「ナターシャちゃんには、知らない人にはついていかないようにと、いつも言ってあった。ナターシャちゃんに何かあったら、氷河がパニックになっちゃうから、約束を守ってって、何度も言ってあったんだよ。ナターシャちゃんは いいつけを守るいい子だ。それが パパのためとなったら、その約束を破ることは考えられない。もし無理に知らない人に連れていかれそうになったのなら、ナターシャちゃんは大きな声で騒いでいたはずなんだ。あのコンクールの最中、その声に応えてくれる人は、周囲に たくさんいたんだから」 瞬の言わんとするところを、地域安全センターの警官は、警官として適切に理解してくれた。 「瞬先生は、つまり、これは顔見知りの犯行と お考えなんですか?」 「断言はしませんが、ナターシャちゃんを連れて行ったのは、ナターシャちゃんが知っている人か、でなれば、誘拐する相手に 騒ぐ隙も与えないほど 誘拐慣れしている人だと思います」 瞬の推理を、氷河と星矢は、聖闘士として理解する。 つまり、『顔見知りでなかったら、聖闘士の仕業だ』と。 そうであるならば、誘拐犯が ナターシャに騒ぐ隙を与えなかったことにも、ナターシャが連れ去られる場面を見たという子供が ただの一人もいないことにも、説明がつく。 聖闘士は、それを 光速に近い高速で行なったのだ。 「くそっ。ナターシャが無事に戻るのなら、マッカランだろうが、山崎だろうが、響だろうが、好きなのを くれてやる。だが……」 誘拐犯は、ナターシャの顔見知りか、聖闘士。 酒の価値がわかる人物。 そして、ナターシャに、『誘拐犯さんの言うことを聞いてネ!』と言わせてしまうことのできる何者か。 正直、氷河は、悪い予感しかしなかったのである。 警官は、とうの昔に お手上げ状態。 しきりに、練馬警察署に一報を入れたい素振りを見せている。 瞬は、彼に、『あと少し』と言って、待ってもらった。 「お酒の価値を知っていて、氷河がナターシャちゃんを溺愛していることも知っていて、氷河の報復を恐れない、おそらく聖闘士」 『聖闘士』のところだけは警官に聞こえないように声をひそめて、瞬が言う。 「そういえば、デスマスクがアフロディーテと 俺の店に来た時、あの酒に興味を示していたな」 と言い出したのは、氷河だった。 「二人が?」 「デスマスクが。アフロディーテはワインだけだそうだ」 「……」 瞬が黙り込む。 氷河が、 「デスマスクなら、冗談でやりかねないが」 と言ったのは、むしろ、ナターシャの命の恩人でもある彼を、ナターシャ誘拐の容疑者から外すためだったろう。 瞬が、頷く。 「デスマスクさんはナターシャちゃんを気に入ってた。誘拐なんて、ひどいことはしないと思うよ。彼は、氷河がナターシャちゃんを溺愛していることも知っているし、何より、彼は 彼なりの美学を持っている。悪いことをするにしても、金銭欲や物欲に突き動かされてすることはない。もっとこう、意地悪というか、嫌がらせっていうか、そういう類のことは嬉々として、しそうだけど」 「ああ」 瞬はデスマスクを ナターシャ誘拐の容疑者リストから除いた――と、氷河は思ったのだろう。 だから、瞬に、 「……彼等、今、どこにいるの?」 と重ねて問われたことは、氷河には意外なことであったらしい。 「どこぞのホテルと言っていたが」 シュラ同様、現代の聖域では、デスマスクとアフロディーテも逆賊扱いなので、彼等は城戸邸に寄宿はできない。 沙織は拒まないだろうが、彼等の心情的に、それはできないことだろう。 シュラは必死にアルバイトをして生活費を稼いでいるが、アフロディーテとデスマスクは どこから生活費を手に入れているのか。 それを手に入れるために 身代金目当ての誘拐をすることはないだろうが、彼等は(シュラとは違って)、金で苦労することはなさそうなイメージがあった。 「デスマスクを疑っているのか?」 氷河に問われると、瞬は、縦にとも横にともなく、首を振った。 そして、自らの推察と その根拠を 氷河たちに語り始めた。 「蘭子さんから転送してもらった誘拐犯からの音声データの後ろに、もう一つの声が聞こえるんだ」 「もう一つの声?」 「うん。最初はエコーかと思ったんだけど、そうじゃない。ちょっと 音声分析ソフトを使って、聞こえる声を分解してみたら――」 音声データを分解した結果の波長グラフを、瞬はパソコンのディスプレイに表示した。 その波長図の意味するところは、氷河にも星矢にも警官にもわからない。 『図の意味が分からない』ということを、氷河が、 「どういうことだ?」 の一言に置き換える。 瞬は波長図の説明を省略し、そこから導き出される結論を語り始めた。 「誘拐犯とナターシャちゃんは、氷河のお店で、携帯電話を使って、お店の固定電話に電話をかけ、留守録機能を使ってメッセージを残したんだと思う。声が重なって聞こえるのは、実際にナターシャちゃんたちが話している声と、携帯電話を経由した声が 同時に録音されたからだろうね」 「……」 星矢と警官は、瞬の説明を すぐには理解できなかったようだった。 彼等に先んじて理解した氷河が、 「誘拐犯が店内にいたというのかっ !? 」 と叫ぶ。 瞬は、つまり、そう言っていた。 では、誘拐犯は、ヴィディアムー2号店のドアを開けることのできる人物――ということになる。 「シュラさんは、堅苦しいくらい真面目だから、たとえ狂言でも、そういうことに加担はしないと思う。蘭子さんも、仮にも元警察官だからね。自分が誘拐犯なら、留守録の声を電話越しに聞かせることはしても、わざわざ音声データをパソコンに送るなんて 危険なことはしない。となると、残りは――」 「俺じゃないぞ」 氷河が言わずもがなのことを言い、瞬は、 「僕でもない」 と、そんな氷河に付き合った。 そして、心底から困ったように、瞬は告げたのである。 「誘拐犯は、ナターシャちゃんだと思う。ナターシャちゃんなら、ヴィディアムーのドアの暗証番号くらい、氷河が開けるのを見て、覚えているでしょう。単独犯ではなく、大人の協力者が 最低でも一人いる。お酒の価値と銘柄を知っていて、ボイスチェンジャーを使って身代金を要求してきた共犯者。十中八九、デスマスクさんだろうね」 「それって、どういうことだよ !? 」 星矢と、 「つまり、どういうことですか?」 警官と、 「なぜナターシャが そんな――」 氷河が、ほとんど同時に瞬に反問してくる。 瞬は、彼等に答える代わりに、その場で、デスマスクの携帯電話に電話をかけた。 「あ、僕、瞬です。うちの娘が お世話になっています。ちょっと急用があるので、ナターシャちゃんを電話に出していただけますか?」 「なんだ、もう ばれたのか」 の応答に続いて聞こえてきたのは、 「マーマ !? どうして わかったのーっ !? 」 という、元気そのもののナターシャの声だった。 |