制服を着ているところを見ると、この学園の生徒なのだろう。 が、星矢は その生徒に見覚えがなかった。 紫龍たちにとっても、その表情からして、未知の生徒である。 これだけ印象的な生徒を一度でも見たことがあるなら、忘れることはありえないので、顔を合わせるのは、今が初めて。 それほどに出会う機会が少なかったのなら、まず間違いなく1年生。 澄んで大きな瞳。 その瞳と、邪気のない表情のせいか、かなり幼く見える。 オープンキャンパスに来場した中学生だと言われれば、疑いもせず 信じていただろう。 身に着けているものが、城戸学園高校の制服でなかったなら。 ちなみに、城戸学園高校には、着用を義務づけられていない制服がある。 Yシャツ、リボン、ネクタイ、ベスト、ブレザー、パンツ、スカート。 すべて揃えている生徒もいるし、ネクタイ1本も買っていない生徒もいる。 女子は、パンツ着用可。 男子は、スカート着用可。 隣室から登場した生徒は、スタイルの悪さをごまかせないので 女子には敬遠されているパンツとベストを着用していた。 つまり、スタイルが かなりよかった。 辰巳と すべてが違っているのだから、顔の造作も、もちろん極上である。 隣室から現れた新しい登場人物に、 「暴漢よ」 と告げる沙織の声は、まるで慌てていない。 恐れてもいない。 沙織が泰然としているので、 「暴漢?」 復唱する側も慌てようがない。 むしろ、 「何だ、この美少女!」 と尋ねる星矢の声が、その場にある声の中で 最も興奮し、上擦っている声だった。 「ま、美少女って、私のこと?」 「なに言ってんだよ! おじょー様は美少女なんて、生ぬるいもんじゃないだろ。そーじゃなくて、こっちの超可憐美少女のこと! 常識で考えたら わかるだろ!」 「常識? 常識? 常識ですって?」 沙織は口の中で、幾度も その言葉を繰り返してから、星矢の質問に答えを返してきた。 面と向かって『あなたは美少女ではない』と言われたばかりの少女にしては、妙に楽しそうに笑いながら。 「私のボディガードよ。辰巳のいない間の」 「こんな ほっそい女の子が辰巳の代わり? なんで そんな無茶させるんだよ。無茶無理無謀」 「それはどうかしら。瞬」 沙織の名を呼ばれた美少女――瞬という名らしい――が、沙織の掛けているデスクと キックボクシング部の面々の間に回り込んでくる。 辰巳と違って、“力”で対抗できない非力な(はずの)美少女に、星矢は暫時 怯んだ。 「可愛い子ちゃん……瞬ちゃん? あのさ、俺たちは、沙織おじょー様に話があるんだ。沙織おじょー様は暴君だけど、俺たちは暴漢じゃない。暴れるつもりはないから、ちょっと脇に寄って、邪魔しないでいてくれると有難いんだけど――」 美少女に脇に寄ってもらうため、星矢は軽く腕を上げた。 もちろん、乱暴する気はないし、腕を上げたのも、脇に寄っているよう 手振りで示すため。 美少女が その指示に従ってくれなくても、星矢は 決して腕力に訴えるつもりはなかった。 だというのに。 「触るなっ!」 どう考えても 星矢に向けて発せられた一輝の声は、多くの善良な生徒の平和と幸福を蹴散らそうとする暴君を責める声より 鋭く険しいものだった。 「へっ?」 一輝に制止されたからではなく、なぜ制止されたのか、その理由が わからなかったせいで、星矢の手が空中で止まる。 空中で止まった手は そのままに、星矢は 自分の隣りに立つ一輝の顔を横目で窺ってみたのである。 一輝は じっと美少女を見詰めていた。 おそらく ほとんど心身を硬直させた状態で。 なぜ 非難するように鋭い声で 仲間を止めたのか、その理由を説明する気もないような様子で。 美少女の方も、一瞬 びっくりしたように大きく瞳を見開いたようだったが、その後は、一輝の視線を正面から受けとめ、泣く子も黙り、秋の虫も夏の蝉も息を潜めて静まりかえる一輝を恐れる様子もなく、まっすぐに見詰め返していた。 その状態が、およそ1分。 1分という時間は、そこに言葉がないと、かなり長く感じられる時間である。 長い間、二人は無言で見詰め合っていた。 その1分の後。 美少女は、一輝の睥睨に負けを認めたように、そして 困ったように、瞼を伏せてしまった。 花も恥じらう美少女が、なぜか一輝に恥じらって黙り込む。 美少女は恥ずかしがる。 一輝も何も言わない。 紫龍は、美少女の顔を まともに見る勇気もないのか、しきりに その胸許を見詰めている。 氷河は、逆に、美少女の顔をまっすぐに――といっても、氷河の位置からは ほぼ横顔に近い右向きの顔に見えるのだが――凝視したきり。 まるで視線が協力接着剤で、美少女の顔に くくりつけられてしまったかのように、氷河の視線は美少女に釘づけだった。 誰も何も言わない。 長い沈黙と膠着状態。 一輝が、突然 思い立ったように、 「帰るぞ!」 と、低く怒鳴って 踵を返したのは、理事長室の中が重苦しい沈黙に支配されてから、優に5分が過ぎた頃だった。 「帰るって、なに言ってるんだよ! 話がつくどころか、ろくに話し合ってもないじゃないか! キックボクシング部はどーすんだよ!」 「知るか」 「知るか……って、それはないだろ、一輝!」 一輝はキックボクシング部を作った、現部長。言うなれば、創業社長のオーナー社長のようなものである。 その一輝に『知るか』と言われたら、キックボクシング部を知っている者など、この地上世界に ただの一人もいないことになってしまうだろう。 「待っ……」 美少女は、一輝を追いかけようとした――ようだった。 追いつく前に、瞬が のばした腕が、こちらも一輝を引き留めようとしていた氷河の肩に触れる。 「あ」 瞬が 手を引くのと、氷河が身を引くのが ほぼ同時で、氷河は少しバランスを崩した。 ほんの少し バランスを崩しただけだったのである、氷河は。 「すみません……」 瞬が 氷河の顔を覗き込み、氷河は 突然 眼前に迫ってきた美少女の顔に息を飲んだ。 瞬の動きには どんな不自然もなく、攻撃的でもなく、害意や敵意が感じられるものではなかった。 瞬は、氷河の顔を見上げる以外のことは何もしていなかったのだ。 にもかかわらず、 「うわっ!」 まるで 視線に押されるように 上体をのけぞらせた氷河は、そのまま――とはいえ、頭を床にぶつけることがないように、途中で いくらか態勢を立て直して――見事な尻餅をついた。 驚いたのは、何もしていない瞬の方だったろう。 「だ……大丈夫ですかっ」 差しのべられた手を取りもせず、だが、自力で立ち上がることもせず、氷河は 尻餅をついた状態で、ただただ呆然と、瞬の顔を見上げ、見詰めているばかりである。 もちろん この談判の急先鋒に立つはずだった一輝の姿は、とうに理事長室から消えていた。 理事長への直談判を続けることは、もはや不可能。交渉は決裂。――したらしかった。 星矢が氷河のシャツの襟首を掴み、立ち上がらせる。 「ったく、もう、一輝も氷河も何してんだよ!」 氷河と、逐電して既に この場にいない一輝に ぶつぶつ文句を言ってから、星矢は沙織の方に向き直った。 「沙織さん、わりい。俺たち、いったん退散するわ」 「星矢」 沙織が何か言ったようだったが、この見苦しい展開のあとで 追い打ちの言葉など聞きたくなかった星矢は あえて聞き損ねた言葉の内容を聞き返すことはしなかった。 |