タカギ君、ブッダの教えに目覚める?






●HIMALAYAN BUDDHIST MEDITATION CENTERとは?
タカギ君は、この週末(9月2日から5日【注:1999年のはなしです】)を利用して、「ヒマラヤン・ブッディスト・メディテーション・センター」という所に行ってきました。なんせ、昨日帰ってきたばかりなので、まだ湯気が立っています。「HBMC」は外国人ツーリストを対象に、瞑想法とチベット仏教の概論をレクチャーしてくれる施設でして、タカギ君はここに4日間泊まり込んで「修行」していたのでした「修行」と言うとオソロシイ響きがするので、「しゅぎょう」と言いましょうか。まだコワければ「しゅぎょー」でもいいよ。

タカギ君もご多分に洩れず、これまで煩悩の多い人生を歩んできましたが、おそらくこの先も煩悩街道を歩むことが予想されたので、ここらでちょっくら、転ばぬ先の杖でも選びに行くか、と思い立ち、以前から比較的親しみとゆかしさを覚えていた仏門なるものを「コンコン」と叩いたのでした。気軽に叩ける敷居の低い「門」だったので、ほんと、皆さんにも是非お勧めしたいわ。


●どんな人が「しゅぎょー」しているの?
この4日間コースに参加していた「門下生」は、タカギ君を含めて7名。カナダ、アメリカ、アイルランド、デンマークからの旅行者に混じって、タカギ君は隅で小さくなりながら「英語のみ!」の講義とディスカッションに耳を傾けていました。もちろん、タカギ君は、英語のみの講義にホイホイついてゆけるハズもありません。でも、そこはそれ、お箸の国の人だもの、仏教のことなら、そこはかとなく分かるから不思議ね。大学時代「仏教概論」取っておいてよかった。


●しゅぎょーのメニューは?

1日目 2日目 3日目 4日目
6:00 起床 5:00 起床 6:00 起床
7:00 瞑想 6:00 瞑想 7:00 瞑想
8:00 朝食 8:00 お茶の時間 8:00 朝食
10:00 講義 10:00 講義  10:00 講義
12:30 昼食 11:30 昼食 12:30 昼食
14:30 
ディスカッション
14:30 
ディスカッション
14:30 
ディスカッション
16:00 お茶の時間 16:00 お茶の時間 16:30 解散
16:30 講義 16:30 瞑想
17:00 ガイダンス 17:30 休憩 17:30 休憩
18:00 瞑想 18:00 瞑想 18:30 瞑想
19:00 夕食 19:00 夕食 19:00 夕食
20:30 瞑想  20:30 瞑想 20:30 瞑想
22:00 就寝  22:00 就寝 22:00 就寝




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


……どうでしょうか? 結構次々やることがあるみたいに見えるけど、一つ終わると1時間以上の休憩がはさまれるから、実際はそんなに「ハードなしゅぎょー」ではなかった。だがしかし、なんせ、英語が分からないタカギ君のこと。解ろうと努めて耳を澄ますのも結構疲れることでして、そういう意味では十分「ハード」でした。脳みそ溶けそう。


2日目は、「朝の瞑想から午後3時まで、口をきいてはいけない」という陰のしゅぎょーもあって、(これは楽勝にクリアー、ホッ。)「オオ、しゅぎょーだ、しゅぎょーだ」と思ったり、3日目の夕食が「みそスープ(具なし)」だけだった時は、「おおっ、断食だ、断食だ」と思ったり、チベット語→英語の通訳をしていた若い坊さんの顔が、99の岡村に似ていたときには、「うわっ、岡村だ、岡村だ」と興奮していたり……うう、なんか、まずしいコメントばかりだ。

ご覧の通り「瞑想」の時間がとにかく多くて、更に、いろんな瞑想法があることもわかりました。実際、心静かにただ黙って座っていることが、こんなに難しいとは思わなかったですよ。


●しゅぎょーの成果をここでひけらかすタカギ君
講義の内容はほとんど解らずじまいではあったものの、事前の理解と興味のあった「業=カルマ」のことについて、ちょっとお話ししましょう。
講義中は、決定的に単語力がなかったので、ごく簡単なことを言っていると思われるようなことも「おおなるほど!」とまでの理解には至らなかったのだけど、帰ってきて、辞書を引きつつ大学時代の講義の記憶もたぐりながら、お坊さんの説明してくれた「カルマ」についてちょっとまとめてみました。興味のない人は読み飛ばしてください。

「カルマ」には、いわゆる3つの種類があるそうです。

1 前世からの因縁によるカルマ。
2 現世の因縁によるカルマ。
3 来世に因縁を残すカルマ。


1についてはどうすることもできないけれど、2と3についてはこれからの心の持ちようで、いくらでも変えてゆくことができるのですって。2のカルマを善くしてゆけば、来世によい因縁を残すことができるわけで、だから人は今、まさにこの瞬間にも善行を積むのですな。前世、来世、と言うのは、なにも生まれ変わって後の別の人生のことばかりをいっているのではなく、今日積んだ善行が、自分が生きている間にも巡り巡って、また自分の元に戻ってくる、ということも含んでいるのです。まさに「情けは人のためならず」。


●修行僧岡村はこういった。
カルマについての質問をしたとき、自分の個人的な煩悩のことも含めて尋ねたので、最後に岡村君はこう言ってくれました。

「あなたがネパールにやってきた初めの目的を一生懸命全うしなさい。人生、この先いくつもの問題が起こります。あなたに問題があるように、私にも、ほかの人の人生にも問題はあります。でも、初めの問題をいいかげんに解決しては、次の問題をただしく解決する力は生まれてきません。前世からの悪いカルマにとらわれることなく、現世に善い行いをたくさん残すようにすれば、おのずと道は開けてきます。だからあなたは音楽を一生懸命学ぶのです。私も仏の教えを実践すべく、修行を続けるのです」(……多分こんなことを言ったんだと思う)

期待どうり、というか、予想どうりの答えではあったものの、その辺の若いあんちゃんに言われたのとはちょっとワケが違うので、ありがたく聞き入った、というわけです。


●あるがままに見つめる……
チベット仏教の教えによると、「あるがままに見つめること」こそが大切なんだそうです。怒りの気持ちや妬みの気持ちからではなく、心を静かに落ち着けて、真っ白な心で見つめるからこそ、いろんなモノが見えてくるのだそうです。そのために瞑想が必要になってくるのですな。

……って、なに、いきなり真面目なこと言ってんだ、と思っている人もいるでしょ。でも、でも、「ナーンだ、タカギ君、なんにも解らなかったんだ」と思われるのも沽券にかかわるし、ちょっと見栄をはってみました。ぽよよん。

3泊4日のしゅぎょーを終え、心も美しく洗われたタカギ君は、4日ぶりの煙草にそっと火をつけつつ、「ブッタ君、君のおかげで、今日も正しく生きていけるよ」と思いながら、新たなる煩悩街道を千鳥足で歩いて行くのでした。


【HBMCへのリンク→http://dharmatours.com/hbmc