「俺は自分の幸福のために、多くの人を犠牲にした」
「それが何。ううん、それが とても重要な事実だからこそ、氷河は幸せでいなきゃならないんだよ。どんなにつらくても、どんなに悲しくても、どんなに後悔が募っても。そんなふうに ぐずぐず落ち込んでいる暇があったら、ナターシャちゃんに新しい漢字の一つでも教えてあげて」
「瞬……」
瞬の声音が厳しくなるのは、氷河が責められたがっていることが、瞬には わかっているからである。
にもかかわらず、厳しい口調が長く続かないのは、結局は 瞬も、アイザック同様 氷河のために死ぬことのできる人間だからだったろう。
氷河の周囲には、そういう人間が多すぎるのだ。
氷河にとっては、もしかしたら 不幸なことに。

「みんな、わかっているよ。氷河がいちばん つらいんだってことは」
「つらくなどないんだ。いつも忘れて、ナターシャとおまえと笑っている。俺は――」
「我儘なくせに、我儘になり切ることもできない。中止半端で困った氷河」
「すまん」
瞬の胸で 項垂れると、瞬は 大きな子供のような氷河の髪を撫で、その髪に唇を押し当てた。
押し当てた唇の動きで、微苦笑を浮かべていることを 氷河に知らせる。
「みんなは、氷河のそういうところが好きなんだと思うよ。生き延びるということは、幸福になるということは、そういうこと。幸福っていうのは、喜びであると同時に、贖罪で、厳罰で、拷問で――氷河は 幸福に耐えて、生きていかなきゃならない。それが氷河の務めだ」

氷河が『嫌だ』と答えられないのは、現在の彼が まさにアイザックの犠牲によって生かされ、アイザックの力によって守られた幸福の中にいるからだった。
彼の犠牲によって守られたナターシャの命を守るために、氷河には、死や絶望という安易な道に逃げることは許されないのだ。
何があっても生きていなければならない。
何があっても幸福でいなければならない。
瞬の言う通り、それは生という牢獄の中で科せられる、幸福という名の刑罰なのかもしれなかった。






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