瞬がアフリカに行くと言い出したのは、氷河の解離性同一性障害が皆の知るところとなって 半月ほどが経ってからのことだった。
瞬は、日本に留まり、高卒認定試験を受けて、更に上の学府に進む――という将来を思い描き始めている。
そう察していた瞬の仲間たちは、瞬の決意を 小さくない驚きをもって迎えたのである。

氷河ほど明瞭明確に意識していたわけではないが、『瞬は、一輝の帰ってくるところ。この先、皆の境遇がどうなったとしても、有事の際には 瞬のいるところに行けば、仲間たちが集合することになる』と、星矢や紫龍は思っていた。
それゆえ、瞬は 日本に留まるものと、瞬の仲間たちは勝手に決めつけていたのだ。

「なんでアフリカなんだよ」
「アンドロメダ島の近くだし、言葉の問題もないし、あの辺りは貧しい地域が多いからね。内乱や騒乱も多くて、虐げられている人や 支援を必要としている人が 大勢いるから、僕なんかでも力になれることがあるかもしれないと思うんだ」

「それは実に尊い志だが、そのためには 医師免許を取っておいた方がいいのではないか? 以前、医師になれるものならなりたいと言っていただろう。そのために学ぶのなら、日本の方がいい。アフリカに渡るのは、せめて日本で医師免許を取得してから。日本より安い学費で、日本と同じレベルの教育を受けたいなら、留学先は北欧か中国だな」
「……」
暗に『アフリカ行きの理由は 他にあるのではないか』と問うてくる仲間たちに、結局 瞬はアフリカ行きを決意した本当の理由を白状することになったのだった。

「僕がいると、氷河の病状は、悪化することはあっても快方に向かうことはないでしょう? 僕は氷河と離れた方がいいと思うんだ。アフリカなら暑いから、氷河も気軽に僕のいるところに来ることはできないだろうから」
項垂れるように俯いて、アフリカ行きを決意した本当の理由を告げる瞬に、星矢と紫龍は 腑に落ちるどころか、あきれ果ててしまったのである。

「放っといても実害のない氷河の病気のために、おまえが 自分の将来設計を根底から覆す必要なんか ないだろ!」
星矢の怒声が、ラウンジ内に響く。
「星矢の言う通りだ。そもそも 氷河の病気は おまえのせいではない」
瞬のために――間接的に氷河のために――星矢と紫龍は、瞬に翻意を促す説得に取り掛かったのだが、それは、ほとんど無意味な行為だった。
彼等の説得が 功を奏しなかったのではない。
彼等の説得は、最初から不要のものだったのだ。

不要のものだったことが、
「瞬、すまん! 俺が多重人格だというのは、嘘だ。大嘘だ。ただの出まかせ、まるっきりの捏造だ。おまえへの気持ちが抑えられなくなって、あんなことをしてしまったが、俺は おまえに嫌われたくなくて、それで――俺はあれを 俺ではない俺のせいにして、せめて元の関係に戻ろうとしたんだ。すまん!」
という、氷河の告白で判明した。

「氷河……」
氷河に告白――むしろ白状――された瞬の方は、ぽかんと呆けるばかり――あまりに思いがけない告白に、瞬は呆けているように見えた。
否、瞬は、戸惑い、混乱していたのかもしれない。
氷河の告白を、そのまま受け入れることができずに。

「だが、俺が これまでに出会った様々な苦難を 別人格に逃げたりしなくても乗り越えてこれたのは、いつも おまえが俺の側にいてくれたからだ。だから、俺はおまえを好きになったし、だから 俺は どうしても おまえに嫌われたくなかったんだ……!」
「で……でも……僕、ほんとに――本当に、別の氷河がいると感じることがあって……」
「それっぽく演じていたんだ。人生の絶体絶命の窮地に立たされたら、俺だって それくらいのことはする」

氷河に演技力がある。氷河に演技力。
それは、瞬でなくても、にわかには信じ難い組み合わせである。
氷河に そんなものがあったなら、彼は 日頃から『似非クール』『自称クール』『クール(笑)』などと評されないように振舞うこともできたはず。
それとも、彼の演技力は、人生の崖っぷち、生死の境目に追いやられなければ燃え上がらない小宇宙のようなものなのだろうか。

「氷河、僕のために嘘をついてない……? 氷河はもしかして――」
瞬の疑念を、
「ついていない」
氷河は言下に、きっぱりと否定した。
瞬が氷河の その言葉を信じたのは、実に矛盾した話だが、氷河に演技力がないことを信じていたからだったろう。
演技力のない氷河が『あれは演技だった』と断言しているのだから――瞬は、氷河の言葉を信じたのである。
信じて、心を安んじたのだろう。瞬は嬉しそうな笑顔になった。
そして、氷河に訴える。

「あ……あのね、氷河。あの時、僕は、急に氷河に 好きだって言われて、ちょっと驚いただけだよ。僕が氷河を嫌いになるなんて、そんなことあるわけないでしょう。僕は、僕が死ぬまで氷河を好きなままでいるよ」
その『好き』の内容が どんなものなのかは ともかく。

「それは嬉しい。おまえに そう言ってもらえるだけで、俺の心は落ち着くし、安定する。アフリカ行きは、ぜひとも考え直してくれ。俺のために」
自分の一生に関わることなのに、瞬は 氷河に そう言われると、一瞬も ためらわず、至極あっさり、
「うん」
と頷いた。
その『好き』の内容が どんなものなのかは ともかく、瞬が 氷河のために 自分の将来設計を根本から変えることに 全く やぶさかでないのは 事実のようだった。






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