「瞬。おまえ、ごく最近、すぐに自暴自棄になる根性無しの金髪のガキと会わなかったか?」 「え? 何のこと?」 朝食のサラダ用のドレッシングを作っていた瞬の手が一瞬 止まったので、俺は確信した。 「ごく最近。今朝――いや、昨夜か」 昨夜、俺から詐欺師の話を聞いた瞬は、ガキの俺を心配して―― へたをすると、俺のためにマーマを生き返らせるために――過去の俺の許に飛んだ。 そして、図らずも、『つらくても生き抜け』と俺に発破をかけて戻ることになった。 そういうこと――つまり、そういうことだったんだ。 『君は彼女を生き返らせたいとは思わないか?』 俺が あの詐欺師に どう答えたのだったか、昨夜は思い出せなかったのに、今朝は思い出せる訳。 悲しい夢を見る俺を心配して、瞬は、俺の答えと顛末を確かめるために過去に飛んだ。 そして、俺の過去を確定してきたんだ。多分。 聖闘士としての力を――いや、神がかりの力を、そんなことのために使っていいのか、いったい。 それより何より問題なのは、瞬に そんなことをさせた直接のきっかけが、ガキの頃の俺を案じる 大人の瞬の気持ちじゃなく、今の俺を案じる 今の瞬の気持ちだってことだ。 俺は――今の俺は、無料で電車やバスに乗れる幼児じゃなく、精神的に不安定な思春期の青臭いガキでもなく、而立の30。 『三十にして立つ』の30の大人なんだぞ。ったく! まあ、それくらい俺が頼りなくて、それくらい瞬が心配性だってことなんだろうが。 三十路男としての俺の面目を慮って、瞬は 自分のしたことを、俺に言わずにいたんだろうが。 瞬は 結局、俺のマーマを生き返らせて 俺の運命を変えることはできず、逆に、『つらくても生き抜け』と、ガキの俺に活を入れて帰ってくることになったんだし。 俺の今の幸せは守られたんだから、それでよしとするか。 一人で目覚めて、一人で身支度を整えたナターシャが、ダイニングルームに向かって駆けてくる小さな足音が聞こえる。 俺の今の幸せは守られたんだ。 「さすがのおまえも、そこまで俺を甘やかすことはできなかったか」 安堵の念が、俺の声を からかい口調にした。 「氷河ったら、もっと危ない領域に突き進んでいこうとしてるんだもの。それどころじゃなかったんだよ」 それはそうだ。 返す言葉もない。 「おまえは、敵を含めて 自分以外の人間には甘いが、自分には厳しい。俺は、その逆で、自分に甘い。おまえに甘やかされ、自分でも甘やかしていたら、俺が ろくな人間に育つわけがない」 そんな俺が、まがりなりにも30になる今の今まで 道を過たずに生きてこれたのは、俺に優しすぎ 甘やかしすぎる きらいはあるにしても、しっかり者の瞬がついていてくれたおかげだ。 そして、あまり認めたくはないが、やたらと俺を目の敵にして きつく当たってくる理不尽野郎や、自分は常識家だと信じている堅物野郎や、平気で俺より無茶をする能天気野郎が、仲間として、俺の側にいてくれたからなんだろうな。 「パパ、マーマ、オハヨウ! 甘いお菓子があるの?」 ナターシャが、ダイニングルームに飛び込んでくる。 ツインテールが、七三分けになってるぞ。 一人で頑張ったんだな。 これはこれで、なかなか可愛い。 ナターシャは頑張り屋だ。 「おはよう、ナターシャ」 俺は 掛けていた椅子から立ち上がり、ナターシャの身体を抱き上げて、ナターシャをナターシャの椅子に座らせてやった。 朝食の前に甘いお菓子が出てくることを、ナターシャは少し期待しているようだった。 残念だが、今日の朝食は、サラダにオムレツ、甘くないパンだ。 「おはよう、ナターシャちゃん。氷河が甘いお菓子みたいだっていう お話をしてたんだよ」 「パパが? マーマじゃなく?」 ナターシャの反問は自然にして当然。 見た目に限るなら、甘いお菓子は、どう考えたって、俺より瞬の方だろう。 いや、瞬は、中身の甘さも相当だ。 「そう。僕じゃなく、氷河。氷河は、ナターシャちゃんの 甘々パパだからね」 今ひとつ自分の甘さの自覚のない瞬が、ナターシャの前に レタスと豆のサラダを置く。 ナターシャのものだけドレッシングの色が違うのは、少しジュースを混ぜたからだろうな。 子供というのは、本当に呆れるほど 甘いものが好きだ。 胸焼けしないのかと、時々 不思議に思う。 「ナターシャ、ナターシャに甘々パパが 大々々好きダヨー!」 ナターシャ用のドレッシングを眺めながら 俺が何を考えているのかを察していたのだろう瞬が、ナターシャのその言葉を聞いて、盛大に吹き出す。 俺は思い切り渋い顔になったが、外面だけ 取り繕っても、瞬は すべてを見透かしているだろう。 すべてを見透かされても。 瞬になら、仕方あるまい。 Fin.
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