瞬を我が物にすべく、最も虎視眈々と瞬を狙っているのが氷河だということを、一輝は知っているし、一輝が最も瞬から遠ざけたいと思っている相手が氷河だということを、氷河は承知している。 昔は犬猿の仲だった一輝と氷河。 共通の敵を倒すために、敵同士が手を結んでいる。 それが、今の一輝と氷河なのだ。 倒幕という一つの目的のために、犬猿の仲だった薩摩と長州が 薩長同盟を結んだように。 反米のために、中露が協力体制を築くように。 所詮は 敵同士。 結局は決裂するのだとしても、今は。 「サッカー部のキャプテンから、おまえのハンカチを預かってきた。『本当に ありがとう』と言っていた」 「僕のハンカチを――氷河に返したの?」 「ああ」 「……」 キャプテンからの返却品は、『ありがとう』のメッセージを(口頭で)添えて、氷河から瞬に返却された。 何となく責任を感じて、星矢は、その返却の場に立ち会ったのである。 キャプテンの思いと悔し涙が沁み込んだ(比喩である)ハンカチを受け取った瞬の反応は、謙虚な瞬らしく頓珍漢そのもの。 「以前は、僕に 氷河への橋渡しを頼む人が多かったのに、最近は みんな、物怖じしなくなってきているんだね。氷河に近付くために、僕のハンカチを利用するなんて」 「いや、それ、違うから」 キャプテンの名誉のためにもせめて その誤解だけは解いてやらなければ。 そう考えた星矢は、更に『キャプテンには、そんな趣味はない』と言おうとした。 が、直前で思いとどまる。 瞬を好きなのだから、相手が氷河ではないだけで、キャプテンには“そんな趣味”があるのである。――なのだろうか? 相手が氷河だと“そんな趣味”で、相手が瞬だと“そんな趣味”ではないような気がするのは、不思議である。 いずれにしても、あの兄と氷河がついている限り、瞬の謙虚な性格は変わらないだろう。 瞬に直接 アプローチする勇者が現われても、瞬は その勇者の欲する相手が自分だとは 決して気付かないのだ。 「特に俺に用があるようでもなかったがな。直接 おまえに返さなくてもいいと思っただけだろう」 「それなら、普通は星矢に頼むでしょう。同じサッカー部なんだから」 「それもそうか」 瞬の謙虚の性向を、氷河は助長してきた。 瞬が、自分の美しさや多くの才能に恵まれている事実を自覚して 傲慢になることがないように。 幼い頃から瞬に特別の好意を抱いていた氷河は、瞬が自信に満ちて 恋の冒険に乗り出すようなことになったら 困るのである。 自分は多くの人に好かれ、憧れられ、恋されるタイプの人間ではないと、瞬が誤認している方が、氷河には都合がいいのだ。 氷河は、敵の攻撃を防ぐことにばかり気を取られて、自分が一輝と築いている鉄壁の防御が、他でもない 自分の首を絞めていることに気付いていなかった。 この先、氷河が瞬に『好きだ』と告白しても、瞬は その告白の相手が自分だとは思わないだろう。 面と向かって告白されても、思わないだろう。 謙虚な瞬は、自分が氷河に恋されるような大層な人間だと、うぬぼれることができないのだ。 “謙虚”は美徳だが、謙虚な人間というものは なかなか厄介な存在である。 Fin.
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