被害は、取り壊す予定の建物だけでは済まなかった。
瞬が作った嵐は、当初の予定の5軒より多い10軒ほどの建物を 一度に薙ぎ倒した。
そのせいで人的被害が出なかったのは、診療所の取り壊し作業の騒音を避けるため、近所の建物の使用者や住人が 事前に 他の場所に避難済みだったから。
そして、被害が10軒程度で済んだのは、すぐ側に 子供たちがいる――という意識が、瞬の力を抑制したからだった。

瞬は、自分が巻き起こしてしまった嵐から子供たちを守るために、子供たちの上に我が身を投げ出し、そんな瞬を庇うために、氷河もまた我が身を使った。
おかげで子供たちは無事だったのだが、ヒュペルボレイオスの兵たちは崩れた漆喰壁やレンガの下敷きになり、瞬は、『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝罪の言葉を繰り返しながら、彼等の手当てに当たることになってしまったのである。
永遠に封印したつもりで、力の制御方法を体得していなかったのが間違いだったと、瞬は声には出さずに自身を責めていた。
――つもりだったのだが、知らず知らず 声に出してしまっていたらしい。

ヒュペルボレイオスの兵を瓦礫の下から引っ張り出し、仮の診療所に運ぶのを、氷河が無言で手伝っていたのは、取り乱して自身を責め続けながら怪我人たちの手当てをしている瞬に、この大事故(?)の事情を聞きだすことができなかったからだった。
最初から取り壊しが決まっていた建物で、瞬が崩壊させる前に半分以上 取り壊し済みだったことが幸いし、ヒュペルボレイオスの兵たちは全員 命を取り留めた。
内臓を 使い物にならなくなるまでに押し潰すほど重い物が彼等の身体の急所に落下することはなかったのだ。
彼等を迅速に救い出し、すぐに手当てすることができたことも 幸いした。

自分に危害を加えようとした男たちを 泣きながら手当てする瞬の姿に、ヒュペルボレイオスからやってきた誘拐犯たちは毒気を抜かれ、敵意を失ってしまったらしい。
「こんな化け物級の力を持った人を どうにかしようとした我等が、軽率で愚かだった」
謝罪でないにしても、反省(もしくは後悔)の弁を口にして、彼等は瞬に恭順の意を示してきた。
命は取り留めたが、骨折や打撲がひどかったので、抵抗を続けたくても それは無理な話だったろうが。


元々は非力な者たちが身を寄せ合う 小さな集落に過ぎなかった中立地帯。
その中立地帯が 町になり、都市になり、国としての体裁が整い始め、その噂がヒュペルボレイオスに聞こえてくると、ヒュペルボレイオスの民の流出が始まった。
中立地帯に行けば、貧しくとも平和な日々を過ごすことができる。
民の流出は、故国に特権や財を持たない下層民から始まった。
下層民がいなくなると、今度は、それまで中流だった者たちが下層民になり、故国を出ていく。
この5年で ヒュペルボレイオスの人口は 以前の3分の1にまで減った。
南のエティオピアより高い文化を誇るヒュペルボレイオスは、様々な事業の分業が進んでおり、下層民が消えると 国の活動そのものが立ち行かなくなる。
このまま 戦が続き、人口の流出が続けば、ヒュペルボレイオスの国は死んでしまう――。

故国の死を憂えた彼等は、どんな手段を用いても ヒュペルボレイオスとエティオピアの戦を終わらせることを決意。
そのために立てた計画が、エティオピア国王の実弟を人質に取り、エティオピアに無条件降伏を迫る――というものだったのだ。

「瞬がエティオピア国王の弟?」
初めて知る その事実に、氷河は驚き――すぐには 信じることができなかった。
「戦場で幾度か対峙したことがあるが、エティオピア国王は 瞬とは似ても似つかない暑苦しい豪傑タイプの男だったぞ。いや、そんなことより、そもそも、診療所を崩壊させたのは 本当に瞬なのか」
仮の診療所の診療室。
誘拐団の2人は 簡易寝台に横になり、残りの4人は 手足や頭を包帯でぐるぐる巻きにされ、ベンチに座らされている。
最も重症で、左大腿骨を複雑骨折し 横になっていた誘拐団の首領が、氷河の言を聞いて、恨めしげな眼を 瞬の護衛官に向けることになった。

「ヒュペルボレイオスの次期国王と目されていた氷河殿までが、中立地帯に行ったきり、故国に戻ってこない。その理由が よりにもよって、敵国の王弟に たぶらかされてしまったから。我等が焦る気持ちを、わかっていただきたい――とまでは言いませんが、氷河殿に我等を責める権利はない」
「叔父上には ちゃんと知らせたぞ。俺の好きにしていいと、許可も得た。……俺を知っているのか」
「知らないわけがありません。ヒュペルボレイオスの次期国王が、色に迷って、国を捨てるなど情けない」
「……」

返す言葉を思いつけず黙り込んでしまった氷河の代わりに、今度は瞬が驚き、瞳を見開く。
「氷河がヒュペルボレイオスの次期国王?」
氷河は、即座に首を横に振った。
「いや、それはない。俺は 戦うしか能のない男だ。確かに俺の叔父はヒュペルボレイオスの現国王だが、俺が中立地帯に 留まるつもりだと知らせたら、叔父は それでいいと返事をよこしたんだ。『帰ってこい』の一言も『考え直せ』の一言もなかった」

「それは、たとえ国王が禁じても、あなたは 自分がしたいことをする人だから、陛下は仕方なく――」
左足を副え木に きつく固定された誘拐団首領の反論を、
「それは、ヒュペルボレイオスの国王陛下が、ヒュペルボレイオスの国王としてではなく、陛下ご自身の志の後継者として、氷河に期待しているからでしょう」
と言って 遮ったのは瞬だった。

その言葉の意味がわからず、無反応でいる氷河と ヒュペルボレイオスの兵たちを順に見やり、見詰め、瞬は、北のヒュペルボレイオス国王と南のエティオピア国王による壮大で遠大な計画について語り始めたのだった。






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