私たちの寿命は3週間。
どんなに長く生きられても、一ヶ月。
私たちは、私たちの寿命が尽きたら、自分たちがどうなるのか、ちゃんと知ってる。
生気が失せ、綺麗でなくなり、可愛くもなくなり、しおれて みすぼらしくなり、醜くなる。
誰からも必要とされなくなり、むしろ邪魔物扱いされ、嫌悪されるようにさえなる。
でも、大抵は、そこまでいく前に、紙にくるまれて、燃えるゴミの日に出されるんだって聞いてる。
そのあとのことは、誰も教えてくれなかったけど、察しはつく。

平気よ。人間だって、死んだら その身体を燃やされるんだから、私たちと同じ。
それが命ある者の定め。
動物も植物も、山や川や海や空や、この星だって、いつかは死ぬ。
そして、その存在は消えてなくなる。
すべてが そういう運命なんだから、つらくも悲しくもない。

ナターシャちゃんに出会って、半月が過ぎた。
私たちは、この頃、具合いが悪くなって、まっすぐ前を見ることができず、項垂れていることが多くなった。
ナターシャちゃんが側に来た時には 頑張って顔を上げ、笑顔も作るんだけど、そろそろ それもできなくなってしまうかもしれない。
いよいよ お別れの日が近付いてきてるんだと思う。
私たちの 命の尽きる日が。

ああ、でも、私たちくらい、たくさん『綺麗』や『可愛い』を言ってもらえた幸せ者はいないと思う。
私たちは、きっと、世界一 幸せなブーケだった。
オレンジ色と赤、ピンク色のガーベラが集まってできた小さな小さなクラッチブーケ。
私たちは、浜松の お花農家で生まれ育ち、東京の市場で競りにかけられ、光が丘の花屋さんで一つのブーケにまとめられた。
花屋さんでは、私たちと同じようなブーケが幾つも作られ飾られてたけど、ナターシャちゃんは、その中から 私たちを選んでくれた。

ナターシャちゃんに出会い、ナターシャちゃんに愛してもらえた私たちは、なんて幸せなブーケだったろう。
ナターシャちゃんが私たちに言ってくれた、たくさんの『綺麗』『可愛い』は、私たちがナターシャちゃんの心を動かした証。
ナターシャちゃんを励まし、ナターシャちゃんの心を慰めてあげることができた証。
私たちが役に立った証。
私たちが生まれ、生きた証。
私たちは、本当に幸せなブーケだった。

私たちは ナターシャちゃんが大好きだから、ナターシャちゃんとの別れはつらいけど、覚悟はできてる。
できれば、私たちが完全に死んでしまう前に、ナターシャちゃんに『汚い』と思われるようになる前に、ナターシャちゃんのマーマが私たちを紙に包んで捨ててくれると いいんだけど。
元気がなくなってきた私たちを見詰めるナターシャちゃんの心配そうな目が、嫌悪のそれに変わる前に。
それが、私たちの最期の望みだったんだけど。

「マーマ、それ、なーに」
「これはグリセリン溶液っていうんだよ。お花用のお薬みたいなものかな」
「お花用のお薬?」
「うん。エルピスちゃんが元気がなくなるにつれて、ナターシャちゃんまで元気がなくなってるから、エルピスちゃんの元気を回復させて、ナターシャちゃんがエルピスちゃんと ずっと一緒にいられるようにしてあげようと思ったんだ」
「ナターシャ、ずっとエルピスちゃんと一緒にいられるのっ !? 」
マーマに そう尋ねるナターシャちゃんの瞳が輝いているのは、ナターシャちゃんは小さな子供だけど、“死”を知っているから。

ナターシャちゃんは、ナターシャちゃんのパパとマーマが地上の平和を守るための戦いに行くたび、大好きなパパとマーマの“死”を恐れる。
“死”は、その人の肉体が傷付き、壊れ、動かなくなって、消え去ること。
そうして、その人と二度と会えなくなること、一緒にいられなくなるということ、触れ合えなくなるということ。
ナターシャちゃんは、私たちの寿命が 人間のそれより ずっと短いことを、ちゃんと知っていたのね。
そして、私たちの死を恐れていた。
だから、マーマに、『ナターシャちゃんがエルピスちゃんと ずっと一緒にいられるように』と言われて、喜んだんだと思う。

「僕は、元気のない人を元気にして、命を守るお医者さんだからね」
ナターシャちゃんのマーマは そう言って、私たちに そのお薬を飲ませてくれた。


あれから、どれくらい経ったのかな?
私たちは、身体から水がなくなったのに、まだゴミの日に出されずに、ナターシャちゃんのおうちにいる。
私たちは、ドライフラワーっていうのになったんだって。

ドライフラワーっていうのは、何ていうか――。
ドライフラワーになる前は、転べば痛い人間の中に心があったけど、今は お人形の中に心があるみたいな、そんな感じ。
グリセリン溶液っていうのは、私たちを綺麗なままドライフラワーにするお薬だったんだって。

ドライフラワーになった私たちは、生きてるのかな?
もしかしたら、私たちは死んだのかな?
“命”って何。
“生きてる”って、どういうこと。
私たち、難しいことは よくわからないんだけど。

でも、私たちは、今でもナターシャちゃんを見ていられる。
ナターシャちゃんは、私たちを見て笑顔になる。
そして、時々、私たちに秘密を打ち明けてくれる。
多分、私たちは、今でも、ナターシャちゃんを励ましたり、その心を慰めてあげたりすることができているんだと思う。

私たちは、“命”が何なのか知らないし、今の私たちが生きているのか死んじゃったのかも わからない。
だけど、私たちは、私たちが今 とっても幸せでいることはわかってる。






Fin.






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