思うところは多々あり、言いたいことも多々あったが、瞬が声にできたのは、
「氷河。スマホを見せて。こないだ 遊園地で撮った僕たちの写真」
という言葉だけだった。
その場に立ち上がった瞬の前に、氷河が無言で彼のスマホの画面を指し示す。
記憶に残っている通りの、幸福なパパと娘と友人の写真。
瞬きをしたくてもできなくて――瞬は その写真に見入ったのである。

「これだ。この写真のせいで、この20年間、僕がどんなに……」
どんなに思い悩んだか。
「瞬……」
氷河は今になってやっと、自分の残酷に気付いたらしい。
「氷河には、つい昨日のことなんだね」
ナターシャが、その写真を見たがって、パパに抱っこをせがむ。
動けずにいる氷河の代わりに、瞬がナターシャを抱き上げた。

20年間 瞬を悩ませていた幸せそうな家族の写真は、ナターシャを笑顔にした。
ナターシャには それは、彼女が幸せな家族の一員でいることの ただの大切な身分証明書でしかないのだ。
ナターシャの屈託のない笑顔が、氷河の罪悪感を いや増しに増したのだろう。
彼は、瞬の前で、ほとんど噛むように きつく、唇を引き結んだ。
「すまん。俺は、おまえにナターシャのマーマになってもらいたくて――そのためには、俺とおまえとナターシャが幸せな家族になっている写真を、幼いおまえに見せるのが有効だと思ったんだ。それが運命なのだと 子供のおまえが信じるようになれば、すべてがうまくいくと――未来の幸福が確約されていれば、おまえも生きることに不安を覚えなくなるだろうと思った」
「氷河らしい……」

一つ 目的を定めたら、そこに続く一本の直線の道しか見えなくなる氷河。
『鹿を追う者は山を見ず』の典型だが、良くも悪くも、動機が愛なだけに、瞬は氷河を責めることはできなかった。
「でも、未来はわからない方がいいね。わからないから未来で、わからないから希望もある」
「すまん」

氷河が『すまん』ばかりを繰り返すので、ナターシャは心配になったらしい。
「パパ、どうなるの。世界一のマーマ カクトクプロジェクトは失敗なの? 失敗しても、諦めないヨネ !? ナターシャは、瞬ちゃんがいいんダヨ。世界で二番目や三番目のマーマはいらないヨ。ナターシャは絶対に、瞬ちゃんに ナターシャのマーマになってもらうんダヨ!」
信じて貫けば、夢は必ず叶う。
ナターシャが氷河と暮らすようになって、まだ ひと月にもならないというのに、ナターシャは既に氷河の座右の銘に共感し、人生に対する姿勢も、氷河のそれを見習って、妥協を知らず傍迷惑なほど一途になっているらしい。

「ナターシャちゃん……」
この二人にタッグを組んで迫られて、抵抗できる気がしない。
結局、氷河の望み通りになるのは少し癪ではあったのだが、瞬はナターシャのマーマになることを承知したのである。
20年間の懊悩を理由に拒絶するには あまりにも――その欠点を含めて、愛さずにいられないほど――瞬は氷河を知りすぎていたから。
そして、ナターシャは あまりにも――彼女を幸せにするためになら、どんなこともできてしまうと思えるほど――愛らしい少女だったから。
彼女をがっかりさせることなど、瞬には到底できることではなかった。

だから、瞬は彼女のマーマになる決意をしたのである。
それが 氷河にとって、ナターシャにとって、自分自身にとって 最善の選択なのかどうかはわからないが、それが 氷河にとって、ナターシャにとって、自分自身にとって 最善の選択であることを願って。

未来は、どうなるかわからない。
わからないから 未来は未来で、わからないから希望もある。






Fin.






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