「あれじゃ、先様が気を悪くされますよ。せっかく良いお話だったのに、あちらから断っていらっしゃるかもしれないわ」
 僕にとっては願ったり叶ったりのことを嘆く母から事の仔細を聞いた父が、基臣さんの出自についての情報を僕にもたらしてくれたのは、それから三日ほど経った週末のことだった。僕はまたしても、父の居間に呼びつけられたんだ。

 明日の日曜には、図々しいと思われるのも覚悟の上で、基臣さんの滞在しているホテルに押しかけようと目論み、着ていく洋服の選択に励んでいたところだった僕は、部屋に数着の洋服を広げたまま、父の居間に向かった。
 和風庭園に面した廊下を歩きながら、僕は、お説教なら聞く振りだけしてさっさと切り抜けようと考えていた。

 が、父の話は、到底聞き捨てておけるようなものではなかったのである。
 つまり、それは、基臣さんが沢渡博氏の父親の庶子だという話だった。

「高生加基臣はな、沢渡が――沢渡博の父親が――昔から囲っていた妾に産ませた息子だ。つい数年前までは認知もされていない私生児だったんだが、やたらと出来のいい男でな、将来沢渡一族の役に立つと思ったんだろう。二年前、T大の法学部を首席で卒業した時に認知され、庶子になっている。ちょうどその頃、高生加の母親が死んだんだな。沢渡の家に迎えるのは、正妻の反対があってできそうになかったから、仕方なくドイツに留学させた――ということらしい。頭も切れるし、見場もいいらしいが、いかんせん育ちが卑しい。多分、その才能を沢渡一族のために使わされ、だが、見返りの少ない人生を送ることになるだろう。今、沢渡の家では、妾腹の息子が本家の跡取り息子の見合い相手に手を出そうとしたというので、正妻がヒステリーを起こしているそうだぞ」

「……」

 父の声に、非難めいた色はあまり感じられなかった。僕にどうしろと命じるわけでもなかった。自分で判断できるだろう――ということらしい。
 母も、父の隣りで黙りこんでいる。

 両親の勧めるまま父に嫁いできて、父の庇護のもと幸福な人生を送っている母は、娘は親の選んだ人の許に嫁ぐのがいちばんと思っているのだろうが、しかし、そういう人だからこそ、妾だの庶子だのというお家騒動に嫌悪を感じてもいるのだろう。
 母の本心は、『嫡出子だろうが庶子だろうが、そんな家の人と縁続きになるのはごめんだ』というところに違いなかった。

 けれど僕は、むしろ、たとえどんな障害があろうとも必ず基臣さんの妻になり、氷河の母になる幸福を手に入れようという決意を強固にしただけだった。






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