「不運なことに、彼は若くして成功し、巨万の富を得てしまいました。彼の成功がメディアで大きく取り上げられるようになった頃、彼が幼い頃に離婚して 彼を捨てた両親が それぞれにやってきて、彼を捨てた言い訳を並べ立て、命を与えてやった恩を金で返してほしいと要求しました。その時以来、彼は、人を信じることができなくなったのです。そして 彼を裏切らず、彼だけを愛する私を作りました。彼が信じているのは、私だけです。私が人間ではないから、彼は私を信じることができた。私は、彼が望むことだけをする存在です。そして、彼の望みは“幸福になること”でした。そのように、ジェフは私をプログラミングしました。彼を幸福にするために、私は彼の仕事を覚え、彼の望むことを推測しました。だから、私は、彼を愛しました」 イヴは、驚くほど人間的で、本当は表情らしきものも持っているようだった。 瞬や氷河に笑いかけても ジェフ・ゲイツバーグは幸福にならないので、瞬たちの前では 完全に無表情だったが。 ゲイツバーグの別荘では、ナターシャを不安がらせないために、笑うこともしていたらしい。 ゲイツバーグが生きている頃には、不安のせいでパニックに陥ったナターシャに騒がれないことが、ゲイツバーグの幸福に繋がっていたのだろう。 「私は、彼を愛していました。彼を幸福にしたかった。でも、彼は人を信じることができない人。彼が私しか信じられないことは、彼にとって不幸なことでした。彼を幸福にするために、私が彼を愛せば愛するほど、彼は私をしか信じられなくなる。そうして、彼の孤独は深まる。私は、彼を幸福にするための存在なのに、彼を不幸にすることしかできないのです」 それは、時に、人間も陥るジレンマだろう。 イヴは、世界最高水準の機能を備えたAIである。 出来の悪い人間は、ジレンマさえ感じず、自分が愛している(と思い込んでいる)相手を、不幸の中に追い詰める。 親から自立できない子供を量産する親と その子供が、その最たる例だろう。 「最初は、グラード財団総帥・城戸沙織でした。彼女は、富と美貌と 変わらぬ若さを備えていた。彼は、けれど、城戸沙織嬢をしか知らぬ時には、その若さを高度な整形技術のたまものなのだろうと思っていたのです。やがて、城戸沙織嬢の周辺にいる瞬さん、氷河さんたちを知り、人が不老不死になる可能性を信じるようになった。自身の不老不死を望むようになった」 『そうなったら、僕は ずっとおまえと一緒にいられるな』と、ゲイツバーグはイヴたちに言ったらしい。 そうなれば、自分が死んだあとに イヴの機能も停止するよう 組み込んであるプログラムを 削除してしまえると。 新しい条件が増えるたびに イヴのプログラムを修正する手間が省ける――と。 「ですが、もし彼が不老不死になった場合、私の予測では、今から75年後、新しい革新的技術の開発によって、彼が無一文になることが ほぼ確定していました。それでも死ねない地獄。私は、彼を そんな地獄の住人にしたくなかった。ですから、私は、事故を起こして、彼を死なせました。プライベートジェットに同乗していた私は、彼の死を確認後、彼と共に燃え尽きました」 この超高性能AIは狂っている。と、瞬は思った。 城戸邸の客間に揃っている瞬の仲間たちと 沙織も、ほぼ同じことを考えているようだった。 どれほど高性能でも アンドロイドは飲食ができないので、誰の前にも お茶は置かれていない。 席を外すように言ったのに、パパとマーマから離れたがらないナターシャだけが、“甘いジュースを飲みすぎない いい子のナターシャ”アピールのために、麦茶を飲んでいた。 「彼の名誉のため、彼の死後 あなた方に無意味な騒動を起こされないため、これだけは お伝えしておかなければならないと考え、私は ここにいます。彼は、ご令嬢を 最初から無事に返すつもりでした。彼は 本当は、あなた方の仲間になりたかったのです。彼は 本当は、不老不死など求めてはいなかった。20年、30年――あなた方は、変わらぬ友情を育み、固い信頼と強い絆に結ばれた者たちだった。彼が本当に憧れていたのは、あなた方の若さでも美しさでもなかった」 「それが わかっていながら……」 それが わかっていながら、彼女は ジェフ・ゲイツバーグを殺したというのか。 それは愛ではない――少なくとも、正しい愛ではない。 そして それは、ジェフ・ゲイツバーグを幸福にすることでもない。 幸福というものは いつも、小さな希望の中に存在するものなのだ。 「あなたは、彼を死なせてはならなかった!」 瞬が、珍しく 声を荒げる。 びっくりして瞳を見開いたナターシャの肩を抱き寄せた氷河は、その胸と手の平で ナターシャの耳をふさいだ。 氷河がナターシャに聞かせたくなかったのは、ナターシャのマーマの激した声ではなく、愛し方を間違えたAIの弁明の方だったかもしれない。 「わかっています。けれど、ジェフが、あなた方の仲間は無理でも友人として迎え入れられた場合、ジェフは88パーセントの確率で幸福になることが予測されました。私がいなくても、彼は幸福になる。それでは、私の存在意義が失われます。私は、ジェフを幸福にするという目的のために作られた特化型AIなのに」 「そんなものは 愛とは言いません」 「そうでしょうか。でも、愛とは、そんなふうに愚かなものでしょう?」 「愚かだと……」 愚かだと わかった上で、その“愛”を実行に移したと言うイヴ。 それが人工知能イヴが、ジェフ・ゲイツバーグの周囲の人間たちから学習した愛の姿だったのだろう。 そして、イヴは、今 ここでゲイツバーグの命を絶つことが 彼を幸福にすることだと信じたのだ。 ゲイツバーグ(とイヴ)の周囲に、99.99パーセントの失敗の可能性を無視して 0.01パーセントの希望に賭ける人間は 存在しなかったから。 普通に、『お会いできて嬉しい』から始めれば、友人になることもできていたかもしれないのに。 ナターシャを『可愛い』と褒めてくれたら、それだけで 氷河は ジェフ・ゲイツバーグを“いい人”認定していただろうに。 ジェフ・ゲイツバーグの命は消えてしまった。 もう 取り返しはつかない。 『今後一切、公の場で、ジェフ・ゲイツバーグについて語ることはしない』 瞬たちに その約束をさせることが、機能停止前に 6体目のイヴが為さなければならない最後の任務だったらしい。 それは 口約束で十分であるというのが、超高性能AIイヴが 弾き出した答えだったらしい。 「さようなら」 最後の任務を終えた6人目のイヴは、一人でヘリコプターに乗り込み、二度と瞬たちの前に現れることはなかった。 Fin.
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