ、日常生活を共にしているわけだから、カッコいいだけじゃないパパの姿も見ているんだけど――寝起きの 一見無表情に見える寝ぼけた顔のパパとか、靴下を片っぽ なくして探しまわってるパパとか、マーマに叱られて しょんぼりしてるパパとか、そんなパパを見知ってるんだけど、でも、そんなパパも世界一 カッコいいって、私は思ってた。

私は、おじさん連が『ナターシャのためを思うなら、改めろ』って言うパパの親馬鹿だって、嬉しかった。
パパは、私には滅茶苦茶 甘い。
私がねだる洋服や靴は、私が可愛くなるためなら仕方ないって言って、いくらでも買ってくれる。
さすがに これはまずいって思った私の方が、おねだりを自粛するようになったのは、私が小学校3年生の時だった。
パパは、私には 滅茶苦茶 厳しい。
門限なんか、小学生の頃が5時、中学生で6時、高校生で7時だった。ありえない!
それから、パパは、すごい焼きもち焼き。
私が、パパ以外の男の子の話をすると、すぐ機嫌を悪くする。
そういうの、超迷惑! 超迷惑なんだけど、でも、なぜだか 嬉しいの。

だって、あんなにカッコいいパパが、ごく平凡な女の子にすぎない私のことを、目の中に入れても痛くないって言わんばかりの勢いで 愛してくれてるのよ。
私、どれだけ前世の行ないがよかったんだろうって思う。
私が パパの娘でなかったら、パパは私になんか目もくれないだろうってことは わかってるから。
それくらいは、わかってる。嫌でも わかる。
パパは理想が高いんだもの。
マーマ以外はNG。
マーマが合格ラインって、ハードル高すぎ。
それって、人類のほぼすべてが不合格ってことよ。
人間性、容姿、強さ。すべてが人類トップクラスのマーマ。
パパが特別扱いする人はマーマだけ。
私なんか、娘でなかったら パパにとって糸くずレベルの存在よ。

まあ、子供の頃は、パパやマーマに『ナターシャちゃんは 世界一可愛い』って、毎日 言われて、私は 素直にそれを信じてたんだけど。
でも、大人になって 広い世界を知れば、どんな うぬぼれ屋だって、それが親の贔屓目にすぎないってことが わかってくる。
「ほんと、小さな子供だったとはいえ、よく うぬぼれていられたもんだと、私、自分で自分の素直さに感動しちゃう」
マーマにそう言うと、マーマは、
「氷河の目には、ナターシャちゃんが 世界でいちばん可愛い女の子に見えてるんだよ。氷河は嘘はつかない――つけないからね。ナターシャちゃんは、氷河の世界一可愛い娘。ナターシャちゃんは、いつまでも うぬぼれていていいと思うよ」
って、微笑みながら言ってくれる。
マーマに そう言われたら、私は、そんなことないって反論もできない。

マーマは、いつだって、私の理想だった。
もちろん、今も そう。
なれるものなら なりたいけど、私ごときには 到底 至ることのできない高みにいる人。
パパが愛してる人。
綺麗で、優しくて、頭もよくて、あらゆる意味で強くて、よく言う“欠点がないのが欠点”の人でもある。
マーマは そんなことないって言うんだけどね。
大人になっても泣き虫だし、パパや星矢おじさんの我儘を きっぱり拒めなくて、押し切られてばかりの優柔不断だし――って。
マーマが優柔不断だったら、パパだって優柔不断になっちゃう。と、私は思う。
マーマに泣かれたら、パパはすぐに降参して、何でも言うこときいちゃうよ。

そう、パパはマーマにべた惚れなの。
私は、“惚れる”とか“愛する”とか“恋する”とか“好意を抱く”とかって、それぞれ微妙に内容が違うものだと思ってるんだけど、パパは 多分 それら すべての感情をマーマに捧げてる。

私は、まず間違いなく、パパ大好きのファザコン娘なんだけど、でも、絶対にエレクトラ・コンプレックスじゃあない。
私は、マーマに対抗心を持ったことはない。
私は そこまで 自信過剰じゃない。
私は、ちゃんと自分を客観視できる。
パパとマーマが仲がいいことが嬉しいっていうか、安心できるのよね、子供としては。

そんなパパとマーマの娘であるところの私は、小学校の頃は、参観日とかが すごく待ち遠しかったな。
参観日以外でも、運動会とか、文化祭とか、家族が参加するイベントが大好きだった。
中学高校では、進路懇談会や三者面談を心待ちにする、変な生徒だった。
友だちも、友だちの家族も、先生方だって 誰だって、私のパパとマーマを初めて見た時には、びっくりして、ぽかんとする。
私は、それを見るのが好きだった。
大得意で鼻高々。
自分が学校の授業についていけてるかどうかとか、運動会の順位がいいとか悪いとか、文化祭の出し物が受けてるのか受けてないのかとか、自分の進路すら どうでもよかった。
自分のことは、大抵 二の次三の次。

初めての人は、びっくり、ぽかん。
二度目以降は、溜め息混じり。
その場面を見ている私は、いい気持ち。
私が見とれられてるわけじゃないのに、私が悦に入ってどうするんだって話なんだけど。

とにかく、私のパパとマーマは、私の自慢のパパとマーマだった。
思春期になると、カッコよすぎるパパや綺麗すぎるマーマは コンプレックスの元になったけどね。
私はパパにもマーマにも似てないし。
血が繋がってないんだから 似てなくて当然なんだけど、センシティブな年頃には、その“当然のこと”だって つらい。
ちょっと危ない方向に進みかけた私を 引きとめてくれたのは、やっぱり パパとマーマ。パパとマーマの愛だった。
血が繋がってなくたって、私のパパとマーマくらい、私を愛してくれる人は他にはいない。

ああ、そう、小学校に入ってしばらくの間、私は、自分のことを『私』って呼べなくて、苦労した。
自分のことを『ナターシャ』って 名前で呼ぶのが、私の癖で 習慣で 当たり前のことになっていたから。
「パパ。ナターシャ、あの お洋服が欲しいヨ!」
「マーマ。ナターシャ、おなかへっちゃったヨ!」
「センセイ、今日の プリント配りの お当番はナターシャダヨ!」
てな具合い。

マーマに、
「ねえ、ナターシャちゃん。ナターシャちゃんは もう小学校に入るくらい お姉さんになったんだから、自分のことを『ナターシャ』って、名前で呼ぶのはやめて、『私』って呼ぶようにしようよ」
って言われても、どうして自分を『ナターシャ』って呼んじゃ駄目なのか、私には わからなかった。
聡明で 弁の立つマーマも、こればっかりは うまく説明できなかったみたい。

「だって、ナターシャはナターシャだヨ」
“ナターシャ”っていうのは、パパがつけてくれた名前。
パパのマーマの名前で、パパにとっては とっても大切な名前。
もちろん、私は 自分の名前が大好きだった。
“ナターシャ”は、ナターシャのお気に入りだったわけ。
“ナターシャ”っていう名前が、パパにとっても、ナターシャにとっても、特別で 大切なものだってことを知ってるから、マーマも、『いつまでも 自分を名前で呼んでいるのは みっともない』とか『まるで 赤ちゃんみたいだよ』とか、言いたくなかったんだと思う。

まあ、結局 私は、
「ナターシャちゃんが、自分のことを 名前じゃなく『私』って呼ぶようになったら、ナターシャちゃんも 大人になったんだなあって、氷河は感激して、泣いて喜ぶと思うよ」
って言うマーマに乗せられちゃったんだけどね。
乗せられて、パパの前で 自分のことを『私』って呼んで、パパに褒めてもらって、それ以降、私は自分のことを“私”って呼ぶようになった。
きっと、パパとマーマの間で、私が いつも自分のことを名前で呼ぶのを どうにかしなきゃならないって、話し合いがされてたんだと思う。
パパは 泣いて喜ぶ代わりに、大人になった ご褒美に、私に ブレスレットタイプの時計をプレゼントしてくれた。


マーマは、私がパパ大好き娘なことを知っていて、私に 言うことをきかせようとする時には よく、
「ナターシャちゃんが○○してくれたら、きっと氷河が 泣いて喜ぶよ」
って言ってたけど、私は泣いてるパパを見たことがない。
私が そう言うと、マーマは、
「氷河は、ナターシャちゃんのカッコいいパパでいたいから、ナターシャちゃんの前では泣かないようにしているからね」
って言って、そのあとに必ず、
「でも、きっと 氷河は、ナターシャちゃんが 誰かの お嫁さんになる時には、嬉しいのと寂しいので大泣きすると思うよ」
と続ける。

小さな子供だった頃は、パパを泣かせたくないから、小学生の頃は、パパにはカッコいいパパでいてほしいから、中学生の頃は、いつまでもずっとパパと一緒にいたいから、高校性の頃は、何だか気恥ずかしくて、大学生になってからは、パパに泣かれたら困るから、
「パパが泣くとこなんて、見たくない」
って、私はマーマに答えてた。
「だから、私は 誰かの お嫁さんになんかならない」
って。

「それはどうかな。でも、その日は、良くも悪くも氷河の最高の日になると思うよ。ナターシャちゃんに、氷河より大切な人ができて、氷河の許から巣立ち、その人のところに行く。それが ナターシャちゃんの氷河への いちばんの親孝行で親不孝。ナターシャちゃんに出会って、大人になるまで慈しみ育ててきたことの意味、意義、幸福。ナターシャちゃんの父親としての氷河の すべてが集約される日だからね、その日は」
いつものように 微笑んで そう言ってから、マーマは 私を脅してきた。

「氷河は、ナターシャちゃんの結婚には、まず 間違いなく大反対するよ。ナターシャちゃんを誰にも取られたくない氷河は、ナターシャちゃんの彼氏に あれこれ難癖をつけるし、ひどい意地悪をするかもしれない。今から覚悟してて。好きな人ができたら、その人にも 教えておいた方がいい。へたをすると、氷河は ナターシャちゃんに孫ができるまで 意地を張り続けるよ」
楽しそうに笑いながら そう言うマーマには、パパのすべてを見透かしてるみたい。
“孫ができるまで”なんて 妙に具体的で、パパの心を変えるのは 愛する者への愛だけだってことを、誰より よく知ってるマーマならではの、鋭い未来予報。ほとんど予言。
マーマは、パパのことは すべて お見通し。
私は さすがだと思ったな。






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