けど、でも、どうしても、綺麗で幸せそうな家族を 不幸にしてやらなきゃ気が済まなくて、でないと 自分がかわいそうで――いつまで経っても俺の中から、ナターシャちゃん親子への わだかまりは消えなかった。
俺は つくづく どこまでも かわいそうで不幸でみじめな人間だよ、本当に。
それにさ。
実際問題として、人間はみんな――不運な俺も 幸せなナターシャちゃんたちも――どうせ いつかは死んでしまうのに、なんで誰もが 汲々と生き続けてるのか、俺は本当に その理由がわからなかったんだ。

9月の防災週間の週末。
光が丘区民ホールで特別なイベントがあるからって、俺は あのケーキ屋のご主人から大口のデリバリーのバイトを頼まれた。
これはフードデリバリーのアプリ経由じゃなくて、店で、ご主人から直接、口頭で。
馴染みになると、こういう お得なバイトも飛び込んでくる。

イベントは 防災教室。
光が丘公園周辺での 災害時の避難所は 公園の外にある区民ホールなんだけど、自分たちの避難所を光が丘公園内の施設だと誤解してる人が多いらしくて、だから、区民ホールで防災教室をすることで、避難所の場所を覚えてもらう狙いがあるらしい。
公園で遊んでいる時に 地震があったら、ここに避難するよう、子供たちにも覚えてもらいたいとかで、防災教室は親子で参加推奨。
俺が生きてるのは ご都合主義が 大手を振って まかり通る三文ドラマの世界だから、もちろん、その防災教室に、ナターシャちゃんとナターシャちゃんのパパとマーマが参加してたんだ。

子供の命を守るために 大人たちに勉強してもらうのが、この防災教室のテーマだから、参加者は ほとんど親子連れだけど、パパとママの両方が来てる家庭は少ない。
参加者は 公園のちびっこ広場から、みんなで区民ホールへ移動。その経路を確認。
そのあと、大人たちは、災害と避難経路や危険な場所について、小ホールで勉強。
子供たちは会議室で、秋の星座教室。
親と離れての星座教室は、子供たちが親と一緒でなくても集団行動ができるようにするのが趣旨の講座らしい。

俺のバイトは、イベントの参加者に配る焼き菓子の配達。
そのあと、ケーキ屋のご主人と一緒に 子供たちの世話。
子供たちの世話つっても、いろんな星や星座の写真の展示を見たあと、星の絵を描く子供たちが騒いだり、会議室を出て行ったりしないように、会場で“見守る”だけの仕事なんだけどな。

でも、“星の絵を描く”って、小さな子供には 結構ハードルの高い課題じゃないか?
クレヨンと色付き画用紙を渡された子供たちは、ヒトデ型の星を描く子供たちと パネル写真に似せた絵を描こうとする子供たちに、ほぼ二分されてた。
そんな子供たちの中で、ただ一人、ナターシャちゃんの絵だけが異質。

黄色の輪が幾つも――丸い星? いや、これは鎖か。
それが人間の手に繋がっている。
どう見たって 星の絵じゃない それに興味を引かれて、俺は つい、ナターシャちゃんに話しかけてしまったんだ。
たった今、彼女が ここにいることに気付いたふうを装って。

「あれ? ナターシャちゃんも来てたんだ。今日もパパと一緒? 前に、ケーキ屋さんでパパと一緒にいるのを見たよ。金髪のイケメンパパ。パパはお勉強会?」
俺は さりげなく声をかけたつもりだったけど、大人が聞けば、それは やたらと説明的で、いかにも いかにもな誉め言葉つきの、わざとらしい接触だったかもしれない。
ナターシャちゃんは そんなこと、気にも留めなかったみたいだったけど。
「ウン。マーマも一緒ダヨ。ナターシャのパパとマーマはお勉強家なんダヨ」
見知らぬ他人が自分たちを知っていることを不思議に思っていないナターシャちゃん。
ナターシャちゃんは、自分たちが いつも世の注目の的だってことを知ってて――自覚してるみたいだった。

「ナターシャちゃんは、乙女座が好きなんだっけ」
「ウン。ナターシャは、乙女座と水瓶座とアンドロメダ座と白鳥座が好きなんダヨ」
ああ、それで わかった。
ナターシャちゃんは 鎖に繋がれたアンドロメダ姫を描いてるんだ。
確かに、星の絵だ。
「アンドロメダ座と白鳥座を知ってるなんて、すごいね! 星占いにも出てこないのに」
「ナターシャは知ってるんダヨ!」
パパやマーマより年上のおじさんに褒められて、ナターシャちゃんは思い切り得意顔。

こんな子供が、自信満々で人生を生きてるのに、その10倍の時間を生きてきた俺は、人生に文句を言いながら、卑屈に みじめに日々を過ごしてるんだと思うと、俺の みじめ度が増す。
エリート医師の春の小川マーマや金髪イケメンパパには立ち向かっていけないが、幼い子供のナターシャちゃんなら。
俺の中に ひどく意地悪な気持ちが生まれてきて、それは すぐに言葉になって、俺の中から 溢れ出た。

「ナターシャちゃんは知ってる? 星も死ぬんだよ。アンドロメダ座を作ってる星の一つは超新星爆発した星なんだ。死んだ星の光が見えてるんだ。星も死ぬんだから、人間も、みんな死ぬんだ。俺も ナターシャちゃんも ここにいるみんなも ナターシャちゃんのパパとマーマも――いつか人間は すべて滅びる。太陽が膨張して、地球を吞み込み、燃え尽きる。人は生きてたって無意味なんだよ」
一生懸命 黄色のクレヨンで金色の輪を描いていたナターシャちゃんが、その手を止めて、初めて俺の顔を まともに見詰めてくる。
ナターシャちゃんは、黄色のクレヨンを強く握りしめた。

「ナターシャのパパとマーマは強いから、死なないヨ!」
「どんなに強い人でも死ぬんだ。だって、この星がなくなるんだから。人間が生まれてくることには、何の意味もないんだ。ナターシャちゃんも死ぬんだよ」
ナターシャちゃんが、手にしていたクレヨンを画用紙の上に置いて、俺の顔を見る。
大きな瞳で、俺をじっと見る。
もしかしたら、ナターシャちゃんは、俺の目の中に、たくさんの邪悪なもの、恐ろしいもの、醜いものを見付けてしまったのかもしれない。
それまで自信満々で明るく輝いていたナターシャちゃんの瞳が、急に 怯えた小動物のそれみたいになって――そして、ナターシャちゃんは、掛けていた椅子から立ち上がり、会議室を飛び出した。






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