『恋をしてはならない』 瞬に そう命じたのは、冥府の王ハーデスなのだそうだった。 俺が瞬に救われ、瞬に再び会うために聖域に行って 数年が経った頃。 今より血気盛んで無分別な王だった瞬の兄が、エティオピアの王として 歴史に名を残すような偉業を成し遂げたいと、傍迷惑かつ身の程知らずな野望を抱いたのが、事の始まり。 それは、王としての職務に意欲的で向上心があるということで、決して悪いことではないんだが、一輝の場合、そのために採った方法がまずかった。 奴は、自分が強いことと自国の軍が強いことを混同していたんだろうな。 自分が強いから、自分の国の軍隊も強いと思い込んだ。 そして、ギリシャでも アテナイと並ぶ強国スパルタに戦を仕掛け、玉砕して、死んでしまったんだ。 “死にかけた”じゃない。 “死んだ”だ。 自分が仕掛けた戦の無謀に気付き、自国軍が全滅する前に、兵たちが撤退する時間を稼ぐために、一輝は 一人でスパルタ軍に立ち向かい、そして、見事に その目的を果たして 死んでしまった――らしい。 兄の死は、戦を始めようとする兄を止めることができなかった自分のせいだと悔やんだ瞬は、冥府の王ハーデスに 兄の助命を願い、冥府の王ハーデスは、条件付きで、瞬の願いを叶えることを承諾したのだそうだった。 『人間などという醜悪なものに恋をすることなく、生涯 誰とも 結ばれず、心身を清らかに保ち、 そうして余だけを思うと 誓え。余に そなたの一生を捧げると誓うなら、余は そなたの兄の命を助けてやろう』 それが瞬の兄を生き返らせるために、冥府の王ハーデスが瞬に突きつけた条件。 瞬にとっては唯一人の肉親、エティオピアにとっては 唯一人の国王。 瞬は、ハーデスの提示した条件を飲んだ。 そうして 瞬は、“恋をしてはならないもの”になった――のだそうだった。 『なんで、一輝なんかのために!』と、俺は思うが、当時 やっと10歳を幾らか超えたばかりだった瞬には 他にどうすればいいのかも思いつかなかったんだろう。 悪いのは、瞬じゃない。 瞬を そんな窮地に立たせた瞬の兄貴だ。 「では、3日と置かずに万神殿に通っているのは――」 恋の成就を祈るためではなかったのか。 「万神殿の地下に――ハーデスは 地下世界を司る冥府の神なので、祭壇も地下にあるんです。どう作っても気に入らないらしくて、彫像はないんですけど、数日 祈りに行かないと、ハーデスの機嫌を損ねるので――」 何が、『数日 祈りに行かないと機嫌を損ねる』だ! 大馬鹿兄貴といい、恋愛禁止なんて ふざけた条件を 突きつけてくる冥府の王といい、瞬の周囲に まともな男はいないのか、いったい! とにかく一輝だ。 元凶は一輝だ。 あの男が生きているせいで、瞬は俺の腕の中に飛び込んでこれずにいるんだ。 瞬は、俺の何が気に入ったんだか、俺を好きでいる――少なくとも、好きになりかけてくれているようなのに! 俺を見詰める瞬の瞳が潤むようになっていたのは、そういうことだったんだ。 ハーデスとの約定がある限り、瞬は 人間に恋することが許されない。 恋は、『しない』と決めて、せずにいられるものではないのに! かわいそうな瞬。 兄貴が大馬鹿野郎だったばっかりに。 助平な変態神に目をつけられてしまったばっかりに。 瞬を、兄とハーデスから解放し、恋する自由を取り戻してやるのは、俺の務めだ。 そのために、俺は瞬に出会ったのだと、今なら わかる。 やはり、俺と瞬は、出会うべくして出会った 運命の恋人同士だったんだ。 勝手に一人で そう決めつけて(一応、“勝手に一人で”という自覚はある)、俺は 即座に その足で、一輝の許に向かった。 |