ケガレ大講座 台所作法入門 





●序論 ひとのくちがついたらケガレるのだ
ネパール人の家族(厳密にはネワール族の家族だけど)と一緒に暮らしていると、その独得な生活習慣に驚かされることがしばしばですが、未だに「チッポとジュート」は体得できていません。ネパール人の基本中の基本であるらしいこの習慣も、日本人の感覚からすると、「……なんで?」と思ってしまうこともしばしば。さて、チッポとジュートとはいかなるものか?

ネパール語で「けがれ」を意味する言葉は「ジュート」、ネワール語では「チッポ」といいます。台所における「けがれ」(あくまで、台所におけると断っておく。ジュートの観念は他にもまだあり、一口には説明できないから)とは、簡単に言ってしまえば「自分以外の人間の口がついたもの(食べ物も食器も)」であるらしい。それは、いくら身内といえども徹底している。その辺がまずタカギ君の理解を超えているのですが。

ネパールの住居における「台所」には、いわゆる先祖の霊やら諸々の神様が宿っているといわれます。家族が一日一回は必ず集う唯一の場所が台所なら、プジャ(神様へのお祈り、もしくはお祝い事一般の場面でみられるティカを与える儀式)が行われるのも、ここ台所。台所は家屋の一番高いところ(最上階)にあり、そこだけは浄・不浄の観念が徹底しているのです。けがれを許さない場所。それが台所、とタカギ君は認識している。


●体験事例その1 食事でジュート\(゜ロ゜;)/
男も女も土間にあぐらをかいて座り、自分の前におかれた皿から、手づかみでご飯を口に運びます。それがネパール人の家庭でのお作法。食事は右手を使っておこなわれますが……(左手はけがれている手。トイレでお尻を洗う方の手だから→ つけたし情報参照)

では、このとき左手はどうしているのかというと……。左手は、左のひざの上におかれていることがほとんどで、こっちの手は直接口をつけてはいないので、一応「けがれていない」ことになっている。

……なので、左の手を使って、タンパ(長い注ぎ口のついた真鍮の水瓶。ここには飲用水を入れてある)から水を飲むこともできます。が、左手だけではタンパを支えられないので、この時、右手もちょこっと添えるんだけど、気をつけて見ていると、支えている方の右手は、手の甲を使っているんだな。ここで思わずタカギ君は突っ込みを入れたくなる。「おいっ!手の甲ならけがれてないのか?(`◇´)」

つけたし情報:その後の家庭内調査によれば、左利きの人は左手でご飯を食べることが判明。だから、有無を言わさず左はけがれている、というわけではない、ということが一つ。トイレではどっちの手でお尻をふいているのか?家族に左利きの人がいないため、調査結果はえられず。おそらく右だろう、とのこと。先入観で左手君を「エンガチョ」と決めつけてはいけない、ということが判明しました。
トイレから出た後、ちゃんと手を洗っていることを前提にした場合、この時点では、右手君も左手君もともに「ヒ(非)・エンガチョ」状態であるようです。だから、食事時における左手の立場は、けがれている右手(食事に使う方の手)に対して、けがれていない左手、ということになります。
まとめると、台所でジュートが発生するのは食べたり、飲んだりしたときです。「ジュートの手」は「直接口をつけてしまった方の手」もしくは、直接口を付けてしまった「食器を持っている方の手」です。自動的に右手がエンガチョ、左手がヒ・エンガチョと決まっているわけではないようです

この他に、食後の決まりとしては、手だけではなく必ず口を洗わなくてはなりません。手だけを洗って安心していたタカギ君は、またしても「ジュートだよーん」と突っ込みを入れられてしまいました。



●補論 ジュートはうつる
さらに、もし、食事中に左手が皿の中の食べ物、もしくは皿に触れてしまった場合、左手も「ジュート(チッポ)」化してしまうため、この手で他人に触れること、台所の床に触れることはできなくなるのです。よって食事が終わるまでは、喉が渇いても、おとなしくその場に座って黙々と食事を続けるか、家族の誰かから「水」をもらって左手を清め、ジュート左手を「リセット」してから、再び「プレイ(食事)」を始めるしかない。まさにゲーム感覚。ここで思わずタカギ君はまた突っ込みを入れたくなる。「おいっ!ジュートは床を伝って感染するのか!(`◇´)」



●体験事例その2 お茶呑みでジュート\(゜ロ゜;)/
朝、台所でお茶を飲んでいるときにもジュートは発生します。自分のコップのお茶がなくなったので、ポットから注ぎたそうとしたら、
「ダメダメ、その手はジュートでしょ」といってピーター(お嫁さん)に叱られた。自分で注ぐのなら、一度水で手を清めてから、ということらしい。自分のだからいいじゃない、と思うが、ジュートの手でポットを触るとポットの中のお茶も「ジュート」化してしまうのだそうだ。ジュート、おそるべし(お茶の入ったコップを右手でだけ持っていれば、左手はヒ・エンガチョだから、ポットのお茶を注ぐこともできます。お茶のコップを両手で持ったら、両手とも「ジュート」です)。



●体験事例その3 味見でジュート\(゜ロ゜;)/
体調が優れなかったある日のこと。台所で自分が食べる為のおかゆを作っていたとき、味見をするのに、直接おたまから汁をすすったら、「あああ、それはジュートよ!!」とピーターが叫んだ。しまった、おたまに直接口をつけてしまった。……それなら、と、こんどは小皿を用意してそこに汁を取って、そこから味見をしたらまたしても「あらあら、それもジュートよ!」とピーター。え、これもだめなの?小皿を持っている左手からジュートが感染していくらしい。うう、味見したい、味見できない、ジュート怖い、ピーターも怖い、どうすればいい?

「ネパールではこうやって、味見するのよ。見てなさい。」といって、ピーターは鍋のおかゆを手のひらにちょっと取ると、ポンと口の中に投げ入れた。空飛ぶおかゆ。うううむ……、確かに直接口をつけていない。いないけど、いないけどおおお。それならと、タカギ君は顔を上に向けて、おたまの汁を口の中に直接流し落とした。

……結果、口の中をやけどをした。



●結びにかえて
「けがれの感覚」を体得するのは、日本人のタカギ君にはちょっと時間がかかりそうだ。タカギ君には「けがれ」よりは「きたない」のほうが馴染みやすい。「けがれ」については神経質な家族の人も、「きたない」には無頓着だ(とおもう)。お茶を飲むためのコップの中にタバコの灰を捨てていたり、盛りすぎたご飯をお釜に返すときも、皿から直接ご飯をわしづかみにして戻している。ご飯を食べている人がまだいるのに、流し(台所の流しとは別に、洗いもの専用の流しがある)で「カァーッ、ウゲッ、ホゴッ、ペッ!」と派手に痰を吐いているのが聞こえる。あああ、やめてくれー、と思わずにはいられない。最近はあんまり気にならなくなったものの、やっぱりあまり気持ちはよくない。
若い人を中心に、ジュートやチッポの感覚は薄れてきているというけど、やはり、両親、祖父母の前では徹底せざるをえないみたい。年寄りは本気で気にするみたいだから。


ネパール人の家で家庭料理をご馳走になる機会があったら、タカギ君の失敗を参考にして、ネパール人に嫌われない食事をしてくださいね。外人だから、大目には見てくれると思うけど。



●実力養成練習問題
さて、最後にジュートクイズを一つ。分かった人はメールで答えを送ってください。答えは参加者にしか教えたげない。うふふ。締め切りは特にもうけません。ふるってご応募下さい。

問題:
ある時タカギ君はとてもお腹がすいていた。ミルクティーを飲んだだけではちょっと足らなかった。冷やご飯が少し残っている。これをピーターに焼き飯にしてもらおう。「味つけはどうする?」とピーターがきく。「五目チャーハンの素が部屋にあるから、それを取ってきます」とタカギ君。タカギ君は部屋に戻り、日本食袋から小袋を取り出した。久々の日本食。ゴクリとのどが鳴る。

しかし、うきうきと台所に戻ってきたタカギ君を待ち受けていたのは、ピーターのきつい一言だった。
「MICA、あなた、さっきお茶を飲んでいたけど、手は洗ったの?」
「……ああああ、あらってませんでした! \(゜ロ゜;)/

さて、この後どのようなことが起こったでしょうか。正しい番号を選んでください。


1 自分で料理をするようにと言われた。
2 すぐに手を洗うようにと言われた。
3 「チャーハンの素」の袋を洗うようにと言われた。
4 「どうしてこの子は何度言っても分かってくれないのようぅ……」と泣かれた。


さて、ジュートクイズの応募者は10月11日のネパール時間午前0時現在で2人です。うむ、ちょっと少なすぎるぞ。さあ、他の読者諸君もドシドシ応募しよう!タカギ君が寂しがっているぞ。(T_T)







「でもネ、タカギ君はけがれてるんだよ〜ん。(^_^;)」
1999年10月25日

解説:ネパールの習慣のひとつに「生理中の女性を忌み嫌う」というものがあります。生理が始まってから4日間は「けがれて」いる状態にあるとみなされ、昔は台所に入ることや、男性の体に触れることを禁止する家庭がほとんどでした。(今でもきびしい家はそうしているみたいだけど)。この時期の女性は特に「ナチュネ」と呼ばれるわけですが、ナチュネな状態にあっても、家に家事ができる女性が他にいない場合は「けがれている」とばかりも言っていられません。
「4日間分のご飯を全部出前(外食)にするつもりか!」「洗濯、掃除はどうするんだ!こんなにたまってるぞ!」「おおお、背中がかゆい! 頼む、ちょっと掻いてくれ!なにぃ?生理中だから 掻いてあげられないだとう!くううぅ。」 ……月に一度は、こんな風に家庭内がパニック状態になってしまうか?でも大丈夫、都合の良いルールがちゃんとあるから。下宿先のサッキャ家の家事を一手に引き受けているピーター(長男の嫁という意味のネワール語)も、当然月に一度は「ナチュネな状態」になるわけで、そんな時は一体どうするんだろう、と思っていたら、こんなことがあった。

 朝からピーターの髪がぬれている。どうやらヌハウヌ(沐浴)したらしい。朝シャンかあ、などとのんびり考えていたら、今日から生理だから、朝は沐浴してからじゃないと食事の支度ができないのよ、と言う。沐浴、つまり(水で)体が清められた後なら、いいことになっているみたい。「ヘえ、ネパールの習慣て大変なんだねえ」と言いつつタルカリ(野菜のおかず)作りのお手伝いをするタカギ君。しかし、心の中では……。
 「ジツハ……タカギ君も、今、ナチュネなんだよなぁ…。(^_^;)」。ええ、もちろん朝シャンなんか、していませんとも。……なんて、口が裂けても言えんなあ、と思ったときの一言。
 タカギ君のけがれた体によって作られた「けがれタルカリ」。そうとはつゆ知らずに口にする人々--------。「うううぅっ!Y(>_<)Y」とか言って、家族の人が次々と青ざめて倒れてゆく様を想像して、ちょっと怖かった。「アタシじゃないわよ!アタシはちゃんとヌハウヌしたわよぉぉ!」と半狂乱で泣き叫ぶピーター。荒い息の下、お母さんがうめく。「ハァ、ハァ、……ミ、MICA、あなた、もしかして・・・・」タカギ君は呆然と立ちつくし一言。「やっぱ、ばれちゃいました?」【哀しみのナチュネ劇場幕】