裏門は、まだ開かない。
ナターシャが、この時代――“今”に来て、どれだけの時間が過ぎただろう。
そろそろ 元の時間に戻らなければならないかもしれない。
そう考えて―― ナターシャは、この時に来て、もしかしたら初めて、きっぱりと顔を上げた。
そして、いつも通り、はきはきと言う。

「マーマ、あのね」
「え?」
「もうすぐ、ここにナターシャのパパが来るの」
「君のパパ?」
「うん。金髪で青い目の、綺麗でカッコいいパパ。マーマをなくして、寂しいパパダヨ。パパをマーマたちの仲間に入れてあげてね。パパの名前は、氷河っていうの」
「氷河」
「お願い」
「……」
小さなマーマには、ナターシャの言っていることの意味が あまり――ほとんど わかっていないようだった。

パパのマーマ。
大人のパパと子供のパパ。
大人のナターシャのマーマに、子供のナターシャのマーマ。
複数のパパやマーマが入り乱れたナターシャの発言の内容は ナターシャにしか わからないものになっていた。
だが、小さなマーマは、ナターシャが一生懸命だということはわかってくれているようで――それだけは わかってくれているようだった。

「ナターシャのパパは ブキヨーでブアイソーなんだって。みんなが そう言う。パパも そう言う。ナターシャのパパは あんまり喋らないし、あんまり笑わないけど、ほんとは とっても優しいの。だから、パパをマーマの仲間に入れてあげて」
ナターシャが何を言っているのか、わかっていないはずなのに――わかるはずがないのに――小さなマーマは、
「氷河は、僕たちの仲間だよ」
と、ナターシャに言ってくれた。

わかっているはずがないのに――わかるはずがないのに、もしかしたら 小さなマーマはわかってくれている。
ナターシャは、そんな気がしたのである。
マーマがわかってくれているから、小さなパパはマーマに仲間として受け入れてもらえた。
そうして、だから、小さなパパは、幸せな大人のパパになったのだ。

「よかった」
ナターシャが、ほっと安堵の息をついたところに、
「来たぞ。今日が最後の一便なんだってさ」
偵察に行っていた星矢が、前屈みの態勢で、雪柳の茂みの中に戻ってくる。
ほぼ同時に、一台のマイクロバスが、裏門から城戸邸の敷地内に入ってきた。
バスが裏口の車寄せに停まっても、門は閉じられない。
子供たちを降ろしたバスが出ていくまで、門を開けたままにしておくつもりのようだった。

バスから、8人の子供が降りてくる。
皆、不安そうな足取り。
最後に降りてきた少年が金色の髪をしていた。

「パパ……!」
「ほら、チビ。今のうちに、バスの陰に隠れて、門の外に――」
星矢が早口で、ナターシャに逃走経路を示す。
だが、ナターシャは もう隠れようとはせず、堂々と まっすぐに、小さな子供のパパ目指して駆け出した。

「ナターシャちゃん……!」
「おい、チビ!」
「何者だ、あの子は……!」
瞬と星矢だけでなく、門の開閉を操作する警備員や辰巳までが、突然 現れた小さな女の子の姿に驚き、目を剥き、その女の子の振舞いに あっけにとられた。
ナターシャは 委細構わず、誰にも構わず、パパめがけて走り、辿り着き、やはり驚いて瞳を見開いているパパに、
「パパ。もうすぐ、マーマに会えるヨ」
と言った。

言ったつもりだったが、その声がパパに聞こえたかどうか。
タイムリミット。2時間経過。
言い終わった瞬間、ナターシャは 自分の部屋のベッドの横に立っていたのだ。
子供のパパは、自分の目の前で、小さな女の子の姿が消える瞬間だけを目撃し、その声までは聞き取れなかったかもしれない。


時の神クロノスは、ナターシャのパパとマーマが出会う2時間前に、ナターシャを運んだ。
そして、二人が出会う直前に、ナターシャを元の時間に連れ戻したのだ。
その采配が、クロノスの賢明だったのか、思い遣りだったのか、逆に、意地悪だったのか。
そのどれなのかと、ナターシャは考えもしなかった。
“今”に戻ってきたナターシャは ひたすら、パパとマーマが無事に出会えますようにと、それだけを祈った。
そして、翌日、仕事から帰ってきたパパとマーマの いつもと変わらぬ様子を見て、あの後、パパとマーマが無事に運命の出会いを出会ったことを確信したのである。

安堵して、ナターシャは、パパとマーマと星矢たちに、パパのお嫁さんになることを諦めたことを、正式に発表した。
「なななななぜだっ!」
ナターシャの“パパのお嫁さん断念宣言”がショックだったらしく、氷河は表情を変えずに泣き出しそうになっていたが、
「ナターシャは、パパのお嫁さんより、パパとマーマの 可愛い いい子のナターシャでいたいんダヨ」
と言われたことで、何とか立ち直ることができたようである。

リコちゃんは、最近、借金取りの目を逃れて、こっそりパパが会いに来てくれるようになったので、すっかり明るくなった。






Fin.






【menu】