悪友たちが、それこそ絵梨衣を押しのけて氷河たちと同じテーブルにつきそうな気配を見せ始めたので、彼女たちを追い払うために、絵梨衣は席を立った。
「私、家、帰るわ。なんか、小うるさい親と生意気な弟の顔、見たくなったから。あんたたち、さっさと他の席に座んなさいよ。雪代くんたちはね、これから、あんたたちがついてけないような小難しい話すんのよ。邪魔しちゃ駄目だって」
「えーっっ!!」
 絵梨衣に押しのけられて、あからさまに不満の表情を見せていた悪友たちが、絵梨衣に向けられた瞬の微笑に気付いて、ふいに黙り込む。息を飲んでみとれている悪友たちに、絵梨衣は少々同情した。
「ほらぁ、さっさと散って散って」
 両手をぴらぴら振って、絵梨衣は悪友たちを他のテーブルに追い払った。
「ここは俺が払っておく。早いとこ家に帰って、ペルシャ湾の位置でも調べるんだな」
「絵梨衣さん、ごめんね。迷惑かけて」
 氷河の嫌味と瞬の謝罪に送られて、絵梨衣は店を出た。
 と、すぐに、氷河が絵梨衣を追ってきて、彼女を引きとめる。
「おい、相沢」
 絵梨衣が立ち止まり振り返ると、氷河は急に声をひそめた。厳しい眼差しで、30センチ近く下にある絵梨衣の顔を見降ろす。
「――わかってるとは思うが、瞬のこと、他言無用だ。おかしな噂でもたったら、俺はおまえを許さない」
「あ…」
 氷河を恐いと思ったのは、絵梨衣は、これが初めてだった。ごくりと唾を飲み込んでから、自身を奮い立たせ、答える。
「い…言わないわよ! 言うはずないじゃない!」
 氷河はしばらく探るような目で絵梨衣を見ていたが、やがて唇の端をあげて微笑った。
「そうだな。悪かった。気を悪くしたら許してくれ。おまえはそんなこと口外するような奴じゃない。すまん」
 それだけ言うと、氷河は再び店の中に入っていった。
 テーブルに戻った氷河が、信じられないほど優しい笑顔を瞬に向けているのが、ガラスのドア越しに見える。

 絵梨衣は踵を返し、家に向かって歩きだした。
 数歩もいかないうちに、涙がにじんでくる。
 氷河は、その言葉通り、絵梨衣を信じてくれているのだろう。ただ、念のために口止めしたにすぎない。それはわかっている。わかってはいるのだが、涙は止まらなかった。
(私……なに泣いてるんだろ。私、もしかして、城戸くんか雪代くんのどっちかを好きだったのかな…)
 だが、自分が氷河と瞬のどちらを好きだったのかと問われれば、どちらが好きだとはっきり答えることもできない。むしろ、一度に二人を好きになってしまったというのが正しいような気がした。
 いずれにしても、彼ら二人は、おそらく互いしか見えておらず、互いしか必要ではないのだろうから、絵梨衣の出る幕などないことだけは確かである。
 こんな希有な体験を共にしても、元の世界に戻れば全く関係のない他人に戻ってしまうのだ。
 それが、絵梨衣は悲しかった。
 否、寂しかった。ひどく寂しかった。







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