山羊座の黄金聖闘士と 善良な一般女性を結びつけることをアテナは断念してくれたという報告を受けたシュラは、幾度も伏し拝まんばかりに瞬に礼を言い、その尽力に感謝した。
かなり強引なアテナのやり口には不満そうだったが、『アテナは ただ、彼女の聖闘士たちに幸福になってほしいと、それだけを願っているのだ』と 瞬にアテナの真意を説明されて、シュラは大人しくなってくれた。
アテナへの忠誠心が最も厚いことで売っている山羊座の黄金聖闘士。
だが、シュラは、沙織に振りまわされることには慣れていないのだ。
それに関しては、旧青銅聖闘士たちに一日の長がある。

「沙織さんの破天荒には、星矢の暴虎馮河並みに慣れているつもりだったが、沙織さんも よく毎回毎回 常人には思いつかないことを思いつくものだな。アテナの聖闘士に“普通の幸せ”とは。明日の命の保障がないのが、俺たちアテナの聖闘士だぞ」
『この恩は、いつか必ず』と 当てにならない約束をして、シュラが氷河の家を辞していくと、家の主は呆れたように(おそらく、彼が呆れた相手はシュラとアテナの二人である)、リビングのソファに わざと だらしなく座り直した。

アテナの聖闘士が“普通の幸せ”を求めないのは、まさに、明日の命の保障がないからである。
それでも家庭を築くことができるのは、紫龍のように、聖闘士の何たるかを知り、聖闘士の身内になることの意味を知り、そうなる覚悟ができている伴侶に巡り会えた、ごく少数の幸運な者だけなのだ。
その覚悟のない人と恋に落ちることは 無責任な振舞いだと、おそらく多くの聖闘士が考えている。
沙織の憂いも、そこに起因しているのだ。

暗にアテナを無責任だと非難する氷河に、瞬は賛同できなかった。
もしアテナが本当に無責任なら、彼女は、パートナー紹介サービス業ではなく、結婚相手紹介サービス業を始めていたはずなのだ。
とはいえ。

「『いつ死ぬか わからない。生きている間は一緒にいよう』って、確かに無責任なようだけど……でも それはアテナの聖闘士に限らず、誰だって そうでしょう。アテナの聖闘士より、若くして亡くなる人は大勢いる。アテナの聖闘士たちのように、常に、明日 死ぬかもしれないっていう覚悟でいる二人の方が、より充実した幸せな日々を過ごせるのかもしれない」
「『明日 死ぬかのように生きろ。永遠に生きるように学べ』か」
氷河が、マハトマ・ガンディーの言を、皮肉な調子で口にする。
口調が素直でないのは、ガンディーが アテナの聖闘士とは正反対の非暴力の闘士だったからだろう。
戦い方が真逆の者たちが、同じ覚悟で生きている――生きていた――のだ。

「多分、それは、闘士だけでなく人間全般に有効な法則なんだよ。ガンディーは敵対者が多かったし、実際 彼は最終的に暗殺された。僕たち同様、死が本当に身近にあったから、その覚悟に至りやすかったんだろうね」
それは皮肉なことでも何でもない。
平和と安全から遠いところにいる者ほど、その覚悟に気持ちが近付く。

「氷河がナターシャちゃんを叱れないのは、ナターシャちゃんに厳しくした直後に 自分が死ぬことになったら、ナターシャちゃんの中に、『自分は パパに叱られた悪い子だった』という記憶が残ることになるかもしれないからだよ。氷河は、そんな事態を避けたいんでしょう?」
「避けたいというより、恐れているんだ。俺は小心者だから」
瞬の推測を、氷河は 実に微妙な認め方をした。
そんな氷河に、瞬が 微妙な笑みを向ける。

「だから、いさかいが生じたら、すぐに仲直り。嘘をついたままは嫌だから、常に正直。『ありがとう』『ごめんなさい』は言い渋らない。――明日 死ぬかもしれないっていう意識は、人間に緊張感と賢明と思い遣りの心をもたらしてくれると思う」
「賢明? 俺がか?」
氷河が また皮肉な口調になる。
今回は、彼が褒められ慣れていない男だから。
誉め言葉を素直に受け入れられない思春期の子供のような氷河の反応に、瞬は苦笑した。
氷河は、子供のまま 立派なパパになった、稀有な例だと思う。
彼は その難事業を、愛の力だけで成し遂げたのだ。
「僕と氷河くらいになると、大喧嘩した状態で仲直り前に死んでも、僕たちは信じ合っていたっていう確信が揺らぐことはないから平気だけど、ナターシャちゃんは まだ小さくて、感受性も強いからね」

氷河のように、愛があれば、それは可能なのだ。
アテナの聖闘士が家庭を持つことも、家族を持つことも。
沙織は、彼女の聖闘士たちが 最初から それを諦めているのではないかと案じていたが、おそらく それは違う。
そうではなく、アテナの聖闘士たちは、何よりも その愛を、地上世界の平和とアテナに対して注いでいるだけなのだ。
アテナが そうしているように。

アテナの聖闘士は、一人の人間としての自分の幸福を諦めているのではなく、もっと別のものを愛し、その愛のために生きている。
そして、彼等は、今 既に幸せなのである。
アテナが その事実をわかっていないはずはない。
わかっていないはずはなかった。

「アテナの聖闘士の お見合いだの、パートナー紹介サービスだの、あんまり奇抜すぎるし、人によっては有難迷惑なことだろうけど、沙織さんは、ナターシャちゃんと一緒にいる氷河が あんまり幸せそうだったから、そんなことを思いついたんだと思うよ。シュラさんの お見合いの失敗で、沙織さんも もう少し慎重になってくれるでしょう」
「沙織さんの破天荒な暴走も、結局は俺たちへの愛の成せる技だしな」
それがわかっているから、アテナの聖闘士たちは――アテナの聖闘士たちも――彼等の女神を愛するのだ。
多少、彼女の奇矯で大胆な振舞いに 多大な迷惑を被ることになっても。






Fin.






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