今の僕なら、アフロディーテにもミロにも勝てる。 二人が一緒になってかかってきても、負けることはない――。 決して うぬぼれているわけでも 思い上がっているわけでもなく、冷静に客観的に見て、それは間違いのない事実だと――瞬は思った。 氷河は、神にも黄金聖闘士にも負けないが、ナターシャには負ける。 瞬は、氷河には負けないが、カミュには負ける。 ナターシャは、パパには負けないが、マーマには負ける。 それが、愛情と強さの力学。 勝敗は、腕力や小宇宙の大きさだけでは決まらない。 強さは、愛や憎しみ、時には無関心や同情心によって――つまりは心によって――変わるから。 ご立派な使命感で戦う者より、愛する者を守るために戦う者の方が強いのも、そのためだろう。 愛は人を強くするし、場合によっては弱くもする。 それは確かな事実、厳然たる事実。 とは言っても、鹿が虎と戦って勝つことは ほぼ不可能。シマウマがライオンと戦って勝つこともまた無理な話なのだ。 かつての黄金聖闘士たちに そう思う油断や驕りがあったから、かつての青銅聖闘士たちは、黄金聖闘士たちに勝つことができた。 神たちにそう思う油断や驕りがあったから、人間であるアテナの聖闘士たちは、神との戦いに勝つことができた。 それもまた事実である。 奇跡は、不思議ではない。 絶対の強者と思われていた者たちの 油断や驕りに助けられて発現した、あれは、ある意味 当然の結果だった。 力で二段も三段も劣る者と決めつけた油断と驕りのために、黄金聖闘士は青銅聖闘士に負け、神は人間に負けたのだ。 油断しなければ、驕りがなければ、確固たる実力の差は存在する。 もちろん 瞬は、あの頃の黄金聖闘士や神たちのように、油断などしない。 戦いの場で、驕りの気持ちなど抱かない。 だから、戦えば勝てる。 今の僕なら、アフロディーテにもミロにも勝てる。 二人が一緒になってかかってきても、負けることはない。 決して うぬぼれているわけでも 思い上がっているわけでもない。 冷静に客観的に見て、それは間違いのない事実。 今の僕なら、アルビオレ先生を救える。 今の僕なら、アンドロメダ島の壊滅を防ぐこともできる。 必ず。 師は、優れた聖闘士だった。 素晴らしい指導者だった。 無論、一人の人間としても。 邪悪を憎み、平和を願い、いかなる妥協もなく正義を貫こうとした。 あの素晴らしい人が、黄金聖闘士でなかったから蘇ることがない。 あの素晴らしい人の命を奪った者たちが、(おそらく)『黄金聖闘士だったから』という理由で、再び命を与えられているというのに。 瞬は納得できなかったのである。 納得し諦めるしかないことと わかっていても、納得し 諦めることができなかった。 |