乙女座の黄金聖闘士バルゴの瞬の前に立ちふさがり、その行く手を遮る者――といっても、彼は地上の平和を乱すアテナの聖闘士の敵ではなさそうだった。
見たところ、小学校高学年。身長150センチ前後。
濃紺のピーコートに、黒いショートブーツ。
眉に届くほどの前髪は、この歳の男子としては 少数派だろう。
額に流れる前髪が、彼を幼いなりに優男ふうに見せていた。
着ている者がスポーツブランドのダウン等ではなく ピーコートのせいか、腕白という雰囲気はなく、どちらかといえば大人しそうな印象の少年である。
彼は正しく瞬の前に立ちふさがり、瞬の行く手を遮ったようだった。
10数センチ高いところにある瞬の顔を、じっと見詰めてくる。
「?」

もちろん、初めて見る顔である。
光が丘公園に遊びに来ている子供たちの中の一人として、どこかで すれ違うくらいのことはしているかもしれないが、一個の人間として、1対1で対面するのは、間違いなく これが初めて。
パパとマーマと手を繋いでいたナターシャは 彼を見上げ、右手に”KAWAII 赤鬼さん Part.2”の入った紙袋を持ち、左手はナターシャの右手を握っていた氷河は 彼を見おろし――どれほど見ても誰なのか わからないという結論に至ってから、二人は その視線を瞬の上に移動させた。
そこには、やはり彼が誰なのかが わからずに戸惑っている瞬の横顔があるだけだったが。

「こんにちは。僕に何か ご用ですか」
瞬の前に立ちふさがったのは少年の方なのに、逆に瞬に尋ねられ、彼は慌てたようだった。
もちろん、用はあるのだろう。
だが、極度の緊張のため、彼は自分の身体を動かせずにいたらしい。
身体だけでなく声も緊張させて――緊張させたまま、彼は、途轍もない早口で 一気にまくしたてた。
「こんにちは! 僕は、江垣(えがき)貴仁(たかひと)といいます。僕の妹に会ってください!」

突然、通行人の行く手を遮り、挨拶もせず、棒立ち状態のまま その場を動かない。
彼が成人だったら、それは 軽犯罪法第1条28号に抵触する 立派な犯罪、そして 彼は 立派な不審者である。
それが、僅か数秒で、挨拶、自己紹介、用件の伝達までやり遂げて、彼は(とりあえず)犯罪者ではなくなった。
「妹さん?」
「は……はい! 美貴といいます」

彼が極度に緊張していたのは、瞬ではなく、瞬の隣りの隣りに立つ金髪の男の無言の威圧が恐かったからだったらしい。
微笑を浮かべて首をかしげた瞬に やわらかい声で話しかけられると、貴仁少年の態度と表情と声からは、一瞬で 緊張感が抜けてしまった。

「僕の妹は病気で、ずっと寝たきりなんです」
「病気で寝たきり……?」
それは つまり、彼は 光が丘病院の医師としての瞬に用があるということだろうか。
だが、だとしたら、公園の遊歩道は医師を呼びとめる場所としては適当ではないし、医師としての瞬に診療を依頼する人間としては、貴仁少年は さすがに幼すぎるだろう。

「妹さんは、どこの病院に?」
「入院はしてません。美貴は家にいる。入院するような病気じゃないんです。たまに医者がくる」
幼い少女が自宅療養。
入院するような病気ではないが、寝たきり。
虚弱児なのか、あるいは治療法が確立されていない難病に侵されているのか。
貴仁少年が 寝たきりの妹の身を案じる心優しい兄だというのなら、瞬個人は いくらでも彼の力になってやりたかったが、医師としての瞬には、それは軽々にできることではなかった。

「セカンド・オピニオン希望なの? 主治医の方以外の医師の意見を知りたいというのなら、主治医の方が作成した診療情報提供書が必要になるんだよ。もちろん、君ではなく、妹さんの保護者の方から、病院の方に。セカンド・オピニオンは自費診療になって、普通の診療より お金がかかるから――」
貴仁少年が 自分に不思議そうな目を向けていることに気付き、瞬はセカンド・オピニオンの説明を途中で途切らせた。
首をかしげた瞬に、貴仁少年が、
「あなた、お医者さんなの?」
と尋ねてくる。

「ええ。僕は医者ですよ」
そういうことではないのか。
彼が求めているのは、快方に向かう様子の見えない妹のセカンド・オピニオンではないのか。
彼の目的を確かめるために医者だと名乗った瞬に、少年が幾度か小さく横に首を振る。
そして 彼は、彼が何を欲しているのかを瞬に知らせてきた。
「僕が欲しいのは、医者じゃなくて、天使です。白い翼のある天使。綺麗で優しい天使なんです」
「て……天使?」
「あなたに、天使として、妹に会ってほしいんです」
「は?」

小学校高学年。おそらく11歳か12歳。大人びて見えているだけの子供なのだとしても、間違いなく10歳は超えている。
10歳以上という年齢は、既に天使やサンタクロースの存在を信じなくなっている子供の歳だろう。
それとも、天使や怪物の出てくるゲームに浸りすぎて、彼は、ゲームと現実世界の区別がつかなくなる現代病にでも 取りつかれているのか。
瞬はまず、その可能性を疑ってしまったのである。
「鬼でなくて よかったな」
手にしていた”KAWAII 赤鬼さん Part.2”の紙袋を顔の横に かざして、氷河が、冗談なのか本気なのか わからないコメントを付してきた。






【next】