お袋が死んだ時のことを、俺は実はあまりよく憶えていない。
 俺のお袋は、瞬の親父さんと違って長く闘病してたわけじゃないし、だから、俺が思い出すお袋ってのは、いつも幸せそうに微笑ってた姿だけだ。振り向くといつも、俺や親父を愛しそうに見詰めてた、あの柔らかい微笑だけを、俺は憶えている。

 多分、幸せなひとだったと思う。

 俺が生まれた時から俺んちにいる家政婦長に聞くと、声を荒げたことなんか一度もなくて、親父に滅茶苦茶可愛がられてて、俺のこと溺愛してて、使用人にも優しくて云々…と、褒め言葉が延々続く。

 おまけに、あの親父が、知り合いから再婚を勧められるたび、
『彼女以上の女性がこの世に存在するはずがない』
と真顔で断言するくらいなんだから、そりゃもう本当に最高の女だったんだろう。

 けど、そのお袋は、俺が小学校に入学する直前に死んでしまった。
 予定では、ランドセルをしょってお袋と一緒に、勇んで小学校の入学式に挑むはずだったのに、仕事が忙しくて来られない親父の代わりに私設秘書の島岡なんかを引きつれて、俺は式に臨むことになったんだ。
 それだけでもう、なんか、小学生なんか真面目にやってられっかーって気になっていた俺は、でも、その時偶然、控室の椅子に座っているあの子を――瞬を――見付けた。たった一人で、無表情で、ちょこんと椅子に座っている瞬の側には、母親どころか父親も使用人すらいなかった。

 俺は、たたたたたっと瞬の側に近寄っていって、名前も名乗らずに尋ねたんだ。
「おまえんちのママ、どこ行ったんだよ?」

 俺の声にやたらとゆっくり反応した瞬が、抑揚のない小さな声で答える。
「僕のお母さんは中学校の先生で、今日は中学校でも入学式があるので、僕は一人で来ました。僕のお父さんは、この前死にました」

 多分、先生に何か聞かれたら、そう答えろと教えこまれてきていたんだろう。ちゃんと俺を見て言ってるようにも見えなかった。

 なんてゆーか、俺にはそれだけで十分だったんだ。俺と同じような境遇の、しかも滅茶苦茶綺麗で可愛い子が、たった一人で寂しそうにしてるんだ。励ましてやるのは男の義務ってもんだろう。
 亡くなったお袋も、
『氷河は、お父さんに似て強くて優しい子なんだから、自分より弱い人は助けてあげなきゃいけないのよ』
って、よく言ってたしな。

 それに、俺はカッコ悪くお供つきで来たのに、たった一人で入学式に臨むなんて、瞬はすごくカッコいいことしてるとも思った。






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