メイド in 城戸邸







「星矢様は、何につけても大雑把な方だから、あまり気を遣う必要はないわ」

私の先輩で、今日、このお屋敷を去るというその人は、何とも複雑な表情で――喜んでるのか悲しんでるのか判断しにくい表情で――私にそう言った。

「紫龍様も、人間はミスを犯すものだということがわかっておいでの方だから、多少の粗相にはお怒りになることはないの」

多分、その両方なんだと思う。

「瞬様は、私たちがドジをすると、かえってご心配くださるような方」

先輩は、このお屋敷に2年間勤めてたって言ってた。
その間に、楽しいことも辛いこともあったんだろう。
楽しいだけでも辛いだけでもなかった。
お勤めって、そういうものなんだと思う。

でも、結婚のための退職だっていうのに、浮かれまくった感じじゃないってことは、このお屋敷は、先輩にとって、それなりにいい勤め先だったんじゃないかな。

「瞬様のお兄様は、滅多にこちらにはいらっしゃることがないから、いいとして、問題は――」

急に先輩の口調が沈む。
私は、先輩の観察をやめて、気を引きしめ、続く言葉を待った。

「氷河様なのよね……」

どうやら、それが、このお屋敷の問題人物の名前らしい。
その名前を――当然、私は知っている。

「私、こちらのお屋敷に来る前に、別のお屋敷で2年ほどメイドをしていたの。お偉い方々は、往々にして使用人のことを自分たちとは別の人種みたいに考えて、人として見ていないところがあるのは事実だけど――」

もちろん知ってるのは名前だけで、それ以外に私が知ってる情報は――中断されたギャラクシアン・ウォーズで、ヒドラの聖闘士を氷の技で倒した白鳥座の聖闘士――ってことくらいだけど。

「そういうことではないのよ。氷河様は、私たちが使用人だから見下しているというのじゃないの。それがどっかの国の大統領だったとしても、氷河様は同じ態度をお取りになるんだと思うんだけど……」

日本全国にテレビ放映されたギャラクシアン・ウォーズ。
あの番組を見て、私は、この世に“聖闘士”というものが存在することを知った。

「まあ、氷河様は、自分にとってどうでもいい人間を、動く雪だるま程度にしか思ってらっしゃらないのね、きっと。そこを我慢すれば、基本的に他人に構われるのがお嫌いな方だから、使用人たちに無理難題はおっしゃらないと思うわ」

その他に、辰巳さんとかいううるさいおじさんがいるけど、何をわめこうが聞き流していればいいこと、ボーナスがたくさん欲しかったら、ご当主の沙織様に逆らうのは得策でないこと――等々、このお屋敷で働く者の心構えを、先輩は私に伝授してくれた。


先輩のお式は1ヵ月後なんだって。
結婚ってものに憧れを抱いていない私としては、本音を言うと、あんまり羨ましくはないんだけどね。
ともかく、だから、先輩がこうして私と話をしてくれるのは今日だけ。


「ここのお屋敷に勤めているうちに、顔が良くて、強くて、お金に不自由させないオトコより――普通のオトコの方がいいってことがわかったのよ」

そう言って、先輩は――やっぱり何だか複雑そうな笑顔を残して、城戸邸を去っていった。






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