瞬が、離れたところから そんな二人の様子を眺めていたのは、パパの前で張り切って歌い踊るナターシャを見ているのも楽しいが、そんなナターシャを嬉しそうに見ている氷河を見ているのも楽しいから――つまり、ナターシャだけではなく、ナターシャと氷河の二人を視界に収めていたいからだった。
その幸福な光景を堪能した瞬が、二人の側に行こうとした時。
「男前って言葉はあるのに、女前っていう言葉はない。これって性差別ですよね。紛う方なき、男尊女卑。我が日の本の国では、元始 女性は太陽だったはずなのに」
ふいに 瞬に話しかけてきた女性がいた。

若い―― 九分九厘 子供の母親ではないだろうと確信できる若い女性だった。
おそらく 20歳前後。
高校生ではないだろうが、大学生にも見えない。
では会社員だろうかと考えると、勤め人らしい空気も まとっていない。
かといって、ニートやフリーターでもなさそうだ――と、瞬が判断したのは、彼女が かっちりしたパンツスーツを身に着けていたからだった。
それが非常に良い仕立てで、オーダーメイドでなければ 不自然と思えるほど彼女の身体にフィットしたものだったから。
彼女は経済的に相当 余裕のある状態にある。

謎の女性は、挨拶も自己紹介もなく、言葉を継いだ――自分の言いたいことを言い続けた。
「こんなに綺麗なのに、男性なんだそうですね」
その言葉をどう受け取ったものか――。
笑われているのか、からかわれているのか、褒められているのか、侮られているのか。
そのどれとも判断できなかった瞬は、結局、判断することを放棄して、軽く笑うことだけをしたのである。
「その言い回しは――」
「気に障ったのでしたら、謝ります。褒めたつもりだったんですけど、男性に“綺麗”はNGなのかな」

瞬に判断を迷わせた女性も、瞬の微苦笑の意味を判断できなかったらしい。
瞬に 性差別を咎められたと思ったのか、彼女は瞬に謝罪してきた。
瞬は、彼女を責めるつもりなど 全くなかったのだが。
性別の誤認や 『綺麗』と言われることに いちいち不快になり、言った相手を咎めていたら、瞬はナターシャや氷河を責めなければならなくなる。

「いえ、僕も男性を綺麗だと思うことはあるので、その言葉が気に障ったわけではないんです。そうではなくて――その言葉を、僕の綺麗な友人に言ったら どういう反応を示すだろうかと思っただけ」
言いながら、自分は この女性に会ったことがあっただろうかと、瞬は 自分の記憶域の検索作業に取りかかっていた。
じかに診療治療をしたことのある患者であれば、顔と名は忘れないから、自分の患者ではない。
だが、瞬の性別を見誤らないということは、彼女が よほどの慧眼の持ち主でない限り、彼女にとって 瞬は既知の人間だということである。

突然 自分に声をかけてきた人間が何者なのか、瞬が訝っていることを察したらしく、彼女は自分の名を名乗ってきた。
継家(つぐいえ)華子といいます。瞬先生と お話するのは、これが初めてです。光が丘病院には、私や私の家族がお世話になっていて、瞬先生のことは 私たちが 一方的に知っているだけ。お医者様なんだから アラサー以上なのは確かなのに、義満に見い出された頃の世阿弥が 瞬先生みたいだったんじゃないかって、我が家では言っていて――瞬先生は、我が家のみんなに、“光が丘病院の藤若”と呼ばれているんですよ。花のような美少年だって」
「ふじわか……」

“藤若”というのは、室町幕府三代将軍 足利義満の庇護を受けて、日本の能を大成させた世阿弥元清の幼名である。
そんな 異名を普通に思いつく“我が家(彼女の家)”は、能楽に関わることを生業としている家なのだろう。
継家華子と名乗った女性が、学生にも勤め人にも見えなかった訳が、瞬には やっとわかったのである。
実際に 彼女は学生でも勤め人でもなかったのだ。
日本の伝統芸能に関わる“家”で、伝統芸能に関わる技を生業としている人間、あるいは、修行中の身。
彼女は、そういう立場の人間なのに違いなかった。

「すみません。突然、声をかけて。公園を通り抜けようとしたら、藤若がいるのが見えて、つい ふらふらと 引き寄せられてきちゃったんです。瞬先生みたいになりたいなあ……と思って。綺麗で、頭もよくて、優しいので評判で、しかも男」
女性と誤認されたり、女性のように(あるいは、女性よりも)綺麗だと言われたことは 幾度もあるが、『男だから、瞬先生みたいになりたい』と言われるのは、これが初めてである。
ナターシャに“マーマ”のご指名を受けるまで、この“女みたいな顔”で いいことがあった ためしがなかったので――彼女の言が、瞬には非常に意外だった。

「男性になりたいんですか?」
瞬が問うと、彼女は、何かを考え込むように しばし沈黙し、その沈黙のあとで、
「そうみたい。これまで、そんなこと思ったこともなかったんですけど、先月くらいから」
と、答えてきた。

「先週、風邪を引いたんですよ。そうしたら、自分でも 自分の声だと思えないほど、声が枯れて低くなった。それで、たとえば声帯を手術するとかして、あの状態を、風邪が治ったあとも維持することはできないかと、耳鼻咽喉科の先生に相談に行って、追い返されてきたところ」
「声を低くしたいんですか」
声にこだわるということは、彼女の“家”は、楽器や面、衣装関係ではなく、実際に演じる技を伝える家なのだろう。
継家女史の声は、女性のものとしては低い声ではないが、高い声でもない。
だが、男性の声に比べれば、当たり前のことだが、高い。
彼女が、『男だから、瞬先生みたいになりたい』のは、その あたりのことが関係していそうだった。






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