「あの……」
まだ半分眠っているようだったニコルは、少しずつ思考が明瞭になってきたらしい。
クルーゼの説明を聞いたニコルが、心配そうに尋ねてくる。
「お姫様じゃなくてもいいんですか、呪いを解くのは」

「性差別はよくないな。人の愛の価値が男女で異なるはずもない」
まあ、正論ではある。

クルーゼのその答えを確かめると、ニコルはにっこりと笑った。
そして、言った。
「よかった。じゃあ、僕でもいいんですね。僕、白イルカさん、心から愛してます」

「ほう、そうか、君は私を心から愛し……あぁあ☆▲◇$あ#ё℃あ!?」
ニコルのその言葉を聞いた白イルカ・クルーゼは、そうして、彼らしからぬ素っ頓狂な声をあげることになったのである。

真実の愛の誓い。
一般的に、軽々しく扱ってはいけないと思われがちな“それ”を、いともあっさり口にしてのけたニコルに、クルーゼは驚きを禁じえなかった。
そして、自分には永遠に縁のないものであるはずの“それ”を、あまりに気軽に人に与えようとする――与えられると思っている――ニコルに、クルーゼは憤りを覚えた。
クルーゼは、まるで自分がニコルに揶揄されているような錯覚に捕らわれたのである。

「なぜ、そんなに簡単に言い切れるのだ……!」
“それ”を求めたのはクルーゼ自身だったというのに、彼の口調には怒気が含まれていた。

ニコルが、白イルカの反問に首をかしげる。
「え? だって、心から愛するなんて、そんな難しいことでもないでしょう? 白イルカさんは、今までずっと僕と一緒に眠ってくれてて、僕はいつも心地良かったし、僕には白イルカさんを嫌う理由もないし」

「そういう問題ではないだろう! 君は、私が嘘をついているとは考えないのか! 呪いそのものが嘘だとか、もしかしたら悪いのは私の方だったのではないのかとか! そうでなかったとしても、私は自分が元に戻るために君を利用しようとしているエゴイストなのかもしれないではないか! 私に愛を誓うことで、その代償に何が手に入るのか、何を失うのかを、君は考えたのか !? もう少し人を疑い、もう少し慎重になったらどうなんだ!」

白イルカの強い語調に、ニコルは小さな溜め息を漏らした。
「確かに、そんなことを考えていたら、誰かを心から愛するのは、すごく難しいことになっちゃいますね」
「そうだ。憎む方がずっと簡単だ」

「え? どうしてですか?」
ニコルが、再び首をかしげる。

「どうしてだと?」
クルーゼの声の怒気は、それでますます激しさを増すことになった。
対照的に、ニコルのそれは、柔和・温柔の極みである。

「愛する時には考えることを、誰かを憎む時には考えないんですか? その人を憎む理由が正当なのか、何か誤解があるんじゃないのか……って。悪いのは自分の方かもしれないし、もしかしたら、その人が憎まれるようなことをしたのには、やむを得ない事情があったのかもしれない。人を憎むことで、自分が何を手に入れて何を失うのか、後悔することはないのか──そういうことって、誰かを愛する時よりも、ずっとずっと慎重に考えなくちゃいけないことでしょう?」

「む……」
「白イルカさんは、どうしたいの。どうしてほしいの。愛されたいの、愛されたくないの。呪いを解きたいの、解きたくないの」
「…………」

その答えがわかったなら、素直にその答えを口にできたなら、人はどれほど幸福になれるものだろう。

「わ……私は、自分が人間に戻るために、一方的に君に愛してくれと言っているのだぞ!」
「僕の今の望みは、呪いが解けて喜んでいる白イルカさんの顔を見ることです」

「は! つまり、君は、君自身の満足のために、哀れな私を愛してやってもいいと思っているわけだな」
やっとニコルの主張に難点を見付けたと言わんばかりに、クルーゼはニコルを詰問した(白イルカの格好で)。
同情と傲慢は愛ではない。
そう言って、クルーゼはニコルを論破したつもりだった(白イルカの格好で)。

だが、そうではなかった。
ニコルは追い詰められた様子もなく、相変わらずやわらかい口調で、彼の言葉を続けてみせた。
「人が誰かを愛するのは、そうすることによって、自分も喜びを感じられるからでしょう?」
「私の呪いが解けたら、君は嬉しいのか」
「はい、とっても!」
一瞬の躊躇もなく、ニコルが答えを返してよこす。

クルーゼは、イルカの中で、言葉を失った。






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