タカギ君の師匠トゥーロ・マンチェ対決!




●師匠と呼べる人とは……
タカギ君には師匠と呼ぶべき人物が三人いる。一人は日本にいた頃やっていた沖縄三線の師匠。あとの二人はこちらで始めた、マーダル(両面筒型太鼓。ネパールの民族楽器)と民謡(唄)の師匠だ。

「師匠と呼ぶにふさわしい人物像」について、あなたの辞書の一番最後にこう付け加えて欲しい。「強烈な個性の持ち主。学問・技芸などを教授する以上に、独自の価値観・生活スタイルをもってして弟子を翻弄する。ハチャメチャだが、憎めない。かわいい人。」___【広辞苑 第20版】ぐらいまでには、是非とも採用して欲しいもんだ。

「先生」と「師匠」とでは、天と地ほど違う。なんか、そう思う。一度クセになったら、いつもそばにいたくなる。自分もいつのまにか、師匠の行動パターン・思考パターンで、ものごとを処理している。師匠は「伝染(うつ)る」のである。


●トゥーロ・マンチェ
タカギ君がマーダルを始めたのは99年8月12日のこと。唄は9月8日からだ。ネパール滞在の大いなる目的の一つだった、楽器・歌の習得に本格的に乗り出したタカギ君は、同時に二人のトゥーロ・マンチェと運命的な出会いをした。「トゥーロ」とは「大きい」という意味。マンチェは「人」。この二つの言葉が一緒に使われると、「大人物」「優れた能力を持った人」というほめ言葉になる。



●トゥーロマンチェ1号 ヌチェ・バハドール・ダンゴール


マーダルの師匠は「ヌチェ・バハドール・ダンゴール」。元ダンサー。年齢51歳。若い頃、ステージ中に事故に遭い、ダンサー生命を絶たれる。以後、不屈の精神で音楽家に転向。以来25年間にわたって、マーダル・タブラ・ドーラク・ディメ等の、民族打楽器奏者の第一人者として活躍中。

入会の際にもらったチラシには、ダンス5コース、打楽器5コース、メロディー楽器5コースの、計15コースのっていたが、「ダンスや打楽器以外の楽器は誰がおしえるの?」と聞いたら、ニコニコと自分を指さして「みんなワシじゃ、ワシじゃ」というじゃないか! しかし、ヌチェは「ギター」は弾けないはずなんだけどなあ。そのヌチェからギターも習っているタカギ君の方がギターが弾ける。なんて不思議な風景。

ネパールでは師匠から楽器の「ひき方」をならう、というよりは「サレガマ(楽譜)」を伝授してもらう、という方がしっくりくる。五線譜に書き表すような楽譜ではなく、サレガマ(ドレミファのこと)が小節の中に書かれているだけ。だから、師匠の演奏をよく聞いて、曲を丸ごと覚えないといけない。このへんは和楽器の楽譜、教室とよく似ている。

まず最初に、ギターでもシタールでもサレガマの位置を覚えさせらる。それ以降は、師匠の弾くキーボードの音どうりに運指できるかどうかにすべてがかかってくるわけだ。タカギ君の印象だと、ネパールの音楽家は、歩く楽譜で再生機。小型テープレコーダーをみんながみんな持っているわけじゃないし、とにかく足繁く通って、師匠の頭の中だけにしかない楽譜を伝授してもらう。

「ともかく、一に練習、ニに練習じゃ。練習を続けていれさえすれば、かならずやMICAもトゥーロ・マンチェになれる。わしはなれると信じているぞ。立派な音楽家になったら、わしを日本に呼んでくれろ。ビザを取るのは難しいかのう。さわこ(ヌチェからダンスを習っている)と三人でホテルでショーをやろう。お金いっぱい稼ごうな。」

……ヌチェの野望は二人の大和撫子の肩にかかっている。重い、折れてしまいそうだ。

ヌチェが炒り豆を食べつつ新聞を読みながら、タカギ君のマーダルの稽古をつけているとき、あるいは(個人レッスンという条件で高額のお月謝を払っている)タカギ君の稽古時間の最中に何人ものネパール人の生徒の稽古を同時につけているとき、「いくらなんでも、そりゃないぜ師匠!こっち見てぇ!」とナミダ目になるが、師匠が、ひとたびやる気を出してマーダルやタブラを叩き始めると、これがゾクッとくるくらい決まっているのだ。このへんのギャップが「師匠」「トゥーロ・マンチェ」たるゆえんか。



●トゥーロマンチェ2号 ミラ・ラナ
さて、いっぽう、もう一人のトゥーロマンチェ、唄の師匠「ミラ・ラナ」。ラナ姓はカーストも「チェットリ(貴族)」と高く、育ちの良さが顔ににじみ出ている。風貌は、田中真紀子とあき竹城を足して、下町のお好み焼き屋の女将をかけた感じ。彼女の父親は、王様に王宮にて直々にタブラを教授したという、タブラ奏者だったそうだ。彼女はロークギート(民謡のこと)やハルモニウムをその父親から教わった。生まれてこのかた、学校に通って音楽を勉強したことはない、と言う。いわく「嫌いなのよ、アタシ、学校って。」

とにかく声が大きい。(体もでかいが。横に……)感情がすぐ顔に出るタイプの典型的人物と見た。怒っているとき、イイことがあったとき、驚いたとき、照れているとき、大きな口と鼻と目が、グググッとタカギ君の顔に近づいてくる。おっと、ノウズピアスの止め金まではっきり見える!ああ、師匠! そんなに近くに寄らなくてもちゃんと聞こえてますぅ。

国民的民謡歌手であるミララナ。テレビからも、ラジオからも、彼女の歌声が時折流れてくる。「素晴らしいのど」であることはもちろん、芸風は大らかでユニーク。唄いながら踊る彼女独特のスタイルは、見ているだけで人々の笑みを誘う。「唄は全身で歌うのよ!さあ、よく見て! MICA! こうして、こうして、こうしてね」……と、稽古のときから踊りまくるミララナは、ジュリアナ・ベルファーレ娘たちもひれ伏す勢いだ。師匠、素敵ィ〜! でも、タカギ君にはまだ恥ずかしくて出来ません(←注:1999年時点でのはなし)!

ヌチェのときもそうだが、音楽家が一番輝いている瞬間は、演奏(歌唱)しているときだろう。歌っているときのミララナはまさにサラスヴァーティー(芸事の女神様)の降臨だ。入ってる、入っていますですよ。師匠!

さらに、彼女は実に才能豊かなシンガーソングライターでもある。練習の合間にちょこっと習った曲があまりにも素敵(タカギ君好み)だったから、「この曲が入ったテープはないんですか?」と聞くと、ミララナは「この曲は出来たばかりだからまだレコーディングしてないのよ。」と言うじゃないか!

「エエッツ! この曲、し、師匠の作品なんですか?」
「そぉよぅ、気に入った?」
「えええ、すっごく! イヤ、師匠!アナタハ天才だ!」
「あら、オッホッホ、そうなの、気に入ったの。じゃ、MICAにあげるわ。」
「エエッ!(☆_★;)」
「一年後ぐらいに、MICAの名前でリリースしましょうね」
「ゲエッツ!マジッスカ?\(゜ロ゜;)/」

真のトゥーロ・マンチェとは、かくも、おおらかで物惜しみしないモノなのだろうか。タカギ君は、ミララナのふくよかな胸と下腹部の肉布団に顔をうずめて泣き出してしまうほど感動した。もちろん、実際に肉布団に顔をうずめたわけではありません。

ヌチェにはステージに立つ機会を、ミララナにはレコーディングの機会を与えられて、タカギ君は実に幸せ者だと思う。外人て得だなあ。外人で良かったなあ。そう思う、ウソ偽りのない瞬間がそこにあった。

1999年記



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