「先生。先生は、アンドロメダ座の聖衣のありか――それが犠牲の岩の近くの海底に安置されていることを ご存じだったんですよね? サクリファイスを実行するため、聖衣を海底から引き揚げたのは 先生だったんですから。先生は、聖衣と一緒にあるもののことも ご存じだったんですか」
僕が 僕の先生に尋ねたのは――あれがエティオピア王家の財宝であるなら、その所有権は、エティオピアの国王ケフェウス座の聖衣を まとう僕の先生にこそあるのじゃないかと思ったから。
アルビオレ先生は、微笑んで、
「何のことだ」
と言った。

先生は、そう“言った”。
僕の質問に“答えた”のではなく、“問い返してきた”のでもなく、ただ、そう“言った”。
先生の微笑みは、サクリファイスに挑み、打ち勝ち、アテナの聖闘士になった僕への――僕を、自分と同じ聖闘士と認めた上での信頼が作った微笑みだったんだと思う。
あの時の僕には まだ わかっていなかったけど、今なら わかる。
先生は、アテナの聖闘士として、アテナの聖闘士である僕を信じ、僕の判断と決定を信じていてくれたんだ。

「瞬。価値あるものは――価値観というものは、人それぞれに違う。場所によっても、時代によっても、それは異なる。力にこそ価値がある思う者もいれば、人間――人脈にこそ価値があると考える者もいる。人が価値を置くものは、知識であったり、正義であったり、財であったり、血であったり、愛であったり、命であったり、それは本当に 人それぞれだ。何に価値を置くかで、その人間がどういう人生を送るのか、幸福になれるのか否かが決まる。瞬。選び間違えないでくれ」
「はい」
先生は知っていた。――と思う。
だけど、先生には それは価値のないものだったから、そうしようと思えば自分のものにもできた“それ”を、先生は我が物にしなかったんだ。
アルビオレ先生にとって 最も価値のあるもの――それは 何だったんだろう。
確かめることは、もうできない。


その微笑が、自分が育てた弟子への信頼によって築かれたものだということも わからないほど、あの時の僕は未熟な人間、未熟な聖闘士だった。
でも、僕は先生の いい弟子でいたかったし、実際 わかったような気がしていたから、先生に頷いた。
本当は、まるで わかっていなかったのに。
あの時、もっと謙虚な気持ちになって、先生に教えを乞うていたら、僕の迷いは 少しは減じていたんだろうか。
減じていなくても、もっと 先生の教えを仰いでおけばよかった。
後悔の念は いつも、取り返しのきかない状態になってから生じる。

僕は、それまで、僕みたいな孤児が 世界の平和の実現に寄与しようと思ったら、アテナの聖闘士として、尋常の人間には持ち得ない力を手に入れるしかないと――道は、その一つしかないと思っていた。
なのに、僕は、たった一つの道を行くためにアンドロメダ座の聖衣を己が手にした途端、アテナの聖闘士として戦うのとは別の、もう一つの道を行く手段をも手に入れてしまったんだ。

聖闘士として戦うより、アンドロメダ島の財宝で――身も蓋もない言い方をするなら、お金の力で ――何かをする方が、この世界から不幸な子供たちを減らしたいっていう、僕の願いを叶えるには有効な気がして――そういう やり方もあると気付いて、僕は それを日本に持ち帰ったんだ。
アンドロメダ島の周辺には、貧しさから 暴力で船の積荷を奪う海賊に身を落とした人たちが多くいた。
力を示して、代価を与えれば、彼等は 大抵のことをしてくれた。
聖闘士としての力を示し、彼等が海賊をやめても 一生 家族を養っていけるくらいの代価を渡して、僕は彼等にアンドロメダ島の財宝をアフリカ本土まで運んでもらい、それらを お金に変えるルートを確保した。
市場には、宝石の価格が暴落しないように、用心して小出しにしたつもりだ。

アンドロメダ島の財宝の総額は、おおよそ500億ドル――日本円で、約5兆円。
世界一の資産家の個人資産は1000億ドル――10兆円ほどだというから、僕は、世界の資産家十傑に やっと滑り込めるくらいの資産家になったということになる。
あの時、僕は、5兆円あっても世界一の お金持ちではないんだと、その事実にこそ驚愕した。






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