既に持っている服と似すぎていないこと。
身体を動かしにくくないこと。ちゃんと腕が垂直に上がること。襟元が苦しくないこと。
危険な紐や飾りがついていないこと。
何より、ナターシャに似合うこと。
ナターシャとカミュは、二人でじっくり話し合い、念入りな試着をし、今の二人にとって 最善最高の一着を決めた。
お代は一着分だが、時間は『全部、買ってやる』の3倍 かかっただろう。

その時間こそが愛情のバロメーター。
その時間を楽しいと思えることが、真の愛情。
『全部、買ってやる』は愛情ではなく、ただの手抜きだったのだと、ナターシャの、
「じゃあ、これにしようネ!」
を聞いた時に、カミュは知ったのである。

洋服一着を買うのに、この達成感。
それは、カミュが初めて経験するものだった。
頭も かなり使ったと思う。
入魂の一着を購入後、ナターシャが甘いものを求めてきたのは、脳細胞の活動に相当量のブドウ糖を消費したためと思われた。
もしかしたら ただ甘い物が好きなだけなのかもしれないが、それならそれで何の問題もない。
何の問題もないと、本体が クリームとフルーツで埋もれて見えないパンケーキの前で満面の笑顔を浮かべるナターシャを見て、カミュは思ったのだった。


「ナターシャは、マーマが恐くないのか? 瞬の言うことは正しいと思うのだが、私は 瞬は ちょっと厳しすぎるような気がするのだ」
子供に正しい道を教えることは大事である。
正、仁、義、礼、善、理、律、節。それらを子供に教えることが、大人の重要な務めでもあるだろう。
だが、幼い子供には、厳しさ、正しさだけではなく、甘さも必要なのではないか。
大人に特別に愛され遇されることによって、子供は、自分が 他者に大事にされる存在なのだということを自覚し、自己肯定感を持つことができるようになるのではないか。

ナターシャは特別に可愛い女の子なのだから、その自覚を持つことは非常に重要である。
自分が可愛いという自覚に欠ける可愛い女の子は、誘拐や小児性犯罪等、思わぬ危険に巻き込まれる可能性が高くなるだろう。
それが、カミュの心配事だった。
しかし、ナターシャの認識は違うらしい。
「マーマは、世界でいちばん優しいマーマダヨ。みんな、そう言うヨ」
生クリームをスプーンで すくいながら、ナターシャは確信に満ちた様子で、そう断言した。

「瞬が、世界でいちばん優しい?」
それは カミュには、にわかには信じ難い意見だった。
昨日の瞬は、どう見ても、優しいマーマというより、厳格な孟母(猛母ではない)だった。
だが、瞬を世界でいちばん優しいマーマと信じるナターシャの心に 迷いは微塵もないらしい。

「ウン。パパは毎日、そう言ってる。マーマは世界で いちばん綺麗で優しくて、マーマがいないと、パパは生きていられないっテ」
「そうなのか?」
「断然、そうダヨ! パパは、マーマがいないと、甘々だめだめパパになるんダヨ。甘々だめだめパパだと、ナターシャを ちゃんと育てることができないカラ、パパは ナターシャのパパでいられなくなるノ。マーマが甘々だめだめパパを見捨てないカラ、ナターシャはパパと一緒にいられるんだっテ。ナターシャがパパと一緒にいられるのは、マーマのおかげなんダヨ。マーマは世界一 優しいマーマダヨ」
「そういうことか……」
そういう意味でなら、瞬は確かに世界でいちばん優しいマーマだろう。
賢母という言葉は、瞬のためにある。

「パパはナターシャの味方だけど、マーマは パパとナターシャの味方ナノ。パパとナターシャが一緒にいられるように、マーマは パパとナターシャを守ってくれてる。パパとナターシャが一緒にいられるように、マーマは地上の平和を守ってくれてる。パパも星矢ちゃんも紫龍おじちゃんも そう言うヨ。ナターシャもそうだと思う」
してみると、瞬は、孟母というより慈母観音か。
ナターシャが 瞬を世界一優しいマーマだと、心から信じているというのであれば、カミュには それを間違いだと言い張ることはできなかった。
言えるわけがない。
瞬は、一度は ナターシャに軽蔑された不出来なおじいちゃんを、再びナターシャのおじいちゃんの地位に返り咲かせてれた、賢明で親切な三国一の嫁なのだ。

「ダイジョウブ。マーマは優しいから、甘々だめだめ おじいちゃんも、いい子でリッパなおじいちゃんにしてくれるヨ。マーマに任せておけば、全部 うまくいくんダヨ!」
マーマに任せておけば、すべてよし。
ナターシャは、本気でそう信じているようだった。
実際、そうなのだろう。
であればこそ、あの氷河が、一児の父などという困難で重責ある仕事を こなせているのだ。
ナターシャの言う通り、瞬は、甘々だめだめ おじいちゃんも、いい子で立派な おじいちゃんにしてくれるに違いない。

そうして、カミュは、すべてを瞬に任せることにしたのである。
瞬に“ナターシャちゃんのおじいちゃん失格”の烙印を押されないよう、何年も先のナターシャの小学校入学のためにランドセルを三つも買ったことも しばらくは(もしかしたら永遠に)伏せておいた方がいいだろう。
シュラには固く口止めしておこうと、ナターシャの口許についたクリームを右手の人差し指の先で 拭い取ってやりながら、カミュは思ったのである。






Fin.






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