東京都M区M4丁目。 駐日本国フランス共和国大使館。 そこで、瞬たちは、フランス共和国の特命全権大使と特命全権公使に迎えられた。 外交使節団の長である特命全権大使が じきじきに出てきたのは、この対談の内容が非常に重要で、場合によっては 国際問題にも発展しかねないことを、瞬たちに示すためだったらしい。 大使は、真剣な眼差しと重々しい声で、『誠実な対応を望みます』と言って瞬たちを威圧してきたが、それ以上は何も言わずに応接室を出ていってしまったのだ。 瞬たちと直接 話をするのは、残された公使の方――ということのようだった。 そのフランス共和国の特命全権公使は、おそらく まだ40歳にはなっていないだろう。 実際は 何歳なのかわからなかったが、大使より10歳以上若く見えた。 それで一国の――それも、国際連合安全保障理事会常任理事国の――公使に任じられているということは、よほど有能なのか、あるいは家柄がいいのだ。 濃い色の、堅苦しいスーツ。 ほぼ漆黒の髪と灰色の瞳。 背が高いので、柔弱な印象は与えないが、人当たりのよさそうな面差しを持つ、一見 優男風。 だが、瞳が冷たい。 声も、温かいとはいえないものだった。 「逃げずに来たということは、あなた方は誘拐犯ではない――ということだな」 灰色の瞳の公使は、瞬と氷河の間に お行儀よく座っているナターシャを見て、苦しそうに、フランス語で言った。 やはり 良くない話だったかと、言葉にはせず、氷河と瞬は苦渋の息を吐いたのである。 ナターシャを、彼は見知っているのだ。 おそらく、氷河と出会う前のナターシャを。 「素敵なドレスだね。可愛らしい君が 一層 可愛らしく見える」 彼は、日本語も流暢だった。 幼い少女にも まず褒め言葉から入るところは、フランス男の面目躍如といったところか。 そして、幼くても 年齢を重ねていても、男子でも女子でも、大抵の人間は 褒められると嬉しい。 ナターシャは満面の笑顔になって、『君』を『ナターシャ』にするために、自己紹介を始めた。 「アリガトウ! 私は、ナターシャダヨ! ドレスも名前も、パパが選んでくれたんダヨ!」 「――」 いつもなら、ここで、『優しいパパだね』に類する言葉が返ってくるのに、公使は無言。 いつもと違う展開に戸惑ったらしく、ナターシャは 首をかしげて、背の高い優男の顔を見上げた。 公使は、ナターシャの戸惑いの訳がわからないのか、逆に わかったから そういうことになってしまったのか、その表情を凍りつかせていた。 それが、怒りと悲しみのせいらしいことは わかったが、どちらの感情の方が より強く大きいのかまでは、瞬にも わからない。 こちらから事情を尋ねるべきだろうかと、瞬が迷い始めた時。 エスプレッソコーヒーのカップとシュガーポットを載せたトレイを持った女性職員が室内に入ってきて、大人たちの前にコーヒーのカップを置いた。 これは、最初から、そういう段取りになっていたのだろう。 フランス公使はナターシャの名を、エスプレッソコーヒーより苦そうな声で口にした。 「ナターシャちゃんのために、隣りの部屋に美味しいケーキを たくさん用意してあるよ。ジュースもある。彼女に連れていってもらいなさい」 「ケーキ?」 エスプレッソコーヒーの見るからに苦そうな色と匂いに、コーヒーより苦い顔をしていたナターシャは、その単語を聞いて、瞳を輝かせた。 そして、勢いよく、立ち上がろうとした。 が、その寸前で、彼女は そうするのを思いとどまったのである。 ケーキの許に行くのは、マーマの許しを得てから。 マーマの言うことを よく聞く、お行儀のいい子を、パパは好きなのだ。 ナターシャは、自分が パパに愛されるナターシャでいる方法を、しっかり心得ていた。 「マーマ」 「うん。じゃあ、ナターシャちゃん。お姉さんに連れて行ってもらって。ケーキは、たくさんあっても2つまでだよ」 という瞬の許可を得て 初めて、 「ヤッター!」 ナターシャは、 歓声を上げて 勢いよく立ち上がった。 女性職員が そんなナターシャの様子を見ても にこりともしないことが、瞬と氷河の心臓を冷たくしたのである。 ナターシャの笑顔でも 場の空気が和まない。温かくならない。 それほど深刻な話が始まるのだと、瞬は覚悟して、深く長く呼吸をした。 |