ナターシャは、それで納得し安心もしたようだったが、瞬は全く納得も安心もできていなかった。
ナターシャが 人に『その子と お話しちゃダメ』と言われるような状況は、彼女のマーマとして看過できない。
ナターシャは、人に、“オハナシすること”を禁じられるような子ではないし、カズヒサくんのママの その発言が実際に為されたものであるなら、カズヒサくんのママは何か誤解をしているに違いない。
その誤解を解き、ナターシャの不安の原因を根本から取り除いてやることは、ナターシャのマーマの務め。
瞬は そう思ったのである。

氷河の帰宅は翌早朝。
「氷河。昨日、公園で何があったの」
帰宅した氷河に、瞬は、昨日、光が丘公園で何があったのかを尋ねた。――というより、ナターシャの報告に 誤認や見落としがないかを 確認したのである。
何といっても、ナターシャは まだ幼い子供。
それは大いに ありえることである。

起こった事柄の説明は、氷河のそれとナターシャのそれは ほとんど同じだった。
“ナターシャとカズヒサくんがターザンロープの待ち行列に並んで オハナシをしていたら、カズヒサくんのママが急に大声をあげて、カズヒサくんを その場から連れ去った”である。

氷河とナターシャの説明内容の違いは、ナターシャはカズヒサくんとカズヒサくんのママしか見ていなかったが、氷河はちびっこ広場全体を俯瞰していたことくらいだろうか。
カズヒサくんとカズヒサくんのママが ちびっこ広場を出ていくと、そのあとを追うように、4、5人の母親が我が子の手を掴んで ちびっこ広場を出ていった――ということに、氷河は気付いていた。
そして、氷河は、そんなことが起きた原因にも 心当たりがあったのだ。

ナターシャがターザンロープの待ち行列に並ぶために氷河の側を離れたのと入れ違いに、氷河の側にやってきた人間がいて、それが彼の雇い主であるところの丘路氏こと蘭子ママだったのだ。
蘭子は 特に氷河に用事があって 光が丘公園に やってきたわけではなく――氷河の勤務態度や 店の売上に問題があって、その話をするために光が丘に やってきたわけではなく――光が丘に彼女の贔屓のラーメン店があって、その店のトンコツラーメンを食するための月に1度の光が丘来訪は、彼女の恒例行事なのだ。
店の名は“めんくい”。

昨日も、そのラーメン店に向かう途中、氷河の姿を見掛けたので 声を掛けただけ。
ラーメン店にギョウザがあってシュウマイがない理由について ひとしきり語らい、蘭子は目的のラーメン店に向かった。
二人が立ち話をしていた時間は正味5分。
その間ずっと、カズヒサくんのママが氷河たちを見ていた――もとい、カズヒサくんのママは 氷河たちを睨んでいたらしい。

「そのせいかもしれん。まあ、ママは、俺たちとはまた違った意味で、一般人じゃないからな」
氷河は軽蔑するように(もちろん、軽蔑の対象は、見た目で人を差別するカズヒサくんのママである)、そう言った。
男性の身で派手な お水メイクをしている蘭子と話している“ナターシャちゃんのパパ”を見て、カズヒサくんのママは、ナターシャを“家庭環境――特に親の交友関係――に問題のある子”と決めつけたのだろう。
カズヒサくんがナターシャに近付くことを、彼の母親が禁じてくれるなら、それは氷河には願ったり叶ったりのこと。
カズヒサくんのママの偏見を、氷河は心のどこかで歓迎している節があった。

だが、ナターシャの気持ちを考えると、瞬は氷河に同調するわけにはいかなかったのである。
自分は 人に避けられても仕方のない存在なのだと、ナターシャが思うようになってはならない。
そして、蘭子を優しくて面白い大きな お姉さんと認識し、彼女と仲良しのナターシャに、カズヒサくんのママの偏見や差別の事実は知らせたくない。
愛娘をよその男に取られたくない氷河は放っておくにしても、カズヒサくんとカズヒサくんのママの偏見を正し、カズヒサくんが 以前のように ナターシャと遊べるようにしてやらなければならない。

ナターシャのため、カズヒサくんのため、蘭子の名誉のため。そして、この社会から 差別を一つ消し去るため。
瞬は、次の日曜日、カズヒサくんのママに 偏見を取り除いてもらうべく、光が丘公園に向かったのだった。






【next】