彼女の名は、三ツ橋マヤ。 瞬は70代と見立てていたが、まだ60代だった。68歳。 少し前まで、福島と茨城の県境にある小さな町で、夫君と暮らしていたのだそうだった。 娘が一人いたのだが、高校を卒業し、東京の短大に入学するために上京、娘は そのまま東京の企業に就職した。 上京から10年後に、東京で結婚。 もう娘は生まれ故郷には帰ってこないのだろうと、寂しい気持ちで思っていたが、娘が幸福であるなら、それを阻むつもりはない。 子供を育て終えた夫婦らしく、二人で穏やかに 残された時を過ごしていこうと考えていた。 老夫婦の心配事は ただ一つ。 結婚した娘夫婦に なかなか子供ができないこと。 娘も その夫君も子供を望み、不妊治療にも積極的に取り組んだのだが、長いこと 成果は得られなかったらしい。 若夫婦の努力が ついに報われたのは、結婚から9年後。 高齢出産になったが、娘は無事に 健康で可愛らしい女の子を産むことができたのである。 その時には嬉しくて――初孫ができたことも もちろん嬉しかったが、それ以上に 娘の苦労が報われたことが嬉しくて涙が出た――と、三ツ橋夫人は言った。 安堵もし、三ツ橋夫妻は 夫婦揃って上京し、娘をねぎらい、初孫を抱いた。 初めての孫。 可愛らしい女の子。 もちろん、娘の夫君の両親も大喜びで、嫁の“お手柄”を繰り返し褒めてくれたのだそうだった。 二組の おじいちゃんとおばあちゃんは、互いに争うように、初孫への愛情を示そうとしたらしい。 都内在住の夫君側祖父母と、福島在住の娘側祖父母では、孫までの距離がある分、三ツ橋夫妻の方が かなり不利ではあったのだが。 ところが、念願の子供を授かって 1年もしないうちに、乳飲み子を残して娘が事故死。 表向きは事故ということになっているのだが、実際は 育児ノイローゼによる鬱を発症し、ほとんど自殺というしかない状況だったらしい。 三ツ橋夫妻は福島在住で、衣料や雑貨、食品等、月に一度は何かを送り、娘の家庭を気に掛けてはいたのだが、娘と一緒にいてやることはできなかった。 都内在住の夫君側の両親も、孫を可愛がることはしたのだが、孫の面倒を見ることまではしなかったらしい。 夫は仕事で忙しく、子供の養育は ほとんど母親一人のワンオペ状態。 念願の子供を授かったというのに、たった一人で、彼女は 少しずつ病んでいったのだろう。 娘の自死で すっかり気落ちした三ツ橋夫人の夫君は、命の蝋燭を細く削るようにして 日々を過ごしていたが、昨年末 ついに その命の火が消えてしまった。 慈しみ育ててきた一人娘と 長年連れ添った夫を 立て続けに失って一人きりになり、ぼんやりしていた彼女は、数日前、家の庭で、おそらく今年最後と思われる一匹の蛍が発する か弱く青白い光を見た。 それまで、ただ ぼんやりと一人きりの日々を過ごしていた彼女は、そのただ一つの小さな蛍の光によって、自分は蛍と違い、天涯孤独ではないことを思い出したのだそうだった。 そして、その事実を思い出した途端、矢も楯もたまらなくなって、孫娘に会うために、彼女は電車に飛び乗った――。 娘の死の事情が事情だっただけに、いたたまれなさと申し訳なさが先に立ち、訪ねることをためらっていた娘婿のマンション。 そこで、彼女は、2歳にもなっていない小さな子供を抱えて さぞかし苦労しているのだろうと案じていた娘婿に、再婚が決まったことを知らされたのである。 その上、幼い子供には実母のことを思い出させず、できれば忘れさせて、新しい夫婦の子供として育てていきたいから、もう会いに来ないでくれと言われてしまったのだそうだった。 それから どこをどう歩いて、あの公園で倒れることになったのか、記憶は ほとんど飛んでいるらしい。 「母親ならともかく、祖母では――それも、育児鬱で自殺するような娘を育てた親では、孫に会う権利もないということでしょうか……」 彼女は、涙ながらに瞬に訴えてきた。 彼女の境遇には、瞬も心から同情したのである。 大切な一人娘と長年 連れ添った伴侶を失い、今また 娘の忘れ形見である初孫を失おうとしている彼女の孤独を思うと――その孤独を我が身に置き換えると、瞬は心が震えた。 同時に、そんな苦しい大人の事情を、ナターシャのいるところで話してほしくないとも思ったが。 「私、小さな頃は、娘に何でも作ってやったんです。シャツ、ブラウス、上着、エプロン、パジャマ、リボン、手提げカバン、お弁当入れ――。孫にも作ってやりたいと、裁縫箱と携帯ミシンも持ってきたのに、わざわざ作ってくれなくても、そんなのは 洒落た上等のものをネットで いくらでも買えるんだそうです……」 彼女の大きなボストンバッグの中には、そんなものが入っていたらしい。 彼女の孫への愛情は真実のものなのだろうし、その愛情表現の方法は この上なく上質上等のものだとも思う。 しかし、幼児の父親の言い分もわかるし、三ツ橋夫人の愛情表現に 微かに 独りよがりの気配を感じるのも事実なのだ。 「実の娘が産んだ、血の繫がった孫なのに――娘の忘れ形見なのに、本当にもう会えないんでしょうか……。娘を助けてやることもできず、孫に会うことも禁じられて、私は これから、たった一人で生きていかなきゃならないんでしょうか……」 嘆く三ツ橋夫人に どんな言葉をかけてやるべきか――。 その言葉を探しあぐねていた瞬に先んじて“言葉”を見付けたのは、できれば聞かせたくない大人の事情を聞かされてしまったナターシャだった。 ナターシャは、瞬の心配をよそに、明るく屈託なく、 「おばあちゃんが 一人が嫌なのなら、ナターシャが、毎日、お見舞いに来てあげるヨ!」 と、病室には あまりふさわしくない力強い声で言ってのけたのだ。 「ナターシャちゃん!」 ナターシャの優しさが、孫娘に会えない祖母の悲しみを かえって深くしてしまうのではないかと案じて、瞬は、半分 たしなめるような声で ナターシャの名を呼んだ。 だが、ナターシャの提案を聞いた三ツ橋夫人の瞳は、意外にも嬉しそうな輝きを帯びたのである。 「ナターシャちゃん、本当に?」 彼女は 心の中にぽっかりと開いた穴が 代わりのもので少しでも埋まるのなら、それでよしとするタイプで、代わりのもので傷口が更に開いてしまうタイプの人間ではないようだった。 |