「それで一件落着したと思ったら、大間違いだぞ、星矢」 瞬の黄金聖衣拒否には、まだ続きがあったのだ。 「一件落着だろ。一件落着しなかったのかよ?」 紫龍の首肯は、もちろん、『一件落着しなかった』を意味する首肯だった。 黄金聖闘士になった翌日に、瞬は、 『旅に出ます。探さないでください』 という書き置きを残して、聖域を出奔したのだ。 書き置きだけでなく、乙女座の黄金聖衣も 処女宮に残して。 「黄金聖闘士が、黄金位を継承した翌日に失踪なんて、前代未聞の大椿事。俺などは、ついに瞬にも反抗期が来たのかと思うくらいで済んだが、瞬の人となりを よく知らない者たちは、また黄金聖闘士による反乱内乱勃発かと 疑心暗鬼を生んで、聖域内には 不穏な空気が漂うことになったんだ」 「失踪だなんて、大袈裟な。書き置きは日本語だったから、氷河と紫龍にしか わからないし、書き置きの内容は冗談としか思えないくらいの お約束フレーズ。普通は 笑い話で済ませることでしょう。聖域に常駐していないこと、一輝兄さんには許されているんだから」 「出奔、失踪――って、瞬がかよ !? 」 星矢が心底から驚いたのは、それが(過去のこととはいえ)星矢にとって 想像を絶することだったからである。 瞬はアテナの聖闘士の優等生にして模範生。 アテナの聖闘士の理想の体現者だったのだ、星矢にとっては。 「後を追うように 氷河の姿も消えたから、乙女座 内乱説は早々に消えて、乙女座水瓶座 駆け落ち説の方が有力になったがな」 「黄金聖闘士が二人で駆け落ち? それって、前代未聞の大椿事ってより、聖域始まって以来の大スキャンダルだろ。内乱ほどは 切実じゃないかもしれないけど、アテナの聖闘士の存在意義を根本から揺るがす大問題だ」 地上世界の平和を守るために戦うアテナの聖闘士――しかも黄金聖闘士――が、地上の平和より 個人的な愛を選ぶなど、恋のために王冠を捨てたエドワード8世並みに 人々の期待を裏切る行為である。 アテナの聖闘士の存在を知る一般人たちは、アテナの聖闘士に対して――黄金聖闘士に対しては特に――強さと共に 高潔、無私を求めている。 利己心を捨て、自分のためではなく他者のため、世界の平和のためだけに努める者が アテナの聖闘士であると考えている。 そうであることを期待しているのだ。 実際には、そんな偶像から程遠い聖闘士が大部分なのであるが。 「瞬が アテナへの反乱を企てるような人間でないことは、俺もアテナも知っている。氷河と駆け落ちなど、もっての外。氷河が瞬を追って姿を消しさえしなければ、偵察や視察に行っただけだと言い繕って、内々に収めることもできたんだ。氷河の馬鹿が事態を大ごとにした。水瓶座の黄金聖闘士が アンドロメダ座の青銅聖闘士に とち狂っていることは、あの頃の聖域では知らぬ者がないほど周知の事実だったからな。青銅聖闘士の気を引こうとして、毎日 へこへこ瞬の ご機嫌を取っている黄金聖闘士に、聖域の皆が呆れていたんだ。その瞬が黄金聖闘士になった途端、氷河と共に姿を消す。聖域は、下種の勘繰りをする輩で あふれかえることになった」 もう十年以上も前のことである。 それでも、その出来事を語る紫龍が 氷河を見る目には、憤怒と軽蔑の光が宿っていた。 が、紫龍の非難に、氷河はどこ吹く風。蛙の面に水 状態。 自己弁護すらしない氷河に代わって、瞬が 彼の弁護に立つことになった。 「氷河は、僕を心配して 追ってきてくれたんだよ。僕が軽率だっただけ」 「でも、なんで……」 それは瞬が成人する前――まだ十代だった頃の話。 瞬は若く、まだ子供だった。 しかし、もっと幼い頃から 常に いい子だった瞬を知る星矢には、それは やはり にわかには信じ難いエピソードだったのである。 「なんで……って……」 細く吐息して、瞬は、いったん言葉を途切らせた。 なぜだったのか、その理由を、瞬は今 考えている。――ように、星矢には見えた。 「僕は、世界の平和のために 力を尽くしたいとは思っていたけど、でも、できれば、戦いじゃないことで、そうしたかったんだ。敵を倒すんじゃなく、傷付いている人を癒すことで」 「……」 星矢が どんなリアクションも示さずに無言でいると、瞬が更に補足を加えてきた。 「黄金聖闘士になれば、戦いは避けられない。誰も傷付けたくないなんて、甘えたことは言っていられない。でも、何か――何か方法があるんじゃないかって……。やっぱり 甘えだったのかな……」 黄金聖闘士になって なお、黄金聖闘士としての自分を受け入れずにいた理由を、瞬は 気弱げに、ためらいがちに、しかし その実、至って滑らかに口にした。 いかにも瞬らしい理由だが、だからこそ かえって、星矢は、その答えを 素直にそのまま受け入れることができなかったのである。 瞬は 本当の理由を そんなに答えたくないのか――命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちにも知らせたくないのか。 星矢は胸中で嘆息した。 |