星矢たちが 1本 脇に逸れた線路の上を走っているうちに、転校生は 中庭のベンチから消えていた。
星矢の冗談が気に入らなかったらしく、氷河が 早々に席を立ち、
「氷河、頭でも痛いの?」
見当違いな心配をして、瞬が氷河のあとを追っていく。
カフェテリアのテーブル席に 紫龍と残された星矢は、氷河に殴られた頭を右手で押さえながら、ぷっと頬を膨らませた。

「『頭でも痛いの?』って、今は俺に訊くべきことだろ。瞬は なんで 俺の頭じゃなく、氷河の頭の心配なんかしてんだよ」
星矢の憤りは至極尤も。
紫龍は 止められない笑いを止めようともせず、星矢に頷いた。
「おまえの方は、痛いのかと訊くまでもなく痛いに決まっているから、わざわざ訊かなかったんだろう」
「へ」
紫龍の解説に、星矢は暫時 眉根を寄せて 理解不能の気持ちを滲ませたが、その顔は まもなく得心のそれになった。

「なるほど」
それで納得する星矢も、なかなかの大物である。
納得した星矢は、更に線路の切り替えを行なった。
「んでも、瞬と城戸邸で会って、瞬を美少女と間違えて好意を抱く――までは、まあ、氷河でなくても ありそうな話だから、いいとしてさ。それから一ヶ月 同じ屋根の下で暮らしても、瞬が男だって気付かなかったことにも、4万キロ譲って許してやるとしてさ。同じ学校に通うことになったってのに、それでもずっと瞬が男だってことに気付かずにいたってのが あり得ないよな。グラードは男子校だぜ」

一連の文章の守護は『氷河』。
そして、日本にやってきた氷河が出会った絶世の美少女は、もちろん瞬のことである。
初めて出会った日の瞬の微笑に ほとんど一目惚れした氷河は、それから ほぼ五ヶ月の間、瞬を少女だと信じていたらしい。
瞬が男子だということに気付いたのは、つい1週間前、城戸邸のジムにある屋内プールで 瞬と鉢合わせした時。
その邂逅(?)がなかったら、氷河は 今でも瞬を少女と信じたままでいたに違いなかった。

鈍感なのか、思い込みが激しいのか、物事を見たいようにしか見ない(たち)なのか。
ともかく そのせいで、氷河は このところ非常に苛立っていた。
瞬が男子だったことにではなく、瞬が男子だということに気付かずにいた自分自身に。

「瞬はアテナの聖闘士で、体力で普通の男にひけをとることはないんだから、特別に男子校への入学が許されたのだと思っていたらしい」
「勝手に許されたことにするなって」
物事を自分に都合よく解釈する氷河の才能は、尋常のものではない。
それだけなら ただの勘違い男で済まないこともないのだが、氷河のすごいところは、物事を あるがままに見ることができるようになったあとも、自分に都合よく解釈して見ていた頃と その心が変わらなかったことだった。

「氷河は、男とわかっても、やっぱり瞬のことが好きなままなのかな」
「嫌いになる理由もないからな」
「大変だよなー」
この『大変だよなー』は、半分は ストレートであるにもかかわらず男子に恋してしまった氷河のための『大変』、残りの半分は そんな氷河に恋されてしまった瞬のための『大変』である。
もっとも、瞬は、今のところは 自分が氷河の絶世の美少女だということに、全く気付いていないのだが。

「氷河は、自分の大変さを あまり気にしていないようだが」
「瞬が綺麗で優しけりゃ、それでいいってスタンスみたいだよな。それはそれですごいっつーか、俺より大雑把っつーか」
「昨今、LGBTだからどうこうと目くじらを立てると人権問題になるから、誰もが注意深く 神経質になっているが、氷河の場合、それらのことを乗り越えたというのではなく、本当に気にしていないからな」
「氷河の非常識な好意を知らされた時、瞬がどう出るか、楽しみだぜ」

氷河は本当に星矢より大雑把だろうか(=星矢は本当に氷河より大雑把ではないだろうか)。
氷河の非常識な恋を知っている星矢は、非常識なことに、氷河の非常識な恋を 異様に楽しんでいるようだった。
氷河の非常識が、心底から楽しくてならないようだった。
紫龍が そんな星矢に、内心で苦笑する。

「日本に こんな面白い見世物が待ってるなんて、思ってもいなかったぜ。ほんと、生きて帰ってこれてよかったよ。これだから、生きてることはやめられない。退屈してる暇もない。今は、主に氷河のおかげで」
『今は、主に氷河のおかげで』
その言葉の意味するところは、『あの転校生も、何か面白い芸の持ち主なら嬉しいんだが』である。
転校生は 星矢の期待に応えられるほどの逸材か、それは今はまだ 神のみぞ知ることだった。






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