特段 歩調を速めたわけではなかったが、歩幅を少し広げるだけで、氷河は、気まずげな足取りの思春期三人組を あっという間に 追い越してしまった。 追い越したところで立ち止まり、身体の向きを変える。 氷河が立ち塞がって、三人の中学生を通せんぼ。 突然、冷ややかな目をした体格のいい外人に 行く手を遮られ、睨みつけられ、思春期三人組は 怯み、ぎょっとしたようだった。 何にでも突っかかっていきたいのが反抗期の少年の心理だろうが、それも 時と場合と相手による。 親や兄弟には反抗できても、見るからに危険で強くて怖そうな大人には、顔をしかめてみせることさえしないのが、第二次反抗期の理性というもの。 彼等は、彼等の前に立ち塞がった氷河に、反抗的な虚勢の間投詞の一つも投げてこなかった。 彼等の様子を一言で言い表すなら、“全身硬直の直立不動”。 そんな彼等の緊張を和らげてやるために(?)、氷河は ふっと鼻で笑うことをした。 「素晴らしい思春期の一場面を見せてもらえた感動を禁じ得ないので、親切に忠告してやる」 何を言われるかと 怯えていたところに投げかけられた言葉が『忠告してやる』。 三人組が それを脅しと解釈したのは間違いなかった。 氷河は、だが、本当に 彼等のためになる忠告をしてやったのである。 「貴様等、自分の人生を大切と思うなら、彼女を侮辱するようなことは言わぬ方がいい。おかしな意地やプライドのせいで、つい心にもないことを言ってしまうのは、思春期にはありがちなことらしいが、弾みで口走ってしまった一言で、人生を左右するような、途轍もない損をすることがあるから、気をつけろ」 「それ、どういう――」 遠回しな脅しだとしても、まるで意味がわからない。 そんな顔をして、三人組は 氷河の顔を上目使いに見上げた。 その2メートル後方で、親切な津島さんが きょとんと瞳を見開いている。 「たまたま 家が近所だったから、同じ学校の同じ部の部員だったから、知り合い、近付くことのできた相手が、成長したら とんでもない高嶺の花になるということもあり得る――ということだ」 「は……あ?」 瞬の言いつけを守り、氷河は無茶なことはしていない。 ただ氷河の存在そのものが、一般的な中学生には 圧倒的な威圧感で迫るものだったのだ。 思春期の少年たちは恐慌状態に陥っているようだった。 少し 場の緊張感を和らげた方がよさそうだと考えた瞬が、ナターシャを抱きかかえて、微笑を浮かべながら、氷河と三人組の方に歩み寄る。 そして、氷河のそれに比べると百倍も優しく やわらかい声で、三人組に告げた。 「同感。彼女は、今でも十分に可愛いですが、あと数年も経てば、目の覚めるような素敵な美人になりますよ」 氷河たちが 自信をもって そう断言するのは、彼女のナターシャへの親切が根拠だった。 津島さんは、本当は かなり おしゃれで、身の回りのことにも気を配るタイプの少女である。 その上、恋することも知っている。 そんな彼女が、優しく繊細な心の持ち主でもあるのだから、美しい女性にならないわけがないのだ。 この段になって、思春期三人組は、自分たちが氷河に脅されているのではないことが わかってきたようだった。 「へっ」 「えっ」 「まじか」 というのが、その三人組の反応で、 「まさか」 というのが、津島さんの反応だった。 十代の少女。 中二病という言葉もあるように、心のどこかで 自分は特別な存在なのだと思っているのが、この年頃の少年少女だろう。 だが、彼女の中には、そういう気持ちが無いらしい。 あっても、極小極少らしい。 あるいは、特異な美貌の持ち主である氷河や瞬の前で、うぬぼれることができなかっただけなのかもしれないが、瞬の予言(?)への彼女の反応は『まさか』だった。 彼女は 彼女の年頃にしては、自己評価が低い。 自信過剰と自信喪失の間を大胆に行き来するのが、この年頃の特徴であるにしても。 ナターシャに親切にしてくれた心優しい少女が これではいけないと、氷河は思ったらしい。 氷河にしては珍しいことだったが、彼は 津島さんを褒め称える言葉を更に重ねた。 実に微妙むしろ巧妙な言い回しで。 「貴様等は、今のまま 自分を向上させるための努力をせずにいたら、いつまでもダサくて詰まらない男のままだが、彼女が いずれ、貴様等が気後れして 足元にも寄れないくらいの美形になることは確実だ。良好な関係を保っておいた方がいいぞ」 「……」 いったい この親子(?)が何者で、なぜ こんなことを、今日 偶然出会ったばかりの自分たちに言うのか。 それは三人組には わからないことだったろう。 わかるはずがない。 しかし、氷河と瞬の言葉には 説得力があった。 なにしろ、そう言う当人たちが、一般人の常識から大きく外れた美貌を持つ 尋常ならざる美男美女(?)なのだから。 「いいか。機会均等、四民平等なんて綺麗事は せいぜい中学までのことだ。中学を卒業したら、美貌、学力、芸術やスポーツ分野での突出した才能、親の権力人脈等で 人間は露骨に分類される。貴様等は、この日本という国が 途轍もない身分制社会であり、生きにくいほどの階級社会だということを思い知ることになるだろう」 腕力に訴えていないだけで、氷河は かなりの無茶をしている――彼は 極端な暴論を吐いている。 だが、反抗期の中学生たちは、氷河の暴論に反論する気概も論拠も持ち併せていないようだった。 反抗期の無謀をもってしても、氷河に噛みつくことは不可能――ということなのだろう。 「彼女の心を傷付けるような残酷な暴言を吐き、『別に何とも思っていない』、『無関係だ』と、詰まらん意地を張って、彼女と疎遠になってしまったら、5年後に、向こうは超美人、こっちは 社会の底辺に埋没する 目立たないダサ男。声も掛けられない、違う世界の住人になっていて、『中学生だった あの時、あの公園で、あんな ひどいことを言わずに、仲のいい友だちでいればよかった』と後悔する羽目に陥る」 氷河の紡ぎ出す予言ストーリーは、なかなか 無茶なものではあったが、軽々しく否定してしまえない説得力と迫力とを備えていた。 瞬でさえ、氷河の即席ストーリーに かなりの実現性を感じるほど。 もともと、思春期 兼 反抗期三人組は 三人共、以前から 心のどこかで津島さんのことが気になっていたのだろう。 彼等は 自分が気にしている人のことを、友人たちも気にしていることを感じ取って、牽制し合っていたのかもしれない。 それが あの暴言に繋がったというのなら、なるほど思春期というものは、切なく罪作りな季節である。 「津島が、そんな美人になるのか? ほんとに?」 氷河に そう問うてきたのは 無斉くんで、彼は、 「なる。俺の目に間違いはない」 という氷河の断言を 喜んでいるようではなかった。 彼は むしろ。津島さんに そんな大層な美人になってほしくなかったのかもしれない。 彼には、今のままでも十分だったのかもしれなかった。 無斉くんにとっては、喜ばしいことではないのかもしれないが、氷河の予言には説得力がある――ありすぎるほどある。 氷河自身が 作り物並みに整った顔立ちの持ち主で、瞬もまた、アラサーの今になっても“絶世の美少女”の呼び名を ほしいままにしている特殊な美貌の持ち主。 二人の娘であるナターシャも花のように明るく可愛らしい。 人間の美しさに関して、これほど説得力を備えた存在(たち)は 他にはないだろう。 「詰まらぬ意地を張って、疎遠になり、一度 違う世界の住人になってしまったら、再度の合流は難しい。後悔しないように振舞うことだ」 「……」 それが氷河の最後通牒で、それで彼は 三人組への警告を終了した。 三人組に背を向けて歩き出した氷河のあとを、ナターシャを抱きかかえた瞬が追う。 三人組は、そんな瞬たちを見送って、その場に ぽかんと突っ立ったまま、なかなか次のアクションに移ることができずにいるようだった。 氷河が彼等に語ったのは、言って見れば人生の損得である。 だが、たとえ 自分の損になるということがわかっていても、意地を張ってしまうのが思春期。 損になることが わかっていても 反抗してしまうのが反抗期。 理性が勝って、人生の損得を判断するか。 感情が勝って、意地を張り続けるか。 それを決めるのは、三人組各々の中で行なわれる葛藤という名の戦いである。 はたして三人組はどう出るのか。 当人でない氷河と瞬は、彼等の その葛藤にまでは口出しはできない。 瞬はただ、思春期を自由に生きるのも、なかなか大変なことのようだと、しみじみ思っただけだった。 |