「え? その手って、何のこと?」
“その手”とは どの手なのか、そもそも 氷河は何のために“その手”を使おうとしているのか。
相変わらず 言葉が足りない氷河に、瞬は尋ね返した。
ナターシャの口許についたケチャップをナプキンで拭いてやってから、氷河は、“その手”がどの手なのかを語り始めた。
「もちろん、俺の仕事のことだ。仕事を 昼の仕事、夜の仕事と区切るから、支障が生じるんだ。ドビュッシーのように 自由業にすればいい。朝も昼も夜も家にいれば、俺は いつでもナターシャと遊ぶことができる。瞬。俺は転職するぞ!」
「は?」

チキンライスを作りながら、美しく切ない“月の光”の旋律を聴きながら、氷河は そんなことを考えていたのだろうか。
氷河の突拍子のない言動には慣れているが、だから、それらを常に冷静に受けとめることができるかというと、それは乙女座の黄金聖闘士にも無理な話。
瞬は、深く長い溜め息を洩らした。
「氷河、転職するなんて、そんなこと、簡単に言わないで。蘭子さんに、なんて言うの」
「なに。ママには、シュラと一輝あたりを、人身御供として差し出せばいい。絶対、俺より一輝の方が、ママのタイプだ。ママは喜んで、俺への退職金も弾んでくれるだろう」
「馬鹿なことを……」
水瓶座の黄金聖闘士、氷雪の聖闘士だからこそ、バーテンダーをしていられるのである。
獅子座の黄金聖闘士、紅蓮の炎の聖闘士が作る沸騰したマディーニなど、誰が飲みたいと思うだろう。

「自由業は不自由業だよ。ドビュッシーも、可愛いシュシュちゃんのお洋服や玩具代を稼ぐために、頻繁に演奏旅行に出なきゃならなくて、出張先から何通もシュシュちゃんに『会えなくて寂しい』って訴える手紙を出している。自由業が 時間に縛られず、外出もしなくていい仕事だと思っているのなら、それは大間違い」
「なら、音楽家でなく、画家や小説家にしよう」
「画家だって、モチーフを探してスケッチ旅行に出たりするでしょう。小説家だって、取材旅行に行かなきゃならないことはあると思うよ」
「おまえとナターシャという最高のモデル、最高のモチーフがあるのに、モデルやモチーフを探しに外に出る必要はない」
「氷河、本気で言ってるの……」

氷河は、常に本気しかない男。
常に本気すぎるから、その言動が冗談にしか見えない(こともある)男。
ということは知っているが、こればかりは冗談であってほしい。
ナターシャから、
「マーマ。作ってもらった ご飯は すぐに食べなきゃ、作ってくれた人にシツレイなんダヨ」
という教育的指導が入る。
「あ、そうだね」

瞬は慌てて、『いただきます』をして――食事のために、氷河に時間を与えてしまったのが まずかった。
瞬が豆のサラダを一口二口 食べる間に、氷河は、
「よし、俺は画家になる」
と、次の仕事を決めてしまったのだ。
「は?」
「画家になって、おまえとナターシャの絵だけを描いて暮らす」
「氷河……正気で言ってるの」
氷河は もちろん正気(のつもり)で、本気である。
激しい目眩いに襲われ、正気を失ってしまいそうなのは、むしろ瞬の方だった。

「ナターシャちゃんの絵を描くのはいいけど、それを誰かに買ってもらわなきゃ、ナターシャちゃんのお洋服代にはならないんだよ。それは わかってるの?」
「せっかく描いたナターシャの絵を、人手に渡すのは嫌だ」
せっかく描いたナターシャの絵を“人手”に渡すには、その絵を買ってくれる“人”がいなければならない。
描いた絵が売れるかどうかもわからないのに、いったい氷河は何を言っているのか。
目眩いの次に頭痛がやってくるのは、人体のお約束である。
瞬は、額に手を当てて、ゆっくりと頭を左右に動かした。

「ナターシャちゃんへの氷河の愛を疑うわけじゃないけど、今回ばかりは、氷河は愛情表現の仕方を間違えていると思うよ」
「そんなことはない。ナターシャ。ナターシャはナターシャのテーマソング、ナターシャの絵、ナターシャの小説、何がいい? 俺に何を作ってもらえたら嬉しい?」
「え? ごは――」
ナターシャは、『ご飯』と答えようとしたようだった。
しかし、ここで、『ん』まで言ってしまってはいけないと、今 ここで『ご飯』と答えれば パパが傷付くかもしれないと、そして、『ご飯』と『テーマソングと絵と小説』は何かが違うと、彼女は その鋭敏な察知能力で察知し、賢明で優しい判断能力で判断し、その判断を実行に移した。

「ナターシャ、すぐには決められないヨ。ナターシャ、パパに何を作ってもらうか、一人で ゆっくり いっぱい考えて決めるヨ」
推定年齢5歳にして、実年齢22歳の新入社員に見習ってほしいほどの見事な神対応。
「む。それもそうだ」
氷河は、ナターシャの苦肉の策を『至極尤も』と納得し、
「さすがは俺と瞬の娘。慎重かつ賢明だ。星矢や一輝に見習わせたい」
と悦に入りさえした。

ちなみに、この場合、『俺の娘』と言わずに『俺と瞬の娘』と言うところが、氷河の なけなしの“賢明”である。
『俺の娘』と言わず『俺と瞬の娘』と言うところは賢明だが、それ以外は ほとんど賢明でない氷河に、ナターシャは大弱りだった。
ナターシャが弱って困っているのは、もちろん、彼女がパパを大好きだから。
大好きなパパが 自分のために転職を決めたのに、『そんなのしなくていいヨ』と言って、パパの決意を無下にすることはできない。
そんなことをしたら、パパは、きっと とても傷付くだろう。
そう思うから、ナターシャは、大弱りで大困りだったのだ。






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