ナターシャ仲間外れ令の発信から2週間が過ぎた日曜日の午前。 光が丘公園前の横断歩道で大きな交通事故が起きた。 その日その時、片側3車線、計6車線の道路は、平日ほどの交通量はなく、いかにも休日らしい のんびりした空気が漂っていた。 瞬とナターシャと氷河が手を繋いで、信号が青になるのを待っていたところに、三輪車に乗った小さな女の子と その母親、少し遅れて 少々 太めの男の子と その母親が、信号待ちに加わる。 2組の母子は、カズヒサくんのママのグループのメンバーで、ナターシャ親子と、そこで鉢合わせしてしまったことを気まずく感じているようだった。 ナターシャ親子と仲良くすると、自分たちが仲間外れにされる。 その事態を避けるために、彼等は、ナターシャたちが横断歩道を渡り始めても すぐには歩き出さなかった。 ナターシャたちが中央分離帯に到達するのを待ち、それから ゆっくりと彼等も横断歩道を渡り始める。 ナターシャたちが中央分離帯を過ぎたところで、異変が起きた。 公園に向かって右手から、異様な音を響かせた車が、光が丘公園前横断歩道に向かって突進してきたのだ。 そのまま直進したら、瞬たちより遅く横断歩道を渡り出した2組の親子が、確実に暴走車に轢かれる。 三輪車に乗っている女の子の進行速度は、それでなくても よちよち歩きの赤ん坊並みに遅かったのに、暴走車が響かせている不吉な音に驚いて、三輪車は横断歩道の上で 止まってしまった。 三輪車の停止に付き合う形で、女の子の母親と、もう一組の親子も歩みを止める。 というより、彼等は、前に進むのと 元の場所に戻るのとでは、どちらが我が身を安全な場所に運ぶことになるのかの判断が咄嗟にできず、そのため 前にも後ろにも動けなくなってしまったのだ。 瞬と氷河は 即座に動いた。 「ナターシャちゃん、走って向こうに渡って!」 「了解ダヨ!」 ナターシャの身の安全を確保すると、氷河と瞬は すぐにUターンした。 「三輪車は捨てる」 「わかった」 瞬は、三輪車に乗った女の子を右手に抱えて、三輪車を脇に蹴った。 そのまま、少々 太めの男の子の身体を もう一方の手で抱え、歩道に戻る。 氷河は、三輪車の脇を歩いていた二人の母親をほとんど同時に左右の腕に抱え、瞬に一拍 遅れて、歩道まで跳躍。 暴走車が三輪車を轢き、3つのタイヤを3方向に弾き飛ばしたのが、その1秒後。 それでも暴走車は止まらず、僅かにスピードを落としただけで、そのまま直進。 暴走車が止まったのは、公園前の横断歩道から100メートルほど先にある交差点。 そこで、信号を守って走行していた路線バスの横腹に突っ込み、重量負けすることによって、悪夢の暴走車は やっと止まることができたのだった。 路線バスに衝突して暴走車が暴走を止めた交差点周辺は、阿鼻叫喚を極める大混乱の巷と化していた。 暴走車とバスの他にも巻き込まれた車両があったらしく、怪我人も相当数出たようだった。 瞬たちが渡ろうとしていた横断歩道での被害は三輪車1台。 それは修理も不可能なほど 完全に大破していたが、三輪車の所有者は そのことに不満を言うつもりは 毫もないようだった。 三輪車は、自分の可愛い ご主人様の代わりに死んでくれたのだ。 「大丈夫ですか」 母親は 口をきけない様子で、歩道に へたり込んでいた。 瞬に渡された我が子を強く抱きしめて、大破した三輪車の残骸を呆然と視界に映している。 幾人もの女性の悲鳴と男性の怒号、子供の泣き声。パトカーのサイレンの音。 救急車のサイレン音が聞こえないのは、大事故の起こった交差点が、光が丘病院の正面入り口前の交差点だったからだろう。 交通規制が始まったらしく、通りに入ってくる車は警察車両だけになってきている。 「壊れた三輪車のこともありますし、警察も事情を聞きたいでしょうから、ここにいらした方がいいかもしれません」 もう一組の太目男子の母子の方は 二人共、自分の足で立てている。 男の子の方は まだ、何か起こったのか よくわかっていないようだった。 頬を紅潮させ、興奮している。 「お二人も警察に事情を告げて、大丈夫とは思いますけど、そのあとで 念のために光が丘病院に いらしてください」 通りは完全に通行止めになったのだろう。 それでも 信号が青になるのを待って、ナターシャが パパとマーマの許に駆け戻ってきた。 そして、氷河の腕の中に飛び込む。 「氷河。ナターシャちゃんを連れて、家に帰って。早く帰った方がいい。きっと野次馬が集まってきて、この辺は騒然となると思うから。ナターシャちゃん、今日は公園で遊ぶのは我慢して、氷河と一緒に おうちに帰ってね。僕は、手伝いが必要だろうから、病院に行く」 「ナターシャ、パパと一緒におうちに帰るヨ。マーマ、お仕事、頑張ってネ!」 氷河に抱きかかえられたナターシャの応援エールに、 「ん」 瞬は、小さく頷いた。 平日ではないので、病院に向かっていた外来患者が多く巻き込まれることにはなっていないだろうが、休日なので、遠方から光が丘公園にやってきた家族連れが巻き込まれている可能性が大きい。 死者が出ていなければいいのだが――と願いながら、瞬は病院に向かって駆け出した。 その後ろ姿を見詰めていた三輪車の女の子のママが、覚束ない足取りで よろよろと立ち上がり、いかにも 恐る恐ると言った体で、氷河の腕の中にいるナターシャの名を呼ぶ。 「ナ……ナターシャちゃん?」 「ナーニ」 相手が公園で自分を仲間外れにしているグループのメンバーだということを知らない(気付いていない)ナターシャの声には、全く屈託がない。 三輪車ママは もちろん、氷河に話しかける勇気がないから、ナターシャに声を掛けたのである。 「あ……あの、ナターシャちゃんのママ、病院に お手伝いに行くって言ってたけど、ナターシャちゃんのママは光が丘病院に お勤めしてるの?」 「ウン! ナターシャのマーマは 光が丘病院のお医者さんダヨ。マーマがいるから、ナターシャの健康管理はばっちりデ、甘いジュースは飲みすぎ禁止ダヨ!」 マーマが立派な(厳しい)お医者さんだということを 得意げに告げたナターシャは、当然 マーマの立派さ(厳しさ)を三輪車ママに褒めてもらえるものと思っていたのである。 が、彼女の褒め言葉は、 「光が丘病院のお医者様……? で……でも、底辺で下等だって……」 ナターシャには理解できない難しい褒め言葉だった。 それで ナターシャは少し がっかりしたのだが、ともあれ、その日の事故以来、光が丘公園ちびっこ広場の風は 逆方向に吹くことになったのである。 |