デスマスクに殴りかかろうとした氷河に足を引っ掛けて転ばせ、星矢は、黄金聖闘士の品位も品格も品性もないデスマスクに呆れた口調で尋ねたのである。
「瞬を自分のものにするって、そういうことなのかよ?」
と。
デスマスクが答えて曰く、
「ある人間が、自分以外の人間を一人、自分のものにしようとした時、その方法は、犯すか 殺すか、その二択だろう。他に どうすることができるというんだ。神の前で永遠の愛でも誓うってのか?」
『言葉での誓いに意味はない。そんなものは 無効に決まっている』と信じ切っている顔で、デスマスクは星矢に反問してきた。

『無効だろう』と、星矢も思ったのである。
人の心は変わる。
それ以前に、そもそも愛の誓いは 一方的に誓っても意味がない。
瞬も誓うのでなければ。
そして、もちろん、この場合、“瞬を殺す”は無しである。
瞬が死んでしまったら、神が愛を向ける対象 そのものが消え、常勝の力も不死の力も消えることになるのだから。

“瞬を自分のものにする”他の方法が思いつかずに 黙り込んでしまった星矢に代わって口を開いたのは、双子座ジェミニのサガだった。
「即物的すぎて 身も蓋も品性もないが、デスマスクの案は、そう悪いものではないかもしれんぞ」
「どこがだよ!」
“瞬を自分のものにする”他の方法を思いつかないことに苛立ち、黙っていられなくなり、だから怒声を響かせた星矢を、
「デスマスク以外の誰かが」
の一言で、サガが黙らせる。

星矢が その一言で 黙ってしまったのは、『確かに、それで とにかく、最悪のパターンは回避できる』と思ってしまったからだったかもしれない。
“他の誰か”ならいいというわけではないのだが、ともかく、それで 星矢は ついうっかり わめくのをやめてしまったのだ。
デスマスクに対しては 失礼千万なことに。

仲間の名誉に配慮する気配も見せず、事務的といっていいような口調で、サガが 彼の提案を続ける。
「聖域にとって最悪なことは、聖域と敵対関係にある陣営の者に アンドロメダを奪われることだ。そして、それによって“敵”が、常勝や不死の力を有するようになること。その最悪の事態を防ぐ 最も手っ取り早い方法は、最悪の事態が起きる前に、アンドロメダが誰かのものになってしまうことだ。聖域と敵対しておらず、おかしな野心を持っていない者。アンドロメダから得られる力を悪用して、世界を征服しようなどということを考えないような者に。最悪の敵にアンドロメダを奪われる前に、アンドロメダが 適切な者と寝てしまえばいいんだ。アンドロメダと寝る相手は、無害でありさえすれば 最善最適でなくていい」

『良くも悪くも、さすがはサガ』
その場にいる者たちのほとんどが、そう思った。
そう思わない者もいるにはいたし、思わない者の筆頭は もちろん、“最善最適ではないかもしれないが、無害な”誰かのものにされる瞬 その人だった。
そして、サガのその提案に最初に賛意を示したのは、その場にいた ほとんどの者たちにとっては実に思いがけないことに、星矢――最も瞬と親しく、ゆえに最も瞬の価値観や気持ちを わかっているはずの星矢だったのである。
瞬の貞操(?)を守るために 誰よりも強く反対するだろうと思われた星矢が、意外にもサガの案に乗り気だったのだ。

「それ、いいな。瞬、おまえ、好きな奴はいないのか? この際、男でも女でもいいからさ。おまえを手に入れれば、途轍もない権力や不死の力を手に入れられるんだって 思い込んだ世界中の不埒者共が、おまえを狙ってんだぞ。人間、神、男女、敵味方 入り乱れた争奪戦が始まろうとしてるんだ。俺たちも 頑張ってガードするけど、そんな ろくでもないことを考える奴は、どんな手を使ってくるか、わかったもんじゃない。けど、おまえが さっさと、おまえの好きな奴と くっついちまえば、おまえを狙ってる奴等の9割くらいは、おまえのこと諦めるだろ」
「星矢……」

極めて親しく、最も価値観や気持ちを理解している人間が、その人と同じ価値観を持ち、同じ考え方、同じ感じ方をする人間になるとは限らない。
親しいからこそ、理解しているからこそ、全く逆の視点に立った意見や助言を思いついたり、与えたりすることもある。
「す……好きな人……って……」
星矢の助言(?)が あまりに突拍子がなく 想定外すぎ規格外すぎる助言(?)だったので、瞬の理解力は なかなか星矢のそれに追いつくことができなかったが。

「だから、こいつとなら寝ていいって相手だよ。人間に神、男女、敵味方 入り乱れた、馬鹿げた争奪戦が始まる前に、さっさと身を固めちまうんだ!」
「そんな……」
同い年、同じような境遇、修行の時期も期間も同じ。
聖闘士になった時期も同じで、共にいる時間が最も長い、いわゆる親友同士。
見た目や性格は対照的だと思っていたが、まさか星矢が ここまでドライな男だったとは。
――と、その場にいた黄金聖闘士たちは誰もが、星矢の非人情な提案に、少なからず驚いていた。
どこか ブッ飛んだところがあることは知っていたが、まさか ここまでだったとは――と。

瞬はといえば、気の置けない親友の青天の霹靂といっていい提案に 驚く余裕もなく、戸惑い、困惑するばかりである。
「きゅ……急に そんなこと言われたって、寝てもいい相手なんて、そんな人いないし、身を固めろって言われても、身って、固めようと思って固まるものでもないでしょう」
「でも、このままじゃ、聖域にもアテナにも世界にも人類にも大迷惑がかかるだろ。おまえが身を固めないせいで、聖域が崩壊して、全人類が超大悪党の暴君に虐げられることになるんだぞ。おまえ、それでいいのかよ」
「それはよくないけど……」

それはよくないが、“色気より断然 食い気”の星矢の『身を固めろ』と強弁されることの理不尽さ。
どうしても得心できず、だが反論もできずにいる瞬に、星矢が更に畳みかける。
「だったら、ここは全人類の命を救うために、アンドロメダ姫みたいに 我が身を犠牲にして、テキトーに そこいらへんの奴と――」
「星矢……」
気負い込む星矢の名を呼ぶ瞬の声は、半泣き状態。

そんな瞬を見かねて、
「“あわよくば”程度の9割の棚ぼた希望野心家を 諦めさせるためなのであれば、瞬の相手の恋人は偽物でもいいのではないか? 実際に肉体関係を持つことまでせずに、身を固めた振りをするんだ。虫よけに」
と言ったカミュは、その時、なぜ自分が星矢に睨まれ、紫龍に軽侮の視線を向けられるのか、わからずにいた。

星矢が氷河の師を睨むのを すぐにやめて、
「虫よけなら、断然 聖闘士がいいぜ」
「そうだな。瞬が突然 黄金聖闘士とくっついたら、その黄金聖闘士が お稚児さん趣味を疑われることになって不本意だろうから、そんな心配のない下っ端の聖闘士を一人」
言いながら、星矢と紫龍が ちらりと氷河を見る。
それから、瞬を見る。

その段になっても、星矢の星矢らしくないドライな提案の訳を理解できていない黄金聖闘士は、アイオリアとカミュの二人だけだった。
そして、もう一人、瞬当人。
ずらり 勢揃いした黄金聖闘士の迫力に たじろぎ、後ずさり――瞬は、
「か……考えておきます」
と言って、その場から逃げ出すので精一杯だったのである。



アテナ神殿のファサードから教皇殿に向かって逃げるように駆けていく瞬と、その瞬を追いかける氷河の後ろ姿を目で追いながら、
「ということは――」
と口火を切ったのは、アリエスのムウだった。
「瞬を手に入れた人間は、人類最高の知恵、戦いにおける常勝、不死、無限の富を手に入れ、地上世界の永遠の帝王になれるという噂を流したのは、星矢、君だったのですね」
星矢が、全く悪びれない笑顔で頷くのは、彼が 全く罪悪感を抱いていないからだろう。

「あ、俺は ただの実行犯。この計画を思いついたのは紫龍。くっつくんだか、くっつかないんだか、瞬たちが いつまでも宙ぶらりんでいるもんだから、瞬たちより俺たちの方が落ち着かなくてさあ。当人同士だけでも白黒つかずにいるとこに、ハーデスなんて変なもんまで乱入してきたって知って、もう いっそ 俺たちで決着つけちまおうって気になったんだよ」
「大した友情だ」
知らぬこととはいえ、青銅聖闘士たちの計画に 率先して乗ってしまった自分が悔しいのか、吐き出すようにサガが言う。

「おまえたち、何を言っているんだ」
「いったい、何の話をしている」
ここまで はっきり すっかり 包み隠さず、ハーデス乱入に便乗した犯罪(?)計画が披露されたというのに、まだ状況を理解できていないアイオリアとカミュ。
彼等は彼等で それなりに、希少価値のある大物なのかもしれなかった。






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