タカギ君、辞書を買う
《言語習得の段階とその過程》






●コトバを覚えるということ。
赤ん坊はどうやって感情に名前があることを知るんだろう?……「ネパール語赤ちゃんタ
カギ君」は思う。モノの名前はいいんだ。指さして「なあに?」と聞けば必ず答えが返っ
てくるから。でも、赤ん坊は、ナミダのわけは言葉で説明できない。お腹が空くというのは
悲しいことなんだろうか、苦しいことなんだろうか、悔しいことなんだろうか。


ネパールに来てネパール語を習いはじめ、ネパール語を使う生活も、5カ月を過ぎた。初めの3カ月は、いわゆる単語帳レベルの言葉で十分事足りていたのだけど、5カ月を過ぎた今、足りない、どうしても、足りないのだ。コトバが。タカギ君は「日本語赤ちゃん」じゃないからじれったい。言いたい、ぶつけたい。だから泣くんだ「オギャーッ」って。


●役に立たない単語帳
ぺらぺらの単語帳には「悲しい」「淋しい」「辛い」といった、マイナスイメージのコトバ
は載っていない。自分の気持ちを言い表そうとしても、単語帳にふさわしいコトバが見つからないというのは、悲しいものだ。自分の気持ちを無視されたようで。「そんな気持ちってありましたっけ?」と本がいってる。ちぇっ。
英語→ネパール語の辞書なら本屋に腐るほどある。でも、母語が日本語である以上、英語だと、使いにくいだけじゃなくて、コトバに「ぴんと来るもの」がないんだよなア。
仕方ないけど。
そこで、タカギ君は、遅ればせながら日本語→ネパール語辞書を買うことにした。


●女殺し→女を殺す人?
「和英ネパール辞書」。今手もとにあるこの辞書は、ネワール人日本語教師によって編集
されたものだ。本人に直接会って聞いたところ、全部独りで編集したとかで、日本人による監修はなし。したがって載ってるコトバの訳もちょっと眉唾。「女殺し」というコトバの訳が、まさに「女を殺す人」となっていることからもわかる。まあ、その辺はご愛敬。「ちゃんこ鍋」とかも載ってる。これ、日本語勉強する人の為の辞書も兼ねてるのかな?まあ、次回の改訂に期待しよう。
だれか日本人の人、手伝ってあげてください。


布団に入って辞書をながめながら、「淋しい」という文字を探していた。
ティハールのことを思い出しながら。


●ティハール・バイティカ「だって淋しかったんだもの」事件
ティハールには「バイ・ティカ」という習慣があって、この日は弟からお姉さんに、一年
の健康と富を祈ってティカがほどこされる。血のつながりのない人間同士も、このプジャ
をきっかけに、血縁姉弟同然になる。タカギ君も家族の一員として、この家で4カ月生活
していたので、当然、この家の15歳の男の子(兄嫁の子ども)からプジャをしてもらえるも
のとばかり思っていた。
ところが、来客のあわただしさと準備の忙しさから、家族が、プジャの席にタカギ君がいないことをすっかり忘れてしまっていた、という事件があったのだ。

儀式終了後、もう終わってしまったということを知らされたタカギ君は、ひどく動揺してしまった。
なな、なんですと!バイ・ティカ、終わってしまったですと! ガビ〜ン!!!

「本当の家族」と「家族も同然」との違いにちょっととまどっていた時期だったこともあり、この儀式をきっかけに、「本当の家族も同然」になって、気持ちの整理をしようと思っていたのね。だから、この行き違いは非常にショックだったの。


●誤解は解けたけど、、、、
「バイ・ティカ」の日から4日たった日曜日。この日はバイ・ティカのショックとネパー
ル生活のさまざまな疲れが飽和状態になったのか、頭痛、腹痛、下痢を併発し、部屋で寝込んでいたのでした。
この日の晩になって、ホストファミリーの一人である、日本語のわかる友人が仲を取り持
ってくれたので、ピーターやお母さんと話をすることができ、タカギ君のふさぎ込んだ理
由は説明してもらえたし、誤解も解くことが出来た。

いわく、本当に忙しくて気が回らなかった、ということがひとつ。タカギ君はこの家でピーターの子供たちから「アンティー(小母さん)」と呼ばれていたから、「ディディ(お姉さん)」になるには年が離れすぎていると思った、ということがひとつ。さらに、外国人がバイ・ティカをそこまで重要なものと思っているとは思わなかった、ということが行き違いの原因だったそうです。

ことの次第を聞かされたピーターは、初め「MICA、私のこと怒ってる?」と神妙な顔で聞いてきた。タカギ君は、大きくかぶりを振りながら「違うの、怒ってるんじゃないの、ただ、すごく淋しかったの」……と言いたかったんだけど、悲しいかな、「淋しい」というコトバを知らなかったタカギ君は、ただ赤ん坊のように「オギャー」と泣くしかなかったのでした。

「せめているんじゃ、なくって、ただ、さみしかった、だけなんだけど、なんで、こんな
に、なみだが、でるん、だろう、きっと、ことばが、みつからない、からだ、きっと、
そうだ。」


……そういう教訓もあって、タカギ君は辞書を買わねば、コトバを増やさなければ、と思
ったのでした。


●「淋しい」を探して
それから何冊か日本語の辞書などを手に入れたものの、どうもあの時のタカギ君の感覚にぴたっと来るようなコトバが見つからない。「eklo」「niras」とか、ってコトバもあるみたいだけど、辞書によれば「eklo」=孤独の、一人だけの、「niras」=絶望、失望(した状態)、気力が萎えた、しょんぼりした、がっかりした。という訳語がついている。「マライ エクダム ニラスラギョー」とか言えばよかったのだろうか。でも、きっとこんなこといったら、言われた人もすごく傷つくんだろうな。けっこう特別なコトバみたいな響きがする。あまり聞かないし。だからこそ「淋しかったのよ」で済ませたい。それでわかってほしいのよよよ。

ともあれ、コトバを覚えるのに一番いいのは、やはり実際のシチュエーションの中で経験的に体得することだなあと、そんなことを思った、ティハール、辞書騒動でした。








ネパールへの美しい幻想は・・・
〜タカギ君のウツビョー闘病記




●タカギ君生まれて初めてウツビョーになる
タカギ君は、怒涛の自主公演の後、約1カ月くらいに亘って、軽いうつ状態に陥り、なにも出来ない日々が続いていたのでした。

聞くところによると、ネパールはバリ島にならんで、世界有数の、日本人在留者の鬱の巣窟らしいですよ。根拠についてはよく分からないけど、長く住んでいると鬱が入ってくる人が多いらしい。そうか、なるほどね。今のタカギ君には皮膚感覚として分かるんだけど、ピンと来ない人も多いだろうなあ。

上手く説明できないけど、理由をあれこれ考えてみる。

●なぜネパールでウツビョーが流行るのか
日本人的感覚でネパール(人)になにかを期待すると、裏切られることが多いからなのかもしれない。あるいは人を選ばすに、誰にでも心を開きすぎていたのかもしれない。もしかしたら、ネパール(人)にたいしてあまりにも美しい幻想を抱きすぎていたのかもしれない。はたまた、私自身の器の小ささかもしれない。。。。。。

初めのころは、じっとりと「鬱っていた」自分を恥じていたのだけど、ある時キャンパスの先輩(ネパール生活の長い人)に思い切って打ちあけてみると、意外にもこういう答えがかえってきた。

●みんな一度はウツビョー体験
「私だって今はネパールなんか大嫌いよ。時々、死にたい、どうして、また朝が来てしまったの? どうして神様は、朝が来る前に私を連れて行ってくれなかったの?と思ったりすることもあるもん」
「私も昔先輩から言われたことがあるよ。『○○さんはネパールのことが好きなの?それなら、嫌いにならないうちにはやく帰ったほうがいい。』って。その言葉の意味、今ならすごくよく分かる。」
「タカギ君も無理しないほうがいいよ。私たちは日本人なんだから、ネパール人のようにネパールで生きることは出来ないんだから。頑張らなきゃ、って思えば思う程深みにはまっていくよ」

ちなみに彼女たちも、もう2年以上ネパールに住んでいる。
仕事や勉強のために訪れたネパールだが、それぞれ悩みはあるのだなあ、と思った。


●ここにとどまる理由
ここに留まる理由は人それぞれだが、辛い思いをしてもなおここでやり遂げたい、ここに住みたい、と思うものがあるからこそネパールにこだわり、居続けるのであろう。逆にもし、そういうものがひとつもなかったら、やっぱり住み続けることは厳しいんだろうな、とおもった。

100%の嫌悪感・絶望感なら完全に撤退しているはず。どこかに救いがあったり、望みがあるからこそいられるのであるが、、、、なんだろうねえ、この中途半端な気持ちは。いつもと同じ生活をしていても、身体の抵抗力のないときには風邪をひいてしまうように、心の抵抗力が低下していると鬱ってしまうらしい。

自主公演のプログラムを成功させたことで、タカギ君ワールドに対する協力者、理解者が増えた、ということは大きな収穫であった。しかし、そこで燃え尽きてしまったのが誤算だった。燃え尽きるという感覚。なんと歯がゆいものか。さらに拍車が掛かるならともかく。

公演終了後、「もう歌えない。歌いたくない。なにもしたくない。疲れた。」という感覚ばかりがつのる。心と身体がひとつにならない感覚。生きているというよりは生き延びているという感覚。自分のやっていることに価値が見いだせなくなってきた。頑張ろうと思えば思うほど、真綿で首が絞まっていくような毎日。これは、もしかして鬱の初期症状?

そういう自覚を持ってから、とりあえずタカギ君はネパールで「がんばるの」やめました。がんばりたい気持ちはあるんだけど、もう、逆さにふってもなにをしても、がんばりが落ちてこない。というわけで、タカギ君は心の抵抗力をつけるために、一時帰国することにしました。滞在費も底をついてきたところだったので、ちょうどいい、どばっと出稼ぎだ!出稼ぎだ!

●今まさにそれをやるとき……
「何か始めたり、どこかに行ったり、という人生の節目的行事は必ず、必然があってやってくる。もっと早く始めていたら、とか、なんであの時やっておかなかったのだろう、とか、そういう後悔は、しない方が精神衛生上いいの。今がまさにそれをやるときなのよ。あなたにとっての期が熟したからそれが出来ることになったのよ。いくつでなにをやっていようとも、それがあなたにとって、一番ベストな時期だからこそできる準備が整ったの。今はもう、ほかの人と自分を比べたり、卑屈になっている場合じゃないの。今のこの時を存分に楽しまなくて、いつ楽しむの」


という言葉をタカギ君にくれた友人T女史に感謝しつつ。タカギ君は胸を張って日本に帰ります。