瞬は綺麗で可愛くて、いつも みんなに『女の子みたいだ』と言われていた。 城戸邸にいる悪ガキ共は 多分、瞬を褒めてるつもりはなくて、どっちかといえば 馬鹿にしてるんだけど、それは俺には褒め言葉だった。 瞬が女の子みたいだってことは、瞬がマーマに似てるってことだ。 マーマは“女の子”じゃなく“女の人”だったけど。 マーマは、俺が知る限りで、いちばん綺麗な人間だった。 俺は、瞬も綺麗だと思う。 目も唇も頬も髪も手も、話し方も 話す内容も、瞬は綺麗だ。 綺麗だから、信じられない。 俺は 瞬が綺麗なことや 優しいことは信じられるけど、瞬が俺を綺麗だと言う、その言葉は信じられなかった。 瞬が口にする言葉は信じられないけど、信じられなくても、好きになることはできる。 瞬は、汚くて可愛げのない厄介者で狂犬病の野良犬みたいな俺を避けずに 側にやってきて、笑いかけてくれた。 そして、俺のために優しい嘘をつく。 「どうして そんなこと言うの。氷河は鏡を見たことがないの。氷河は綺麗だよ。前にも言ったでしょ。日本語を話せないと思ってたせいもあるけど、みんなは、氷河が綺麗すぎるから 遠巻きにしてただけだろ。綺麗なお花に 変なことして、間違って枯らしちゃったら悲しいでしょ。それが恐くて、側に来れなかっただけなんだよ」 「氷河は綺麗だよ。氷河の目は、恐いくらい綺麗だけど 優しいよ。きょうけんびょうが何なのかは知らないけど、氷河は そんなんじゃないよ」 優しい瞬は、毎日 俺のために嘘をついてくれた。 まるでマーマみたいに。 だから 俺は どんどん瞬を好きになって、そして、ますます瞬の言うことを信じられなくなっていったんだ。 「俺は、好きな人の言うことは信じない。瞬の言うことは信じない。嘘に決まってるから。瞬は優しいから、嘘を言うんだ」 俺は、瞬みたいに優しくないし、可愛げがなくて汚い野良犬だから、嘘は言わない。 俺は、ほんとのことしか言わない。 「好きな人?」 俺が ほんとのことを言うと、瞬は嬉しそうに ほっぺをピンク色にした。 それから、困ったように眉を寄せる。 「僕も氷河を好きだよって言っても、氷河は信じてくれないの? 氷河は それも疑うの?」 俺はもちろん信じない。 『綺麗』は信じないのに、『好きだ』は信じるなんて、そんなの変だから。 「嘘に決まってる。信じない」 「どうして 信じてくれないの? どうしたら 信じてくれるの?」 「信じる必要なんかない。瞬が俺を好きだというのが嘘でも、俺が瞬を好きなことに変わりはないから。俺は、優しい人の言うことは信じない。好きな人の言うことは信じない。俺は、嫌いな奴の言葉しか信じない」 「そんな……。僕、氷河に嫌われるのは嫌だよ。僕は氷河が大好きなんだもの」 そう言う瞬が すごく悲しそうで、俺の心臓は きりきり痛んだ。 俺は、瞬の言葉を信じたいのに、瞬が優しいから信じられないんだ。 瞬に、『どうしたら 信じてくれるの?』って訊かれた俺は、ついうっかり、『マーマみたいにキスしてくれたら』と言いそうになった。 だって、上目使いに泣きそうな目で そう訊いてくる瞬が すごく可愛かったから。 俺は 汚くて優しくない野良犬だから、嘘は言わなかったけどな。 キスしてもらえたって、俺はマーマの言葉を信じられなかったじゃないか。 可愛い氷河。私の天使。 あなたは、私の宝。私の希望。私の幸せ そのもの。 あなたは、誰より美しい。 そう言って、マーマは俺にキスしてくれたのに、俺はマーマの言葉を信じられなかった。 「信じられないんだ。優しい人は、優しい嘘をつくから」 俺は悲しかった。 瞬を信じてやれないことが悲しかった。 悲しくて――泣きそうになった。 瞬が うんと意地悪で嫌な奴だったら よかったのに。 そしたら 俺は、瞬の言うことを信じることができたのに。 歯を食いしばり 唇を引き結んだ俺の顔を、瞬が見上げ、見詰める。 瞬は綺麗で可愛くて、目が特に綺麗で、その綺麗な目が 俺をじっと見詰めて、何か考えてる――? うん。何か考えてる。 しばらくしてシンキングタイムが終わって、瞬は俺の前で 首をかしげた。 「氷河のマーマは、氷河に好きって言わなかったの? 言われても、氷河は信じなかったの?」 「え?」 マーマが俺に『好き』って言わなかったのかって? それは何度も言ってくれたさ。 何度も言ってくれた。 『氷河、大好きよ。愛してるわ』って。 俺は、マーマが俺を『可愛い』とか『綺麗』とか言うのは信じられなかったけど、『愛してる』は信じられた。 だって マーマは、俺のために死んだんだ。 俺を守るため、俺を生かすために死んだんだ。 マーマの『愛してる』が嘘だったら、マーマは嘘のために死んだことになる。 そんなのは、いくら何でも ありえない。 「言ってくれた。信じてる。だって、マーマは俺のために死んだんだから」 「じゃあ、僕も氷河のために死んだら、氷河は、僕が氷河を好きな気持ちも信じてくれる?」 「駄目だっ !! 」 俺は大声で叫んで――いや、大声で怒鳴りつけて、そして 瞬を抱きしめてた。 死ぬことが どんなことか、瞬は きっとよくわかってないんだ。 だから、そんなことを平気で言うんだ。 死ぬってのは、死ぬってのは――嘘も言えなくなることなんだぞ! 瞬を、ぎゅっと抱きしめて、俺は半分 泣いてしまってたかもしれない。 マーマだけじゃなく 瞬まで 俺に嘘をついてくれなくなったら、呼んでも返事をしてくれなくなったら、『好きだ』って言葉を信じられるようになっても、悲しいだけ。 信じられることが、かえって悲しくなるだけじゃないか。 「駄目だ! 死んじゃ駄目だ! おまえは死ぬな!」 俺に急に抱きしめられても、瞬は あんまり驚いてないみたいだった。 驚くどころか、多分 俺の空耳だと思うけど、小さくて短い笑い声を洩らした。 それから、俺の胸の中で頷いて、 「僕は死なないから、僕が氷河を好きなこと、信じてね」 と言った。 「僕は氷河のために生きるから」 って。 俺は――俺は、瞬の『好き』を信じると約束するしかなかったんだ。 だって、俺は 瞬に生きててほしかったから。 嘘でも 瞬に 俺を好きだって言っててほしかったから。 「わかった。信じる」 そう答えた 次の瞬間、俺は、俺より狂犬病ぽい男に 襟首を掴まれ、瞬から引き剥がされ、殴りつけられてた。 「瞬が 貴様と仲良くしたいって言うから 大目に見てやってたのに、急に瞬に抱きつくとは、どういう了見だ、貴様!」 瞬が狂犬を止めようとしてたけど、他の奴等が その瞬を押しのけて、俺と狂犬の周りを取り囲んで、『もっとやれ』だの『手加減するな』だのと囃し立ててきた。 「一輝の奴、そろそろ爆発する頃だと思ってたんだ」 「瞬が、ここのところ、『氷河、綺麗』や『氷河、大好き』ばかり言ってたからな」 「一輝の圧勝かと思ってたら、あの金髪、なかなかやるじゃん。蹴りが まともに入った」 「いや、しかし、一輝は一輝だけある。パンチが重い。あれが腹に入ったら、きついぞ」 「瞬が『氷河、綺麗』『氷河、綺麗』ばっかり言うから、鬱憤がたまってたんだろーな」 「一輝は、どう見たって、『綺麗』ってタイプじゃないからなあ」 一輝とかいう奴に 殴り殴られ、蹴り蹴られながら、嫌いな奴のことなら 信じられる俺は、無責任に囃し立てる野次馬たちの大声に感謝していた。 こいつらの言うことなら、疑いなく信じられる。 瞬が、俺を『綺麗だ』と言ってくれてたこと。 俺と仲良くしたいって言ってたこと。 好きじゃない奴等の言葉なら、俺は信じられるんだ。 一輝を殴ったり殴られたりしながら、俺のテンションは最高レベルにまで上がって、マーマが死んでから初めて、すごく久し振りに、俺は幸せな気分を味わっていた。 |