「おまえ、いったい 何をしたんだ」 星矢に問う氷河の口調は、天馬座の聖闘士が人様に恨まれるような何事かをしでかしたのだと決めつけている人間のそれ。 星矢は、むっとして、手にしていた脅迫状をラウンジのセンターテーブルの上に放り出した。 「何にもしてねーよ。正義の味方の仕事以外」 氷河は、星矢の言葉を信じていない目、顔、態度。 星矢は、派手に口を尖らせた。 「地上の平和を守るために、命をかけて戦って、こんな お礼状をもらうなんて、まるで 割に合わない。沙織さんは沙織さんで、俺たちの監視を強化するとか何とか、意味わかんねーこと言い出すし、もう、いいよ。アテナの聖闘士なんて 報われない仕事なんか、今日を限りに やめてやる!」 手紙を放り出してから、我が身をソファの背もたれに投げ出した星矢を、 「馬鹿なことを言わないでちょうだい」 と なだめたのは、畏れ多くも 知恵と戦いの女神アテナその人。 彼女は ちょうど、これまで防犯カメラを設置していなかった青銅聖闘士たちの居住棟の廊下にネットワークカメラを設置する計画の説明に来ていたところだった。 監視カメラなど設置不要と言う氷河と、監視カメラではなく防犯カメラだと主張する沙織の間で、さきほどから侃々諤々の討論が行われていたところだったのである。 そんな討論など どうでもよかった星矢が、退屈しのぎに 自分宛ての封書を開け、素っ頓狂な声で 二人の討論を中断させることになったのだった。 「こんなの、何かの間違いに決まってるから、気にすることないよ」 と瞬に言われた星矢から、 「脅迫状が 間違いで送られてくることなんてあるのかよ?」 という、実に素朴な質問が発せられる。 「それは……郵便番号をちょっと書き間違えて、本当は よその家に届くはずだった手紙が 城戸邸に届いたとか――」 可能性として起こり得る“間違い”を口にしかけた瞬は、その“間違い”を 最後まで言うことができなかった。 何かの間違いだったとしても、それが物騒なことで、これが物騒なものであることに変わりはない。 脅迫状が脅迫状である限り、届く場所が違っていても、それは 平和な事態でも良好な事態でもなかったのだ。 「せいやという名は、星の矢と書くと、俗に言うキラキラネームだが、別の漢字なら、人名としては よくある名だ。城戸邸近辺にも“せいやさん”は何人もいるだろう。だが、郵便物の誤配という可能性は小さいのではないか」 紫龍は いかなる他意もなく、努めて公正に 客観的に、瞬のいう“間違い”の可能性について考察し、意見を述べただけだったろう。 星矢も、その考察自体には異論はなかったらしかった。 彼が引っ掛かったのは、“星矢”が“俗に言うキラキラネーム”という点。 いわば枝葉末節、本筋とは関係のないところだった。 「俺の名前がキラキラネームなら、おまえのだってそうだろ。紫龍も、それから氷河も、立派なキラキラネームだぜ。瞬は違うけど」 枝葉末節で 本筋とは関係のない、いわゆる些事に、紫龍が律儀に反論してくる。 ただし、その反論は まともな反論にはなっていなかった。 「俺は、生粋の日本人なんだが、どういうわけか中国人と誤解されることが多くてな。しかも どういうわけか、大抵の人が 俺の名を中国人の名前としては普通のものと思ってくれる」 だから、自分の名はキラキラネームではない――というのが、紫龍の主張。 そして、 「俺の名は、日本語の響きや漢字に興味を持ったガイジンによる、憧憬からの命名ということで、好意的に見てもらえているようだ。無分別な日本人の誤った目立とう精神による命名と思われることはない」 というのが、氷河の言い分。 だから、自分たちの名はキラキラネームではないと言い張る紫龍と氷河に、星矢の口許が引きつる。 星矢は すぐさま、二人への反撃に及ぼうとした。 星矢がそうしなかったのは、 「キラキラネームに分類されるかどうかなんて、どうでもいいじゃない。星矢って、素敵な名前だもの。綺麗だし、夢があってロマンチックだし、響きも意味も星矢にぴったり」 と、瞬が言ってくれたからだった。 どんな理由を こじつけようと、所詮はキラキラネームの二人が言うことなど、瞬(キラキラネームではない)の発言の10分の1の重みもない。 逆に言うなら、その発言に 氷河や紫龍のそれの10倍の重みを持つ瞬に、名前を褒められて、星矢は ころっと機嫌を直したのだった。 名前のことで 星矢をからかうのは、藪を突いて蛇を出すことになりかねない。 そう悟った氷河と紫龍もまた、素早く話を本筋に戻した。 「届ける家を間違えたり、届ける相手を間違えたのであれば、そっちの方が問題だぞ。星矢なら、誰に どんな脅しを受けても恐れる必要はないだろうが、一般人なら、それこそ警察に届け出るレベルだ」 「脅迫者が 脅迫状を送りつける家や相手を間違えているということはないだろう。普通の個人宅は、大口事業所郵便番号を持っていない。大口事業所郵便番号を持っている大きな事業所では、普通、『せいや殿』だけでは 郵便物は届かない。この脅迫状は、城戸邸にいる星矢だから、届いたんだ。当然、城戸邸にいる星矢に送られたものだろう」 「……そうだね」 名前は奇抜だが、氷河と紫龍の言うことは至って常識的である。 二人の意見に反論できなかった瞬は、細い溜め息を洩らした。 「防犯カメラや赤外線センサーや……城戸邸は、個人宅としては最高レベルのセキュリティシステムで守られてる。ドローン対策も万全、紙飛行機だって入り込めない。そんなふうに セキュリティ完備の城戸邸では、むしろ正規ルートを経由して正面から来られると、こんな 人の心を傷付ける手紙も 普通に届いてしまう。皮肉なことだね」 危険な爆発物でも毒物でもなかったから、普通に城戸邸のプライベートエリアまで届いてしまった脅迫状。 爆発物でも毒物でもないから、身体に危害は加えられないが、攻撃的な言葉に、人の心は傷付くし、恐怖や不安にも襲われる。 セキュリティシステムをどれほど 厳重なものにしようと、それは決して“完璧”にはならないのだ。 沈んだ口調で セキュリティシステムの不完全性について言及してから、瞬は はっと我にかえった。 沙織は、城戸邸の オフィシャルなエリアだけでなくプライベートエリアにもネットワークカメラを設置することを考えて、アテナの聖闘士たちの意見を聞くために このラウンジにやってきていたのだ。 瞬自身は、カメラの設置に賛成でも反対でもなかった。 その件に関しては、意見がなかった――殊更 反対するつもりはなかった。 にもかかわらず、反対意見としか とれないことを言ってしまった自分に気付いて、瞬は少し気まずい気持ちになったのである。 瞬の その気まずさを吹き払うように、星矢が 大声を張り上げる。 「とにかく、俺は、こんな脅迫状を送りつけられるようなことはしてない! お礼状や感謝状が送られてくるようなことなら、いっぱいしてるけどな。道で難儀してるおばあちゃんの荷物を持ってやったり、落とし物を届けたり、迷子猫を見付けてやったりしてさ。最近、瞬と一緒に出掛けることが多かったから、俺は 瞬に付き合って、いいこと いっぱいしてる。そんな正義の味方を脅迫してくるってことは、この脅迫状の送り主は 間違いなく極悪非道の大悪党ってことだ。しかも、直接 攻撃してくるわけでもなく、手紙で『死ね』なんて、臆病者の卑怯者。話になんねー!」 「確かに、防犯カメラでは、郵送されてくる脅迫状を排除することまではできないわね。カメラの件は、私も無理にとは言わないわ。防犯カメラの設置ポイントを増やすことは、警備会社からの提案なのよ。あちらも商売、減らすことを提案してはこないでしょうしね。ただ、考えておいて」 全くの別件だったカメラの増設計画と 星矢への脅迫状の件が 微妙に重なる内容だったせいで、かえって話が滞ってしまった。 沙織も 本心では、カメラの追加設置を絶対に必要なものとは思っていないのだろう。 『考えておいて』 とだけ言い置いて、多忙な彼女は ラウンジを出ていった。 |