『パパが死んだらどうしよう』と、ナターシャが急に悩み出した原因がわかりさえすれば、彼女の悩みを取り除くことは簡単だった。
しぶとさや生命力で 魔鈴やジュネに劣る氷河は、だが、魔鈴やジュネより大きな力に守られている。
その事実を、パパの身を案ずる パパ大好き娘に教えてやればいいだけのこと。

ここ数日、しぶとさと生命力の足りないパパを心配して 溜め息ばかりついていたナターシャを抱き上げた瞬は、そのまま 長ソファに移動して、自分の膝の上にナターシャを座らせ、ナターシャの顔を覗き込んだ。
そうして、ナターシャの視線を捉え、明るく笑って見せる。
「ねえ、ナターシャちゃん。確かに、氷河は 天使が早く天国に連れて行こうと考えるくらい綺麗な顔をしてるから、ナターシャちゃんが氷河を心配する気持ちは とってもよくわかるんだけど、でも、そんな心配はしなくてもいいんだよ。氷河は絶対に死なないから」
「デモ、オトコは あっさり くたばっちまうモンだって、魔鈴お姉ちゃんたちが言ってたノ……」

『オトコは あっさり くたばっちまう』
ナターシャは、彼女のマーマの性別を どう認識しているのか――“オトコ”に含んでいるのか、いないのか。
実は、瞬は、その件を ナターシャに確かめたことが一度もなかった。
ナターシャが自分から言い出さない限り、瞬もまた 自分からは その件には触れないつもりでいた。
ナターシャが気にしない限り、それは重要な問題ではないから。
そんなことより ずっと重要で大切なことが、人間の人生には いくらでもあるのだ。

「たとえ そうだったとしても、氷河には僕がついてるからね。僕は、ナターシャちゃんが氷河と一緒にいられるように、ナターシャちゃんと氷河を守るためにいるんだ。いつも、どんな時も、どんな場所ででも 必ず、僕はナターシャちゃんと氷河を守る。ナターシャちゃんと氷河が シンデレラ姫の世界や白雪姫の世界に飛ばされて、悪い魔女にいじめられそうになったとしても、僕が必ず 悪い魔女をやっつけて、ナターシャちゃんと氷河を守って、ナターシャちゃんと氷河が一緒にいられるようにする。それが僕の務めだからね。だから、ナターシャちゃんは何にも心配することはないんだよ」
「マーマが? マーマが パパを悪い魔女から守ってくれるノ?」
どうやらナターシャの中では、『 氷河 < 魔鈴とジュネ < 悪い魔女 < マーマ 』の順で、強さの序列ができているらしい。
ナターシャは、『僕が悪い魔女をやっつけて、ナターシャちゃんと氷河を守る』という瞬の言葉に、心を安んじたようだった。

「マーマなら、シンデレラ姫の意地悪ママハハを しっかり叱れるし、白雪姫のママハハ魔女より綺麗だし、エリザ姫のママハハ魔女より強いから、悪いママハハたちは みんな、心を入れ替えるヨ! ナターシャ、パパとマーマと一緒に、シンデレラ姫や白雪姫のいる世界に行って、悪い魔女たちをやっつけて、お姫様たちを助けてあげたいヨ!」
パパはマーマに守られているから、あっさり くたばらないと確信できたナターシャは、どうやら今度は、シンデレラ姫や白雪姫の世界に行って、悪い魔女をやっつけるという素敵なアイデアに 魅入られてしまったらしい。
「白雪姫のママハハ魔女は、世界でいちばん綺麗なのがマーマだって知ったら、きっとマーマにケットーを申し込むヨ!」
そして、もちろんマーマは 悪い魔女ママハハを難なく退治してしまうのだ。

おとぎの国で大暴れするマーマの姿を想像して、ナターシャは うっとり わくわく。
自分の部屋からシンデレラ姫の絵本を持ってきて、シンデレラ姫のお話を 声に出して読み上げ始めた。
そんなナターシャを見て 心配顔になったのは、今度はナターシャのパパの方だった。
氷河が、小声で瞬に尋ねてくる。
「ナターシャは まさか、遠回しに、例のあのテーマパークに行きたいと言っているんじゃないだろうな?」

“例のあのテーマパーク”というのは、千葉にあるのに なぜか東京の名を冠し、その敷地内にシンデレラ姫が舞踏会に出掛けていった城を有し、その近所を白雪姫と七人の小人たちが闊歩している、例のあのテーマパークである。
そして、氷河は、その手の、楽しむことが義務化されているような場所、無表情でいることが罪悪のように感じられる場所が、超の字を5つ重ねても足りないくらい苦手な男だった。

例のあのテーマパークと氷河の相性が悪いことは知っている。
しかし、いずれ 一度は あの場所にナターシャを連れていってやらなければならないだろう。
そう考えた瞬が、
「お休みが取れるかなあ」
と呟くと、氷河は すぐさま代替案を 瞬とナターシャに提示してきた。

その速さたるや、ほぼ光速。
氷河が いかに その場所を恐れているのか。
なぜ そこまで氷河が例のテーマパークを恐れるのか、その気持ちは理解し難かったが、氷河が例のテーマパークを尋常でなく恐れているという事実だけは、瞬も しっかりと その胸に刻むことになったのである。
しかも、氷河が提示してきた代替案たるや、
「クロノスに頼んで、そこいらに 王子サマや姫サマが転がってる時代のヨーロッパにでも連れていってもらおう。その方が安上がりだし、1週間遊んでも、出掛けていった時刻に戻してもらえば、俺たちは仕事を休まずに済む」
という、とんでもないもの。

氷河は、例のテーマパークの方が クロノスより恐いというのだろうか。
瞬は身震いして、氷河の提案を言下に退けた。
「冗談でも、そんな恐いことは言わないで。クロノスの機嫌を損ねたら、何をされるかわかったものじゃないよ? 僕たちを中世に飛ばすついでに、氷河を赤ちゃんにするくらいのことは、クロノスは平気でやりかねない」
「それは困る。今の発言は取り消すぞ。クロノス」
氷河は、彼にしては珍しく 素直に 自身の発言の愚と非を認め、即座に自らの発言を取り消した。

だが、多分、クロノスは損ねた機嫌を直さなかったのだ。
あるいは、特段 機嫌を損ねたわけではなかったが、何か いたずらをしたい気分だった。
そのどちらなのか、それとも 第三の理由があったのか。
それは、瞬にも氷河にもわからない。
理由は定かではないが、そこいらに王子様やお姫様が転がっている時代に連れていってもらおうという氷河の発言に触発されて、クロノスが何かをしたことだけは確かだった。






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