エリドゥの都に来て初めて自分の姿を見て以来ずっと、鏡――を、ナキアは故意に避けていた。鏡さえ見なければ、ナキアは錯覚していられたのである。それぞれに美しいシュメールたちと共に時を過ごしている間、自分もまた王女のように美しい少女なのだと。
 ナイドに貰った乳液のおかげで、ナキアの手は見違えるほど白く滑らかになっていたが、顔の造作だけはシュメールの歌でも変えようがない。
 たまに、色とりどりの衣装を捧げ持った女官たちを引き連れたナイドがナキアの部屋にやってきて、『人間、まず見た目だぞ』とナディンとは正反対のことを言いながら、ナキアの顔や髪をああでもないこうでもないといじりまわしていくことはあった。しかし、彼は『ま、これがせいぜいだろうな』と吐きだすような捨て台詞を残して帰っていくのが常で、ナキアは到底鏡に再挑戦(?)してみようという気にはなれずにいたのだ。
 だが――
『ナキア、君、鏡を見てごらん』
 あのバーニが『自分の醜さを自覚しろ』という意味で、そんなことを言うだろうか。もしかしたら、物理的な顔の造作とは関わりのない変化が自分の上に訪れているのではないだろうか…? 
 七割の不安と三割の期待――ナキアは神域でバーニと別れると、そのまま朝食の席ではなく自室に戻り、恐る恐る鏡を覗いてみたのである。
 そうして、ナキアは、鏡の中に、野性の薔薇のような美少女を発見した。
「ええ…っ! な…なに、これっっ!!」
 鏡の中の美少女も、ナキアと同じように驚きに目を見張る。そして、その少女の髪もナキアと同じ金色だった。
(う…嘘……)
 その少女を見てからナキアが最初にしたことは、手鏡の裏を覗くことだった。鏡に何の細工もないことを確かめ、それからナキアはもう一度、
「ええ〜〜〜〜っっ!?」
と、叫び声をあげた。
 こけていた頬がふっくらとふくらみ、白くかさついていた唇は薔薇色に輝いている。肌は、ほとんど赤銅色に近かったものが、滑らかな小麦色に変わっていた。最も大きく変化していたのは目だった。落ち窪み、暗い闇の奥に隠れているようだった瞳が、明るい茶色に輝いている。
 その不揃いさがわからないように整えられた金髪に縁取られたナキアの顔は、少々野趣が強くはあったが、確かに"美しい"と言ってしまっても差し支えない少女のそれに変わっていたのだ。
(そ…そりゃ、あの女神様みたいなナイドから見たら、これでせいぜいってくらいのものかもしれないけど、でも、これなら、ア…アルディのお姉さんくらいには見えちゃうんじゃないかしら…)
 シュメールの歌はシュメールには効かないとウスルは言っていた。だが、もしかしたらそれは嘘で、新参のシュメールが美しくなるようにと誰かが聖歌を歌ってくれていたのではないか。あるいは神に祈ってくれたのではないか――ナキアはそう思ったのである。
(こ…これなら、バーニの横にいたって、神様と骸骨には見えないかも……)
 ふいに、ナキアは胸がどきどきしてきた。
 どきどきしたまま、足が地についていないような気持ちで部屋を出た。
 誰か――誰でもいいから誰かに、魔法にかかったのは自分自身で、鏡の方ではないことを確かめてみたかった。






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