「ナターシャちゃん。待たせてごめんね。でも、もう大丈夫だよ。泣かないで」
「マ……マーマ……?」
「ナターシャ、泣くな。もうすぐ、このワダツミは……に倒される。安心しろ」
「パパッ !! 」
パパの言う“ワダツミ”が何なのかが気にならなかったわけではない。
だが、ナターシャは、そんなことより パパとマーマの声が嬉しかった。
パパとマーマが自分を忘れずにいてくれたことが嬉しかった。
懐かしく優しいパパとマーマの声。温かく心地良いパパとマーマの思い。
悪夢のような光景を忘れたわけではなかったから なおさら、声だけの存在になっても、パパとマーマが自分のところに来てくれたことが、ナターシャは嬉しくてならなかったのである。
そんなパパとマーマが、ナターシャは大好きだった。

「大丈夫。もう大丈夫だからね。ナターシャちゃん、もう少しだけ、この身体の中で じっとしていて。今度は、光が 光の方から ナターシャちゃんを迎えに来てくれるから」
「光が ナターシャを お迎えに来てくれるの?」
「そうだよ。とっても素敵な お迎えが来る。そしたらね、ナターシャちゃん。恐かったことは全部 忘れて。僕たちのことも忘れて。ナターシャちゃんは これから きっと幸せになれる。僕たちとナターシャちゃんが出会った時と同じように、ナターシャちゃんは もう一度、僕たちと出会うんだよ」
「マーマ……ナニ言ってるの……?」

『僕たちのことも忘れて』
マーマは、いったい何を言っているのか。
なぜ そんなことを言うのか。
なぜ そんな無理を言うのか。
ナターシャは、世界が滅んだ時より 混乱した。
「ナターシャは忘れないヨ! パパのこともマーマのことも、ナターシャは忘れナイ。ドーシテ、そんなこと言うノ。やっと会えたのニ! ナターシャは……ナターシャは もう一人ぽっちは嫌ダヨ! ナターシャは もうずっとパパとマーマと一緒にいたいヨ!」

忘れずにいたから、信じて諦めずにいたから、こうして再び会えたに違いないのに、マーマは なぜそんなことを言うのか。
そんなことはあってはならない。
そんなことをマーマが言うはずがない。
お利口なマーマでも、時には間違ってしまうこともあるだろう。
ナターシャは 混乱し、パパに助けを求めた。
「パパ!」
パパに、『マーマを叱って』と言うことはできない。
ナターシャに言えたとしても、パパには マーマを叱ることはできないだろう。
だが、だからといって、マーマの言いつけに従うこともできずに――従いたくなくて――ナターシャはパパを呼ぶことだけをした。

「ナターシャ……」
パパがナターシャの名を口にする。
懐かしいパパの声の響きに、ナターシャの瞳の涙が熱くなる。
ナターシャの予想通り、パパは、マーマの言うことを聞くように、ナターシャに言った。
「瞬の言う通りにしろ。俺たちのことは忘れて、幸せになれ。そうなっても、俺と瞬は 永遠にナターシャの側にいる」
「パパ! マーマ!」
パパとマーマが消えていくのが、ナターシャには わかった。

「ナターシャちゃん、さようなら。僕の氷河に幸せをくれて、ありがとう」
「マーマ……!」
「ナターシャ……」
口下手のパパは、いつも言葉が少ない。
だが、だからこそ、ナターシャにはわかるのだ。
パパが どんなに自分を愛してくれているか。
どんなに 自分の幸せを願ってくれているのかが。
「パパ!」
「ナターシャ。ありがとう」
口下手なパパの、それが 精一杯の『さようなら』、そして『愛しているよ』だった。






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