「ナターシャ、ずうっと不思議だったんダヨ。マーマはいつも にこにこしてて、優しくて、ナターシャがいけないことすると叱るけど、でも、ナターシャはマーマがちっとも怖くないヨ。パパや一輝ニーサンの方がずっとコウゲキテキダヨ」 積年の(?)謎をパパに投げてから、ナターシャは、 「パパも一輝ニーサンも怖くないケド……」 の一文を、やはり不思議そうな顔で付け足した。 そして、もしかしたら『強い』と『怖い』と『攻撃的』は違うことなのかもしれないと、パパからの答えを受け取る前に。ナターシャは ぼんやりと思ったのである。 そんなナターシャに、氷河は、縦にとも横にともなく首を振った。 「そうだな。たとえば俺は、世界を全部凍らせて、地上世界の命をすべて死なせることができる」 「ウ……ウン……」 ナターシャの反応が微妙なのは、パパが世界全部を凍らせるほどの力を持っていることは知っていたが、それが 地上世界のすべての命を死なせる力でもあると考えたことがなかったから。 パパの力は、世界の平和を守るためだけに発動するものだと信じていたからだった。 だが、確かに、パパの力は 地上世界に存在する すべての命を消し去ることもできる力である。 「一輝は 世界をすべて燃やし尽くすことができる。星矢は世界を全部 砕いて壊すことができる。紫龍は世界のすべての海や川を逆流させたり狂わせたりできる。黄金聖闘士というのは、それだけの力を持つ者たちのことだ。黄金聖闘士は地上世界の平和を守るために戦う者たちだが、平和を守る その力で、世界を、地球を、壊すこともできるんだ」 「ナターシャ、ちょっとコワイヨ……」 パパたちが普通の人より強いこと――とてもとても強いことは、ナターシャも知っていた。 だが、その強さを怖いと思うのは、今日が初めて。 心許なげに 瞬きを繰り返すナターシャに、氷河は、彼にしては珍しく、目だけではなく 目と唇を連動させて作った笑みを向けた。 「怖がらなくていい。瞬がいるから」 「マーマ?」 「そうだ。瞬は、俺や一輝や星矢や紫龍が 世界を壊そうとしても、他の黄金聖闘士たちが 世界を滅茶苦茶にしようとしても、黄金聖闘士と同じくらいの力を持った敵が 地上のすべての命を消し去ろうとしても、それを止めることができるんだ。瞬は、地球を守ることができる。金色のチェーンで地球全体を包んで」 「ウン!」 水汲みホウキを止められず、家の中は大洪水。 家ごと すべてが押し流されそうになった絶体絶命のミッキー鼠を救うべく、魔法使いの先生が颯爽登場。 あの瞬間、それまで心配で はち切れそうになっていたナターシャの胸は、安堵と喜び、期待と興奮で爆発しそうになった。 あの時のように――不安の色に染まっていたナターシャの瞳に 明るく大きな光が灯る。 「瞬は、俺の凍気を融かすことができる。一輝の紅蓮の炎を 凍える人を温める光に変え、暴れる星矢を落ち着かせることもできる。紫龍が作る逆巻く激流を 優しい せせらぎに変えることもできる。瞬は、破壊し攻撃することしかできない俺たちとは そこが違うんだ。瞬は、自分の力だけでなく、俺たちの力をも制御することができる。瞬は すべてを守る力を持っているんだ」 「マーマ、すごいヨ!」 ナターシャの周囲は、一足先に 梅雨が明けてしまったようだった。 すべてを守る力を持っている人が 自分のマーマであることが誇らしくて たまらないのだろう。 ナターシャの瞳は、真夏の太陽のように明るく強く熱っぽく輝いている。 「力は、力を動かせるだけじゃなく、その力を止める技を持つ者が使うのでなければならない。だから、いちばん強いのは瞬なんだ。俺や一輝は、ミッキー鼠と同じ 魔法使いの弟子。瞬は偉大な魔法使いの先生なんだ」 「マーマ、サイキョー!」 ナターシャは もはや喜びと興奮を 自分の中に閉じ込めておくことができなくなってしまったらしい。 マーマが偉大な魔法使いであり、最強の黄金聖闘士であることの喜びを、彼女は その身体で表現し始めたのである。 主に、長ソファの上での連続でんぐり返りと、パパ登りとパパ降りの反復で。 どんどん音を立てて飛び跳ねるのは、下の階の人に迷惑だから、いい子のナターシャはしない。 それは、明日 晴れた公園で。 きっと、雨が止むのを待っていたお友達が 大勢繰り出してくるだろう公園で。 最強のマーマが、 『冷たい雨の中で 遊んで、風邪をひいたら大変でしょう?』 と言っているのだ。 マーマの言いつけは守らなければならない。 せっかく 雨が止んで お天気になっても、その時 風邪で熱を出してベッドを出られなかったら、その方が つらくて詰まらないに決まっているのだ。 ナターシャは、いい子で 雨が止むのを待つことにした。 ナターシャの決意を見て取った最強のマーマが、最強の微笑みを浮かべる。 「さあ、ナターシャちゃん。今日のジュースは、ナターシャちゃんと氷河が編み出したバナナとマンゴーのミックスジュースだよ。バナナとマンゴーだけで 十分に甘くて、お砂糖は入っていないから、今日は 特別に、ジュースの おかわりОKだよ」 「ワア、ヤッター!」 たとえ お砂糖が入っていなくても、いつもなら、 『果物の甘さは お砂糖とおんなじで、摂りすぎると中毒になるんだよ。おかわりは麦茶にしようね』 と言われて、甘いジュースのおかわりは許されない。 今日 おかわりOKなのは、きっと、雨が降っているからである。 雨のせいで、最強のマーマが甘くなっているのだ。 ならば、雨の日も悪いことばかりではない。 そう思いながら、 「いただきまーす!」 ナターシャは大喜びで、バナナとマンゴーの甘いジュースを飲み始めたのである。 雨の日の外出を1日 我慢してもらうために、黄金聖闘士が二人掛かりで、幼い娘の機嫌取りをしなければならないこの季節。 ナターシャこそが 地上世界最強の闘士だった。 Fin.
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