グラード財団総帥が非公式に催す“サツキの花を愛でる園遊会”に、任命されて間もない経済産業省 製造産業局局長が 配偶者同伴で招待されるのは 前例のないことで、招待された局長当人も、彼の前任者も、他局の局長たちも、それが良い兆しなのか 良くない兆しなのか、皆目 見当がつかなかった。
ただ一人、局長夫人だけが、
「きっと、私たちもついに上流社会への仲間入りということよ」
と、浮かれていた(らしい)。

グラード財団といえば、世界に冠たる巨大複合企業グループ。
最近 景気停滞気味の欧米ではなく アジアに拠点を置くグラード財団は、GAFA等のIT企業より はるかに安定した財の土台を持つ、果てのない宇宙のような組織、天上界の結社と異名をとる“神”のような存在。
その神組織の総帥が個人的に主催するガーデンパーティに招待されたのである。
上昇志向が強く プライドの高い経済産業省 製造産業局局長夫人(カズヒサくんのママ)の心と足が浮かれるのは 至極当然のことだったかもしれない。
そして、その園遊会の会場である城戸邸の庭に、下等な家庭の面々を見い出した時の夫人の驚きもまた 尋常のものではなかったろう。

氷河と瞬とナターシャを 順番に それぞれ たっぷり5秒ずつ見詰め、その三人が自分の見知っている三人であることを確かめてから、
「なぜ、あなた方が ここに……」
彼女は瞬の上に視線を戻して、呟きめいた声で尋ねてきた。
その問い掛けへの答えは、この園遊会の主催者にして、この広い屋敷と庭の女主人から返ってきた。

「瞬が、あなたと ゆっくり お話する機会を持ちたいというものですから、私の名で招待させていただきましたの。本当は、あまり気が進みませんでしたのよ。今度の製造産業局長の夫人は、学歴や官職に固執する―― 大学卒業資格や官名を必要とする中流の人間だというし……。でも、ナターシャちゃんのためですものね」
にこやかに微笑みながら、ほんの少し 眉根を寄せるだけで、美しく上品に軽蔑の念を表する沙織のテクニックは さすがである。
そこまでのテクニックを持たないカズヒサくんのママの口許は、はっきり ひくひくと引きつった。

庭のテーブルに着いている出席者の中で随一の食欲を示し、自分の皿に各種オードブルを小山のように積み上げていた星矢が、事前の打ち合わせ通り、沙織に茶々を入れてくる。
「沙織さん。それは東大医学部卒、エリート中のエリートの瞬をディスってんの?」
「あら。瞬は仕方がないわ。医師になろうと思ったら、現代の日本では どうしたって 大学の医学部で学ぶ必要があるのですもの。医師になって人の命を救う仕事に従事したいと思う瞬の志は尊いと思っているわよ、もちろん。瞬は、人間として最上等。瞬を中流だなんて、私が そんなふうに思うわけがないでしょう」

すべては台本通り。
ナターシャと その家族を下等と見下す人間の認識を正すための荒療治である。
実際、ついに上流の仲間入りができると期待して 意気揚々と乗り込んできた場での 中流呼ばわりは、カズヒサくんのママには 頭に隕石の直撃を受けたくらいに 大きな衝撃だったらしかった。
上には上にある。
そして、見る人の位置や向きによって、上が下になり、下が上になることもあるのだ。

「娘がカズヒサくんと お話できないことを気にしておりまして。カズヒサくんさえよければ、娘と仲良くしてやってほしいんです」
瞬のへりくだった態度が、カズヒサくんのママには かえって癪に障ったらしく、彼女は むっと唇を への字に引き結んだ。
が、その夫君の方は、エリート街道を突き進んでいるだけあって、細君より はるかに社交スキルが高かった。
「もちろんです。こんな可愛らしいお嬢さんに気に掛けてもらえるなんて、息子も隅に置けないな」

夫君の そつのない対応に、カズヒサくんのママが ますます むっとした顔になる。
カズヒサくんのママの その反応を見越した上で、次の役者は紫龍だった。
「ナターシャは、父親に似ず しっかり者で、常識家です。ぜひ よろしく お願いしますね」
その非常識なまでの長髪にも かかわらず、紫龍が誠実で道徳的な人物と見なされることが多いのは、いかにも 落ち着いていて穏やかに見える その表情と言葉使い、所作のせいである。

そして おそらく紫龍は、氷河より彼女のタイプだったのだ。
「え……ええ。それはもう」
温厚篤実を絵に描いたような紫龍に 丁重に頼まれると、カズヒサくんのママは 急に――驚くほど急に、その 攻撃性を消し去って、冗談のように 大人しくなった。
これで次に、光が丘公園のちびっこ広場で カズヒサくんがナターシャと会った時、二人が仲良く遊ぶことができれば、問題は すべて解決するだろう。
星矢の“計画通り大成功”の合図に、ナターシャの顔が ぱっと明るく輝く。

「ヤッター! マーマ、やっぱり ナターシャは カズヒサくんと オハナシしてもいいんだネ!」
「もちろんだよ。ナターシャちゃんが カズヒサくんに優しい気持ちで接してあげれば、カズヒサくんも ナターシャちゃんと仲良くしてくれるよ」
「ヨカッター」
マーマに お墨付きをもらって、ナターシャは満面の笑顔。
光が丘公園ちびっこ広場版 身分違いのロミオとジュリエット物語は、こうして無事に大団円を迎えたのだった。


――が。
ナターシャが、“カズヒサくんと オハナシしちゃ駄目なナターシャ”でなくなり、カズヒサくんが“仲間外れの かわいそうなカズヒサくん”でなくなれば、ナターシャは元通り、カズヒサくんを特別視することはなくなるだろう。
――というのが、氷河の未来予測である。
『少なくとも あと20年、ナターシャは“パパとマーマ最優先、彼氏は後まわし”でいる』
と、自身の希望込みで、氷河は主張しているのだ。
障害のなくなったロミオとジュリエットの恋の行方は、おそらく シェイクスピアも知らない。






Fin.






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